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「雨の木」を聴く女たち

「雨の木」を聴く女たち』(レイン・ツリーをきくおんなたち)は大江健三郎の連作短編小説である。1982年新潮社より刊行された。1983年読売文学賞を受賞している。1986年新潮文庫に収録された。

あらすじ編集

中年を迎え、悲嘆の感情に支配された国際的な作家「僕」の一人称視点で、奇妙な人物たちとのいきさつが描かれる。本作は危機に瀕した現代社会に生きる男女の、滑稽なところもあるが物哀しい(時には陰惨な)生き死にを描いた物語である。

1.頭のいい「雨の木」
「僕」はハワイで行われた文学シンポジウムに参加した。そのパーティーが民間の精神療養施設で行われた。そこで「僕」はその施設の患者であるアガーテから「雨の木」を教えてもらう。パーティーで異常な出来事が起きる。
2.「雨の木」を聴く女たち / 4.さかさまに立つ「雨の木」
「僕」の大学の教養部時代の旧友で虚言癖のある高安カッチャンがハワイ滞在中の「僕」を訪ねてくる。高安とその妻ペニーと僕とのいきさつが語られる。高安は「僕」と合作するつもりの小説のプランを持っていた。高安は重度のアルコール依存で作中で事故死する。
3.「雨の木」の首吊り男
「僕」が数年前メキシコの大学で教鞭をとっていたときに、そのアシスタントをしてくれた日本文学研究者カルロス・ネルヴォが末期癌であると知らされる。カルロスは痛みを極度に恐れる男であった。悄然としながら「僕」はメキシコ時代のカルロスと思い出を回想をする。
5.泳ぐ男――水の中の「雨の木」
「僕」が東京で通っているプールの常連の学生玉利くんはプールのサウナで、やはり常連のOL猪之口さんから性的な挑発を受けている。ある日猪之口さんが強姦されて殺害される。「僕」と同窓の高校の英語教師が犯人で、彼は犯行後すぐに自殺しているが、玉利くんが事件に関与している可能性を「僕」は想像する。

「「雨の木」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さい葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう」と登場人物の一人の女性アガーテは説明する。狂気、悲嘆、孤独、死、暴力などに満ちた荒涼とした物語世界で「雨の木」はある場合には現実の木、別の時には宇宙樹など様々な姿をとって現れる。作中において「雨の木」とは「暗喩」(原文ではメタファーとルビが振られている)であると繰り返される。総合的には「雨の木」は肯定的な、宇宙的な再生にかかわる「暗喩」であるようだが、物語の始まりに「僕」がハワイで出会った現実の木である「雨の木」は連作の終盤に火災で消失する。

音楽編集

作曲家の武満徹は、この連作集の第一作「頭のいい「雨の木」」に触発され、打楽器アンサンブル曲「雨の樹」を作曲した。第二作「「雨の木」を聴く女たち」は、この曲の初演を受けて執筆されており、武満徹は小説中では「作曲家のTさん」と称され、コンサートの場面が出てくる。小説では「調律されたトライアングルの音から始まり」と記されているが、これは実際はトライアングルではなくアンティークシンバルの音である。漢字が木から樹に変わった理由は、小説内にも紹介されているが、武満が以前作曲した初のオーケストラ作品『樹の曲』と、その頃に生まれた「眞樹」という娘の名前に由来する。また武満は後に関連曲として、ピアノ曲「雨の樹 素描」、「雨の樹 素描II オリヴィエ・メシアンの追憶に」も作曲している。

他作品との関連編集

短編集『僕が本当に若かった頃』に収録された短編「宇宙大の「雨の木(レイン・ツリー)」」にはドイツ・フランクフルトで開催された国際ブックフェアに参加した作家をアガーテとペニーが訪ねてくるエピソードが描かれている。

長編『燃えあがる緑の木』には高安カッチャンの息子で作曲家のザッカリー・K・高安が登場する。(ザッカリー・K・高安については本作中の「さかさまにたつ「雨の木(レイン・ツリー)」でも語られている。)

収録短編編集

1.頭のいい「雨の木」

2.「雨の木」を聴く女たち

3.「雨の木」の首吊り男

4.さかさまに立つ「雨の木」

5.泳ぐ男――水の中の「雨の木」