ビセンテ・パディーヤ

ニカラグアの野球選手 (1977 - )

ビセンテ・デラクルーズ・パディーヤ(Vicente de la Cruz Padilla、1977年9月27日 - )は、ニカラグアチナンデガ県チナンデガ出身の元プロ野球選手投手)。

ビセンテ・パディーヤ
Vicente Padilla
基本情報
国籍 ニカラグアの旗 ニカラグア
出身地 ニカラグアの旗 ニカラグアチナンデガ県チナンデガ
生年月日 (1977-09-27) 1977年9月27日(46歳)
身長
体重
185 cm
104 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 アマチュアFA
初出場 MLB /1999年6月29日
NPB /2013年4月4日
最終出場 NPB / 2013年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

 
ドジャース時代(2009年)
 
レッドソックス時代(2012年5月22日)

アマチュア時代 編集

1998年IBAFワールドカップニカラグア代表として出場し銅メダルを獲得。

ダイヤモンドバックス時代 編集

1998年8月24日に、アマチュアFAでアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。

1999年6月29日にメジャーデビューを果たす。5試合に登板して防御率16.87と結果を残す事が出来なかったが、貴重な経験を積んだ年になった。

2000年はリリーフ投手として27試合に登板し、防御率2.31と好投を見せる。5月9日のロサンゼルス・ドジャース戦では初勝利をあげた。

フィリーズ時代 編集

2000年シーズン途中の7月26日にカート・シリングとのトレードで、オマー・ダールネルソン・フィゲロアトラビス・リーと共にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍。フィリーズでは28試合に登板し、防御率5.34と結果を残す事が出来なかった。

2001年もリリーフ投手として登板し、防御率4.24とやや復調した。

2002年より先発投手へと転向し、開幕から先発ローテーションに定着。オールスターゲームにも初選出され、シーズンでは32試合に登板し、14勝を挙げた。

2003年2月5日にフィリーズと1年契約に合意。シーズンは先発投手としてフル回転し、2年連続となる防御率3.00台と14勝を記録した。オフに、地元ニカラグアで乗っていた車が追突事故を起こし、同乗者の1人が死亡。パディーヤ自身も骨折を負った。

2004年1月30日にフィリーズと1年契約に合意。5月29日に肘の故障で15日間の故障者リスト入りし、8月10日に復帰した。この年は怪我の影響もあり、20試合の登板にとどまった。

2005年も前年からの肘痛が完治せず、3月30日に15日間の故障者リスト入りした。4月19日に復帰。27試合に登板したものの、2年連続で2桁勝利を逃した。

レンジャース時代 編集

2005年12月12日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した[1]

2006年1月28日にレンジャーズと1年契約に合意[2]。シーズンは先発ローテーションに定着。8月15日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦で危険球を投じたため、8月17日にMLBが5試合の出場停止処分を発表した[3]。防御率は4.00台だったが、勝利と奪三振で自己ベストの数値を記録した。10月30日にFAとなったが、12月9日にレンジャーズと3年契約に合意した[4]

2007年もレンジャーズの先発の軸となったが、9月18日のオークランド・アスレチックス戦でニック・スウィッシャーに投じた球が死球となり、それが原因で乱闘騒ぎを起こし、9月18日に7試合の出場停止処分を受けた[5]

2008年は防御率は4.00点台だったが、チームトップの14勝を記録。

2009年8月7日にDFAとなり[6]、8月17日に放出された[7]

ドジャース時代 編集

2009年8月19日ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。8月26日にメジャーへ復帰した[8]。11月6日にFAとなった。

2010年1月21日にドジャースと再契約した[9]。右前腕の故障で4月23日から欠場し、6月19日に復帰。8月10日には対フィリーズ線で全球団勝利を達成も8月19日から首の故障で戦列を離れた。11月1日にFAとなったが、12月9日にドジャースと再契約した[10]

2011年3月31日に右腕の故障で、15日間の故障者リスト入りした。4月22日に復帰。5月18日に前腕を故障し、5月19日に再び故障者リスト入りした。9月6日に60日間の故障者リストへ異動し、そのままシーズンを終えた。この年は9試合の登板に終わり、10月30日にFAとなった。

レッドソックス時代 編集

2012年1月16日、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[11]。4月4日にメジャー契約を結んだ。リリーフ投手として56試合に登板し、4勝1敗1セーブ、防御率4.50だった。10月29日にFAとなった。

ソフトバンク時代 編集

2013年1月30日、福岡ソフトバンクホークスと1年契約を結んだ[12]。年俸は290万ドル(約2億6400万円)プラス出来高払いの総額325万ドル(約2億9600万円)。背番号は42[13]。NPB史上デビッド・グリーンに次ぐ2人目のニカラグア出身選手である。

通算としては3勝に終わり、10月15日、球団から退団が発表された[14]

ソフトバンク退団後 編集

2015年7月にはパンアメリカン競技大会にニカラグア代表で出場した。2試合に登板し0勝1敗の成績で、チームもグループリーグの突破は果たせなかった。

2020年/2021年シーズンより、ニカラグアのウィンターリーグ(LBPN)に所属するティグレス・デル・チナンデガの監督を務めている[15]

選手としての特徴 編集

150km/h前後の速球(フォーシーム、シンカー)・スライダーチェンジアップスプリットなど多彩な変化球を持つ[16][17]。また、80km/h前後のスローカーブも投げる[18]

内角を厳しく攻めていわゆるビーンボールを投げる「ヘッドハンター」と疑われており、2006年にはリーグ最多の17与死球を記録している。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1999 ARI 5 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 19 2.2 7 1 3 0 0 0 0 0 5 5 16.88 3.75
2000 27 0 0 0 0 2 1 0 7 .667 143 35.0 32 0 10 2 0 30 0 0 10 9 2.31 1.20
PHI 28 0 0 0 0 2 6 2 8 .250 148 30.1 40 3 18 5 1 21 1 0 23 18 5.34 1.91
'00計 55 0 0 0 0 4 7 2 15 .364 291 65.1 72 3 28 7 1 51 1 0 33 27 3.72 1.53
2001 23 0 0 0 0 3 1 0 1 .750 144 34.0 36 1 12 0 0 29 1 0 18 16 4.24 1.41
2002 32 32 1 1 0 14 11 0 0 .560 862 206.0 198 16 53 5 15 128 6 2 83 75 3.28 1.22
2003 32 32 1 1 1 14 12 0 0 .538 876 208.2 196 22 62 4 16 133 3 2 94 84 3.62 1.24
2004 20 20 0 0 0 7 7 0 0 .500 503 115.1 119 16 36 6 10 82 2 0 63 58 4.53 1.34
2005 27 27 0 0 0 9 12 0 0 .429 654 147.0 146 22 74 9 8 103 1 0 79 77 4.71 1.50
2006 TEX 33 33 0 0 0 15 10 0 0 .600 872 200.0 206 21 70 2 17 156 4 2 108 100 4.50 1.38
2007 23 23 0 0 0 6 10 0 0 .375 553 120.1 146 16 50 1 9 71 2 0 88 77 5.76 1.63
2008 29 29 1 1 0 14 8 0 0 .636 757 171.0 185 26 65 4 15 127 12 3 100 90 4.74 1.46
2009 18 18 0 0 0 8 6 0 0 .571 475 108.0 120 12 42 0 8 59 4 2 61 59 4.92 1.50
LAD 8 7 0 0 0 4 0 0 0 1.000 159 39.1 36 4 12 0 0 38 1 0 15 14 3.20 1.22
'09計 26 25 0 0 0 12 6 0 0 .667 634 147.1 156 16 54 0 8 97 5 2 76 73 4.46 1.43
2010 16 16 1 1 0 6 5 0 0 .545 389 95.0 79 14 24 4 7 84 0 1 46 43 4.07 1.08
2011 9 0 0 0 0 0 0 3 5 ---- 36 8.2 7 0 5 0 0 9 0 0 4 4 4.15 1.38
2012 BOS 56 0 0 0 0 4 1 1 23 .800 218 50.0 59 7 15 3 3 51 0 0 26 25 4.50 1.48
2013 ソフトバンク 16 9 0 0 0 3 6 0 3 .333 245 58.2 50 3 17 0 7 40 2 1 29 25 3.84 1.14
MLB:14年 386 237 4 4 1 108 91 6 45 .543 6808 1571.1 1612 181 551 45 109 1121 37 12 823 754 4.32 1.38
NPB:1年 16 9 0 0 0 3 6 0 3 .333 245 58.2 50 3 17 0 7 40 2 1 29 25 3.84 1.14
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録 編集

MLB投手記録
MLB打撃記録
  • 初安打:2000年7月1日、対シンシナティ・レッズ2回戦(バンク・ワン・ボールパーク)、7回裏にエルマー・デセンスから中前安打
  • 初打点:2002年4月25日、対サンディエゴ・パドレス3回戦(ベテランズ・スタジアム)、2回裏にBobby Jones英語版から適時左前安打
MLB節目の記録
MLBその他の記録
NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号 編集

  • 45 (1999年 - 2000年)
  • 44 (2000年 - 2012年)
  • 42 (2013年)

脚注 編集

  1. ^ Rangers acquire Padilla from Phillies”. MLB.com Rangers Press Release (2005年12月12日). 2014年3月31日閲覧。
  2. ^ Rangers agree to terms with OF Gary Matthews, Jr. and RHP Vicente Padilla”. MLB.com Rangers Press Release (2006年1月28日). 2014年3月31日閲覧。
  3. ^ Angels-Rangers discipline announced”. MLB.com Press Release (2006年8月17日). 2014年3月31日閲覧。
  4. ^ Texas Rangers re-sign RHP Vicente Padilla”. MLB.com Rangers Press Release (2006年12月9日). 2014年3月31日閲覧。
  5. ^ Padilla drops appeal of 7-game suspension”. ESPN MLB (2007年9月20日). 2014年3月31日閲覧。
  6. ^ Rangers recall of Julio Borbon from Triple-A Oklahoma City; RHP Vicente Padilla designated for assignment”. MLB.com Rangers Press Release (2009年8月7日). 2014年3月31日閲覧。
  7. ^ Rangers request unconditional release waivers on RHP Vicente Padilla”. MLB.com Rangers Press Release (2009年8月17日). 2014年3月31日閲覧。
  8. ^ Padilla to make Dodgers debut in finale Los Angeles (75-52) at Colorado (72-55), 12:10 p.m. PT”. dodgers.com (2009年8月26日). 2009年8月30日閲覧。
  9. ^ Dodgers sign Padilla to one-year contract”. MLB.com Dodgers Press Release (2010年1月21日). 2014年3月31日閲覧。
  10. ^ Dodgers sign Padilla to one-year contract”. MLB.com Dodgers Press Release (2010年12月9日). 2014年3月31日閲覧。
  11. ^ http://www.necn.com/01/16/12/Report-Padilla-agrees-to-sign-with-Sox/landing_sports.html?blockID=632208&feedID=3352
  12. ^ ヴィセンテ・パディーヤ投手入団のお知らせ
  13. ^ ソフトバンク 108勝右腕パディーヤ獲得を発表、背番号42”. スポーツニッポン (2013年1月30日). 2013年1月30日閲覧。
  14. ^ 退団のお知らせソフトバンク球団公式サイト2013年10月15日配信
  15. ^ Tigres de Chinandega nombran a Vicente Padilla como su mánager” (Spanish). Liga de Béisbol Profesional Nacional (LBPN) (2020年8月19日). 2021年5月4日閲覧。
  16. ^ ソフトBが「ぶつけ屋」パディーヤ獲得 nikkansports.com 2013年1月18日
  17. ^ 登板前に爪割れた…パディーヤ 応急処置で4回0封 先発OK”. スポーツニッポン (2013年3月8日). 2013年3月13日閲覧。
  18. ^ ソフトBパディーヤ 81キロの魔球披露 nikkansports.com 2013年2月22日

関連項目 編集

外部リンク 編集