ディディエ・ドログバ

コートジボワールのサッカー選手

ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリーDidier Yves Drogba Tébily, 1978年3月11日 - )は、コートジボワールアビジャン出身の元サッカー選手。元コートジボワール代表。ポジションはフォワード。愛称はティトプレミアリーグチェルシーには9年間在籍した。

ディディエ・ドログバ
2019年のドログバ
名前
本名 ディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー
Didier Yves Drogba Tébily
愛称 英雄・ティト・フィジカルキング
ラテン文字 Didier Drogba
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
フランスの旗 フランス
生年月日 (1978-03-11) 1978年3月11日(46歳)
出身地 アビジャン
身長 189cm
体重 93kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1989-1991 フランスの旗 アブヴィル
1991-1993 フランスの旗 ヴァンヌ
1993-1997 フランスの旗 ルヴァロワ
1997-1998 フランスの旗 ル・マン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2002 フランスの旗 ル・マン 64 (12)
2002-2003 フランスの旗 ギャンガン 45 (20)
2003-2004 フランスの旗 マルセイユ 35 (19)
2004-2012 イングランドの旗 チェルシー 226 (100)
2012 中華人民共和国の旗 上海申花 11 (8)
2013-2014 トルコの旗 ガラタサライ 37 (15)
2014-2015 イングランドの旗 チェルシー 28 (4)
2015-2016 カナダの旗 モントリオール 33 (21)
2017-2018 アメリカ合衆国の旗 フェニックス・ライジング 22 (14)
通算 497 (210)
代表歴
2002-2014 コートジボワールの旗 コートジボワール 104 (65)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

2度のアフリカ年間最優秀選手、2度のプレミアリーグ得点王など数々の栄誉を手にしたストライカー。コートジボワール代表の元主将であり、コートジボワール代表の最多得点記録の保持者でもある。

経歴 編集

クラブ 編集

 
コートジボワール代表でキャプテンを務めるドログバ

裕福な家庭に生まれたドログバは、将来は医者か何かに、と父親がエリート教育を望んだため、5歳で生まれ故郷のコートジボワールを離れフランスへ移住した。サッカー選手であった叔父の元で育てられた影響で、学問だけでなくサッカーでも頭角を現し、18歳までパリ郊外の地元チームのル・マンなどに所属し、19歳でル・マンUCとプロ契約し選手生活が始まった。しかし黒人であることから、チームメイトから「なんで黒人がフットボールなんてやってんだ?」と言われるなどし、差別が根強かったサッカー文化に絶望したこともあるという[要出典]

ル・マンでは怪我もあり満足な活躍ができず、2001-02シーズン途中からギャンガンに移籍、2002-03シーズンに17得点を挙げると注目され、マルセイユに5年契約で移籍。素早い順応を見せ、リーグで18得点を挙げ、2003-04シーズンのリーグ・アン最優秀選手に選出された。UEFAカップでも6ゴールを挙げて準優勝の原動力になった。チャンピオンズリーグで対戦した当時FCポルトモウリーニョ監督の目に留まり同監督とともにイングランドプレミアリーグチェルシーへ、同クラブ史上最高額の推定移籍金3600万ユーロで移籍した[1]

背番号を15番から11番に変更した2006-07シーズン、アンドリー・シェフチェンコの加入により出番が少なくなると思われていたが、2トップで使われる形が多くなることもありチェルシー加入3シーズン目で本領発揮、開幕から活躍を見せアフリカ年間最優秀選手に選ばれる。最終的に公式戦59試合出場33得点を挙げた。20得点を挙げてプレミアリーグ得点王となった。

2008-09シーズンに就任したルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下では、怪我などにより控えに回る事が多く不発に終わったが、2009年2月に就任したフース・ヒディンク監督の下では、これまでにはなかったニコラ・アネルカとの2トップを組み、UEFAチャンピオンズリーグ2008-09ユヴェントス戦では1stレグ、2ndレグともにゴールを決めるなど、怪我からの復調を印象付ける活躍をみせ、改めてエースとしての存在感を見せつけた。2009年5月6日にスタンフォード・ブリッジにおいて開催されたUEFAチャンピオンズリーグ準決勝2ndレグ、FCバルセロナ戦において主審を務めたトム・ヘニンク・エブレベの判定に対して試合後に激しい批判を行い、後に行動が不適切であったとして謝罪した[2]。また、以前から慕っていた元チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョを追ってインテル・ミラノに移籍するという噂がメディアの間で度々出ていたが本人がこれを否定、更にはチェルシーとの契約延長が決まった。

2009-10シーズンのアンチェロッティ監督の下では前シーズン得点王のニコラ・アネルカと2トップを組み、ゴールを量産。自身は「相手にとって最も怖いFWコンビになる」とコメントしている。2009年10月10日のマラウイ戦ではコートジボワールの2大会連続W杯出場を決める同点ゴールを挙げた。そして2010年5月9日、勝てば自力でのチェルシーの優勝が決まる最終節のウィガン戦でハットトリックを達成するなどチームを勝利に導き、リーグ通算29点を挙げ得点王も獲得した。さらにチームは総得点103点という記録を叩き出し、プレミアリーグのシーズン最多得点記録を更新している。

UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 決勝では1点ビハインドから同点ゴールをヘディングで決め、PK戦でも最後のキッカーとして成功させチームを優勝に導いた[3]。この試合ではUEFA選出のマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれている。

2011-12シーズンをもってチェルシー退団を発表。同クラブ初となるUEFAチャンピオンズリーグの優勝を決めたPKが、チェルシーでのラストタッチとなった。

2012年6月20日に自身のホームページで、中国スーパーリーグ上海申花に移籍する事を発表した[4]

しかし、給料未払いなどの問題から移籍が噂されるようになり、ユヴェントスミラン移籍の噂が注目された。2013年1月にトルコ・スュペル・リグガラタサライに移籍した[5][6]

2013-14シーズンで契約満了によりガラタサライを退団し、2014年7月25日、古巣のチェルシーに復帰した[7]。背番号は15番を使用する事になっていたが[8]、その後チェルシーで最も成功したシーズン時につけていた背番号である11番に変更された[9]。2014年10月21日、チャンピオンズリーグNKマリボル戦でチェルシー復帰後初ゴールを挙げた[10]。2015年5月24日にチェルシー退団を発表した[11]

フリー状態となっていたが、2015年7月27日にMLSモントリオール・インパクトへの加入を発表した[12][13]

2017年からは、北米サッカーリーグ(実質アメリカ2部)に所属するフェニックス・ライジングFCにて共同オーナー兼選手としてプレー[14]。10月20日には、リーグ戦で40ヤード超の距離から直接FKを決めて話題となった[15]。2018年3月に今シーズン限りでの引退を示唆していたが、11月21日に正式に引退を発表。自身のキャリアについて、「選手として成し遂げてきたことにこれ以上誇りに思えることはない」と振り返った[16]

代表 編集

幼い頃フランスへ移住していたため、フランス人としてフランス代表でプレーすることも可能であったが、母国であるコートジボワール代表を選択。DFコロ・トゥーレと共に母国をW杯初出場に導く原動力となった。2014年8月に代表を引退した[17]

エピソード 編集

  • アメリカ『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の中に選ばれている[20]

名前の発音 編集

彼の名前の「gb」は、「b」でも「v」でもない音を発音する。この子音は、西アフリカの言語にある独特な子音である(有声両唇軟口蓋破裂音)。「gba」を「グバ」と表記するのは英語ベースで、「バ」と表記するほうが原語ベースである。したがって、「ディディエ・ドロバ」と表記したほうが原語に近い(ただしカタカナで表記すること自体に限界がある)。

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1998-99 ル・マン リーグ・ドゥ 2 0 0 0 0 0 2 0
1999-00 30 7 2 0 0 0 32 7
2000-01 11 0 0 0 3 1 14 1
2001-02 21 5 2 1 1 1 24 7
2001-02 ギャンガン リーグ・アン 11 3 0 0 0 0 11 3
2002-03 34 17 2 0 3 4 39 21
2003-04 マルセイユ 11 35 19 2 1 2 1 39 21
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2004-05 チェルシー 15 プレミア 26 10 4 1 2 0 32 11
2005-06 29 12 1 0 3 1 33 13
2006-07 11 36 20 5 4 6 3 47 27
2007-08 19 8 1 1 1 0 21 9
2008-09 24 5 2 1 6 3 32 9
2009-10 32 29 2 2 4 3 38 34
2010-11 36 11 0 0 2 0 33 11
2011-12 24 5 0 0 3 2 27 7
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2012 上海申花 11 超級 11 8 0 0 0 0 11 8
トルコ リーグ戦 トルコ杯オープン杯 期間通算
2012-13 ガラタサライ 12 スュペル・リグ 13 5 0 0 0 0 13 5
2013-14 24 10 3 1 0 0 27 11
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2014-15 チェルシー 11 プレミア 28 4 5 1 2 0 35 5
アメリカ合衆国・カナダ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2015 モントリオール・インパクト 11 MLS 11 11 0 0 0 0 11 11
2016 22 10 0 0 2 1 24 11
2017 フェニックス・ライジング 11 USL 13 9 0 0 0 0 13 9
2018 8 4 0 0 0 0 9 5
通算 フランス リーグ・アン 80 39 4 1 5 5 89 45
フランス リーグ・ドゥ 64 12 4 1 4 2 72 15
イングランド プレミア 254 104 20 10 29 12 303 126
中国 超級 11 8 0 0 0 0 11 8
トルコ スュペル・リグ 37 15 3 1 0 0 40 16
アメリカ合衆国 MLS 33 21 0 0 2 1 35 22
アメリカ合衆国 USL 22 14 0 0 0 0 21 13
総通算 497 210 31 13 40 20 571 245
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFAUEFA CL
2003-04 マルセイユ 11 8 5
UEFAUEFA EL
2003-04 マルセイユ 11 8 6
UEFAUEFA CL
2004-05 チェルシー 15 9 5
2005-06 7 1
2006-07 11 12 6
2007-08 11 6
2008-09 10 5
2009-10 5 3
2010-11 7 2
2011-12 8 6
2012-13 ガラタサライ 12 4 1
2013-14 8 2
2014-15 チェルシー 11 5 2
通算 UEFA 102 50

コートジボワール代表歴 編集


コートジボワール代表国際Aマッチ
出場得点
2002 1 0
2003 7 4
2004 7 6
2005 8 7
2006 14 8
2007 8 4
2008 8 4
2009 6 7
2010 11 4
2011 5 5
2012 14 9
2013 9 4
2014 6 3
通算 104 65

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 2003年2月11日  シャトールー   カメルーン 2–0 3–0 親善試合
2. 2003年6月8日  アビジャン   ブルンジ 1–0 6–1 アフリカネイションズカップ2004予選
3. 2–0
4. 3–0
5. 2004年3月31日  チュニス   チュニジア 0–1 0–2 親善試合
6. 0–2
7. 2004年4月28日  エクス=レ=バン   ギニア 1–0 4–2
8. 2004年6月6日  アビジャン   リビア 2–0 2–0 2006 FIFAワールドカップ予選
9. 2004年6月10日  アレクサンドリア   エジプト 1–2 1–2
10. 2004年9月5日  アビジャン   スーダン 1–0 5–0
11. 2005年3月27日   ベナン 1–1 2–1
12. 2–1
13. 2005年6月19日   エジプト 1–0 2–0
14. 2–0
15. 2005年9月4日   カメルーン 1–1 2–3
16. 2–3
17. 2005年11月6日  ジュネーヴ   イタリア 1–1 1–1 親善試合
18. 2006年1月17日  アブダビ   ヨルダン 0–1 0–2
19. 2006年1月21日  カイロ   モロッコ 0–1 0–1 アフリカネイションズカップ2006
20. 2006年1月24日   リビア 0–1 1–2
21. 2006年2月7日  アレクサンドリア   ナイジェリア 0–1 0–1 アフリカネイションズカップ2006準決勝
22. 2006年6月4日  ボンドゥフル   スロベニア 1–0 3–0 親善試合
23. 2–0
24. 2006年6月10日  ハンブルク   アルゼンチン 2–1 2–1 2006 FIFAワールドカップ
25. 2006年11月15日  ル・マン   スウェーデン 0–1 0–1 親善試合
26. 2007年2月6日  ルーアン   ギニア 1–0 1–0
27. 2007年6月3日  ブアケ   マダガスカル 5–0 5–0 アフリカネイションズカップ2008予選
28. 2007年10月17日  インスブルック   オーストリア 1–1 3–2 親善試合
29. 3–2
30. 2008年1月12日  クウェート市   クウェート 0–2 0–2
31. 2008年1月25日  セコンディ=タコラディ   ベナン 1–0 4–1 アフリカネイションズカップ2008
32. 2008年1月29日  アクラ   マリ 1–0 3–0
33. 2008年2月3日  セコンディ=タコラディ   ギニア 2–0 5–0
34. 2009年2月11日  イズミル   トルコ 1–1 1–1 親善試合
35. 2009年3月29日  アビジャン   マラウイ 2–0 5–0 2010 FIFAワールドカップ予選
36. 3–0
37. 2009年6月20日  ワガドゥグー   ブルキナファソ 1–3 2–3
38. 2009年9月5日  アビジャン 2–0 5–0
39. 5–0
40. 2009年10月10日  ブランタイヤ   マラウイ 1–1 1–1
41. 2010年1月5日  ダルエスサラーム   タンザニア 0–1 0–1 親善試合
42. 2010年1月15日  カビンダ   ガーナ 3–0 3–1 アフリカネイションズカップ2010
43. 2010年5月30日  トノン=レ=バン   パラグアイ 1–0 2–2 親善試合
44. 2010年6月20日  ヨハネスブルク   ブラジル 3–1 3–1 2010 FIFAワールドカップ
45. 2011年3月27日  アクラ   ベナン 1–1 2–1 アフリカネイションズカップ2012予選
46. 2–1
47. 2011年6月5日  コトヌー   ベナン 0–2 2–6
48. 2–4
49. 2011年8月10日  ジュネーヴ   イスラエル 2–4 3–4 親善試合
50. 2012年1月13日  アブダビ   チュニジア 0–2 0–2
51. 2012年1月22日  マラボ   スーダン 1–0 1–0 アフリカネイションズカップ2012
52. 2012年2月4日   赤道ギニア 1–0 3–0
53. 2–0
54. 2012年6月2日  アビジャン   タンザニア 2–0 2–0 2014 FIFAワールドカップ予選
55. 2012年9月8日   セネガル 3–2 4–2 アフリカネイションズカップ2013予選
56. 2012年10月13日  ダカール 0–1 0–2
57. 0–2
58. 2012年11月14日  リンツ   オーストリア 0–2 0–3 親善試合
59. 2013年1月30日  ルステンブルク   アルジェリア 2–1 2–2 アフリカネイションズカップ2013
60. 2013年8月14日  イーストラザフォード   メキシコ 3–1 4–1 親善試合
61. 2013年9月7日  アビジャン   モロッコ 1–1 1–1 2014 FIFAワールドカップ予選
62. 2013年10月12日   セネガル 1–0 3–1
63. 2014年3月5日  ブリュッセル   ベルギー 2–1 2–2 親善試合
64. 2014年5月31日  セントルイス   ボスニア・ヘルツェゴビナ 2–1 2–1
65. 2014年6月4日  フリスコ   エルサルバドル 0–2 1–2

タイトル 編集

クラブ 編集

 
チャンピオンズリーグを制し、ビッグイヤーを掲げるドログバ
チェルシー
ガラタサライ
フェニックス・ライジング

個人 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ チェルシー、ドログバと契約”. UEFA.com (2004年7月20日). 2020年1月19日閲覧。
  2. ^ “サッカー=ドログバ、主審への暴言を謝罪”. Reuters. (2009年5月8日). https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-37894020090508 2020年1月19日閲覧。 
  3. ^ “サッカー=チェルシーが欧州CL初優勝、PK戦でバイエルン下す”. Reuters. (2012年5月20日). https://jp.reuters.com/article/tk0808602-chelsea-champions-league-idJPTYE84J00520120520 2020年1月19日閲覧。 
  4. ^ ドログバ、自身のHPで上海申花行きを発表
  5. ^ ガラタサライ、スナイデルに続きドログバ獲得を正式発表
  6. ^ FIFAが上海申花の訴えを却下、ドログバ移籍が成立へ…仏紙報道”. サッカーキング (2013年2月13日). 2020年1月19日閲覧。
  7. ^ ドログバが2年ぶりチェルシーに復帰「簡単な決断」”. ゲキサカ (2014年7月26日). 2020年1月19日閲覧。
  8. ^ チェルシー復帰ドログバの背番号が決定”. ゲキサカ (2014年7月29日). 2020年1月19日閲覧。
  9. ^ Didier Drogba Biography” (英語). Chelsea FC. 2015年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月23日閲覧。
  10. ^ ドログバの復帰後初ゴール含む6発でチェルシーがマリボルに大勝”. サッカーキング (2014年10月22日). 2020年1月19日閲覧。
  11. ^ ドログバが今夏のチェルシー退団を発表…来季後の現役引退も示唆soccerking 2015年5月24日
  12. ^ またも大物がMLSへ…モントリオール・インパクトがFWドログバを獲得 サッカーキング 2015年7月28日
  13. ^ L’Impact fait l'acquisition de l'attaquant Didier Drogbaモントリオール・インパクト公式サイト 2015年7月27日
  14. ^ 39歳ドログバ、史上初の“選手兼オーナー”就任へ。米3部クラブと契約し現役続行”. フットボールチャンネル (2017年4月13日). 2020年1月19日閲覧。
  15. ^ 英雄ドログバ、“40ヤード衝撃FK弾”に世界騒然 「40歳の怪物」「まだまだいける」”. www.football-zone.net (2018年10月22日). 2020年1月19日閲覧。
  16. ^ チェルシーの伝説、ドログバが現役引退を発表!「これ以上誇りに思えることはない」 | Goal.com”. www.goal.com. 2019年10月22日閲覧。
  17. ^ ドログバがコートジボワール代表引退を表明”. Afpbb.com (2014年8月9日). 2020年1月19日閲覧。
  18. ^ 加藤祐子 (2010年6月10日). “内戦を止めさせた神様ドログバを止めた男にブラジルは <ゆるふわサッカー☆感戦記>”. http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/sports/gooeditor-20100610-01.html 2014年7月8日閲覧。 
  19. ^ ドログバがコートジボワールで和平のまとめ役にGoal.com 2011年9月6日
  20. ^ Heroes Didier DrogbaTime.com 2010年4月
  21. ^ a b Drogba plays with cast on his arm”. BBC (2010年6月15日). 2011年11月5日閲覧。
  22. ^ ESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。

外部リンク 編集