あがた森魚

1948-, シンガーソングライター、映画監督、俳優、エッセイスト。

あがた 森魚(あがた もりお、1948年9月12日[1] - )は、日本フォークシンガーシンガーソングライター映画監督俳優エッセイスト北海道留萌市出身。埼玉県川口市在住。本名は山縣 森雄(やまがた もりお)。函館ラ・サール高等学校卒業[1]明治大学中退[1]。所属はDargelos。

あがた 森魚
2012年川口元郷にて/撮影:石田亮介
基本情報
出生名 山縣 森雄
別名 A児
生誕 (1948-09-12) 1948年9月12日(75歳)
出身地 日本の旗 日本北海道留萌市
学歴 明治大学 中退
ジャンル フォーク
ロック
職業 フォークシンガー
シンガーソングライター
俳優
担当楽器 ギター
公式サイト agatamorio.com

略歴 編集

父は運輸省海運局に勤務し[2][3]、父の転勤で北海道留萌市で生まれ、生後間もなく小樽に移り[2]、小学3年から青森[2]、中学からは函館で育った[2][3]

小樽の入船小学校に通っていたころ、担任だった教諭の佐藤敬子に薦められて観たディズニー映画「海底二万哩」(1955年日本公開)主人公のネモ船長が人生初のヒーローとなる。

1965年、函館ラ・サール高校2年の夏、ラジオで聴いたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に衝撃を受け、作詞作曲を始める。

退職した父が家族で横浜に住みたいと言いだしたため[2]、家族と共に上京し、一年浪人後、明治大学に進学[2]。1969年12月 URCレコード事務所へ赴き、早川義夫らの前で歌い、早川に薦められ、1970年1月「IFC前夜祭」で初ステージに立つ。

1970年3月、鈴木慶一と出会い[4]、「アンクサアカス」を結成(バンド名・メンバーは変動し、のち、あがた森魚とはちみつぱいへと発展)。斉藤哲夫野澤享司らとも親交を深める。

1971年8月、中津川フォークジャンボリーあがた森魚と蜂蜜ぱいとして参加。春一番コンサートにも同様の組み合わせで参加。これを観たキングレコードのディレクター・三浦光紀にスカウトされ[3][5]、三浦が1972年、キングレコード内に設立したベルウッド第一弾アーティストとしてメジャーデビュー[5][6]

1972年4月25日、林静一の同名漫画を題材としたシングル「赤色エレジー」で50万枚[7]を売り上げるヒットになり広く知られるようになる[4]

あがたはよしだたくろうや、泉谷しげる友部正人とともに"ニュー・フォーク四人の旗手"と呼ばれた[8][9]。あがたは演歌と見まがう歌唱で[8]、"フォーク界の異端児"と呼ばれた[8]。また、先行するよしだたくろうたちとは違い[2][10]、あがたはテレビに進んで出た[2][10]。「赤色エレジー」の大ヒットは「11PM」(日本テレビ読売テレビ)の出演がきっかけ[2]アングラの企画で呼ばれたが、着るものがなくてちびた下駄履きで出たら、大橋巨泉が面白がりからかわれた[2]。すると色々な番組から出演オファーが来て、「小川宏ショー」(フジテレビ)や「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)など、呼ばれた番組に全て出演した[2]

1972年の段階では"よしだたくろうと並ぶフォークの旗手"という位置付けだったが[11]、よしだたくろうがテレビの出演拒否をやり[11]、他のフォーク系シンガーもそれに続く中[11]、あがたは1972年秋に「僕はもともとフォーク歌手と名乗ったことはない。歌謡曲が好きだったが、なりゆき上、フォーク歌手としてデビューしただけ」と、アングラ・フォークは世を忍ぶ仮の姿だと公表し[11]、歌謡曲歌手に変身すると発表した[11]。もっと稼げる筈と計算した所属レコード会社が、年末の賞レースに向け、ジーパン・下駄履きの小汚いあがたスタイルでは、大衆にアピールできないと計算したもので、「もっと稼いで海外旅行にも行きたい」「マンションに住み、運転手付きのクルマを持ってもフォークは歌える」と考えたあがたの商売っ気と意見が一致した[11]。当時のマスメディアは、フォーク歌手に敵意を抱いていたため、「テレビのコマーシャルに出て何が悪い」と開き直ったよしだたくろうと好一対だと揶揄した[11]

そこで得た収益を元手に1974年、製作・脚本・監督・主演・音楽を兼ねた『僕は天使ぢゃないよ』を製作[2]。商業的に失敗し多額の借金を背負う[2]

世間から忘れ去られて5年が経った1981年[12]、女性2人を加えた7人編成のニューウェイヴバンドヴァージンVS」を結成[4][12]。下駄履き、ギターを抱えたイメージのあがたが、少年アニメの主人公のようなユニフォームにレーザーガンを抱え、ギンギラギンにメーキャップした変身ぶりに音楽関係者は唖然とした[12]。自身A児と名乗りテクノポップを展開[2]、1990年には「雷蔵」なども結成。ニュー・ウェーブからワールドミュージックまで視野を広げた。

1990年代半ばには、月刊漫画「ガロ」に映画「オートバイ少女」手帖 と題する随筆を連載していた[13]

肉体賛美主義者、自然主義者で、食事から健康法にいたるまでナチュラル志向であり、自然治癒力を強く信じている。このため風邪をひいても薬は飲まず、よほどではない限り医者へは行かない。歯だけはそうもいかず、1993年ころに歯医者を訪れ、現代医学の進歩に驚く。その際に、だめになった歯が補修や抜歯をするしかないことに、改めて自分自身が肉体崇拝者であることを思い知らされる。歯を1本抜いたところ、非常な郷愁に駆られた[14]

師匠として、ボブ・ディラン稲垣足穂を挙げている[15]

2000年以降は『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど(2001年)』『タルホロジー(2007年)』リリース、2008年、60歳を迎えライヴツアー「惑星漂流60周年!」を全国各地で展開、2009年2月22日、記念イベント『Zipang Boyz號の一夜』を開催。同年10月ドキュメンタリー映画『あがた森魚ややデラックス』が制作された。

2012年 デビュー40周年記念アルバム『女と男のいる舗道』(映画音楽のカヴァー集)リリースや記念コンサートを開催。

2013年FUJI ROCK FESTIVAL'13に出演。

2014年、2015年にはフィル・スペクター、ボブ・ディランとの出会いから50年を振り返ったアルバム『浦島64』『浦島65BC』をリリース。

ライヴ盤、カヴァーアルバムなどを含め、40枚あまりのアルバムを発表するかたわら、映画監督や役者としても活動。

また、2007年から月刊日記映画を毎月制作、上映会も行い、全国で精力的にライヴを展開している。現在、デビューからの45年史をまとめた自主制作ドキュメンタリー映画「アガタカメラ〜佐藤敬子先生を探して」の制作を進めている[16]

2019年7月17日から8月8日まで、北海道新聞夕刊紙上で「私のなかの歴史」を連載[17]

2022年7月20日には、ベストアルバム「ボブ・ディランと玄米」発売、9月22日には、あがた森魚「50周年音楽會 渋谷公会堂」が開催される[18]

その他 編集

  • 西岡恭蔵の楽曲「春一番」「街行き村行き」にバック・コーラスで参加する。アルバム『街行き村行き』、『ライヴ!!はっぴいえんど』収録。
  • はちみつぱいのライヴアルバムにゲスト・ヴォーカルで参加する。
  • 1970年頃、フェアポート・コンヴェンションのファンを公言しキングレコードから1972年発売の日本国内盤には解説を寄稿(レコード番号ICL-31)、伴奏を務めていたはちみつぱいには武川雅寛が在籍したことから編曲アレンジにはフェアポート・コンヴェンションの影響がみられる楽曲がある。
  • ヴァージンVS」というユニットに“A児”と名乗ってリード・ヴォーカルで参加していた。テレビアニメうる星やつらのエンディング曲「星空サイクリング」、フジテレビドラマ「翔んだライバル」のエンディング曲「さらば青春のハイウェイ-Good-Bye My Friend-」等。ヴァージンVSは変名 “A児”で公然の「覆面バンド」を装い、「コズミック・サイクラー(または「星空サイクリング」)は、テレビ放映から広い知名度のある楽曲になったがテクノポップ・アレンジの音楽方向性違いと印象ギャップから当時あがた森魚とは気がつかない人々が多かった。2018年ファンとの雑談では(リップサービス含みで)ヴァージンVSの楽曲を再演したい、と話した。
  • 北海道文化放送の「夢人類」というテーマで、北海道ローカルのキャンペーンソングをつくっていた。
  • NHKの人形劇『バケルノ小学校ヒュードロ組』の主題歌の「バケルノ小学校校歌」を歌っている(『あがた森魚の世界史B#7 シングルB面等/コンピレーション収録集』にてCD化)。
  • 1994年には、フジテレビバラエティ番組タモリのSUPERボキャブラ天国』であがたを取り扱ったネタが複数採用され、その度にあがたがVTRで登場、一時準レギュラーのような扱いになっていた時期があった。
  • 代表作である「赤色エレジー」の作曲者は八洲秀章とされているが、実際の作曲者はあがた森魚である。この曲が八洲秀章が作曲した「あざみの歌」と似ているということで、キングレコードの判断によって八洲秀章の作曲とされた。しかし両曲を聞き比べると似ているのは冒頭部分のみであり、実際には全く別の曲である。
  • あがた森魚に昔から尊敬の意を表明している吉井和哉のシングル「バッカ」のPVに特別出演している。また、吉井が在籍したバンドTHE YELLOW MONKEYのトリビュートアルバム『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』(2009年)ではあがたが「4000粒の恋の唄」をカヴァーしている。
  • 元ちとせが「冬のサナトリウム」と「最后のダンスステップ」、ヴァージンVSのナンバー「百合コレクション」のカヴァーをしている。
  • るりが2002年にリリースしたアルバム『るり式』にて「冬のサナトリウム」のカヴァーをしている。
  • 縁の地の一つ、小樽市では二年に一度の恒例公演を継続している(2018年現在)。

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

発売日 タイトル 規格 規格品番
自主制作盤
1971年12月25日 A うた絵本 赤色エレジー EP -
B 清怨夜楽
ベルウッドレコード
1972年4月25日 A 赤色エレジー EP OF-1
B ハートのクィーン
1972年11月25日 A 清怨夜曲 EP OF-7
B 大道芸人
1973年10月25日 A 永遠のマドンナK EP OF-20
B トーキー街の少女「街の君」
1974年4月5日 A 昭和柔侠伝の唄(最后のダンス・ステップ) EP OF-23
B 組曲「噫無情」
1975年12月5日 A 僕は天使ぢゃないよ EP OF-34
B 一郎のテーマ
フィリップス・レコード
1976年2月5日 A 函館ハーバーセンチメント EP FW-1014
B 山田長政
KITA Records
1979年7月 A アカシアの雨がやむとき
亡きAに捧げるタンゴアカシアーノ
EP KT0001
B 花嫁人形
日本コロムビア
1987年6月21日 1 ジュリエッタの夏 8cmCD CA-5003
2 ブエノス・アイレスの冬休み
3 ホッホホーイのうた
4 ぼくの生まれた港
1988年9月1日 1 太陽のラルティーグ EP TD-1188
2 続・日曜だってダメよ 8cmCD 10CA-8065
メルダック
1993年10月5日 1 サイレント・イヴ 8cmCD MEDA-11001
2 禁区
3 サイレント・イヴ(オリジナル・カラオケ)
Kitty Records
1995年3月15日 1 キットキット!!遠く遠く!![19] 8cmCD KTDR-2124
2 ハリスの旋風
3 キットキット!!遠く遠く!!(オリジナル・カラオケ)
TDK
1996年2月25日 第七東映アワー
1 霧のステーションデパート 8cmCD TDCT-1127
2 トリカゴの街
3 ノワールの唇
4 七面鳥のパパたちへ
2009年10月1日 1 るるもっぺべいぶるう 配信 -
SUPER FUJI
2011年02月23日 1 うた絵本 赤色エレジー CD FJSP-117
2 清怨夜楽
HMV record shop
2014年8月9日 A 夢が叶えられる街では EP HSC-0007
B 昭和ミナトマチ3バンチ
2014年8月29日 夢が叶えられる街では
1 夢が叶えられる街では CD QPHZ-009
2 昭和ミナトマチ3バンチ
3 悪魔ニナル練習
4 太陽のコニーアイランド
2015年4月18日 A 悪魔ニナル練習 EP HSC-0008
B 太陽のコニーアイランド
Bridge
2022年11月16日 A サブマリン EP BRIDGE365
B エアプレイン

アルバム 編集

オリジナル・アルバム 編集

  • 蓄音盤(1970年8月4日・自主制作盤)※VIVID SOUNDからアナログLP盤、CD再発。
  • 乙女の儚夢1972年9月10日)※オリジナルは観音開仕様のジャケット。購入者向けに冊子が通信販売された。
  • 噫無情(レ・ミゼラブル)1974年3月25日)※松本隆プロデュース
  • 日本少年(ヂパング・ボーイ)(1976年1月25日、マリオ/ニュー・モーニング、FW-8001-02)※細野晴臣プロデュース
  • 君のことすきなんだ(1977年8月25日)※矢野誠プロデュース
  • 乗物図鑑(1980年4月)※阿木譲プロデュース
  • 永遠の遠国(1985年11月30日)
  • 永遠の遠国の歌(1986年4月25日)
  • バンドネオンの豹(ジャガー)(1987年1月21日)※和田博巳プロデュース
  • バンドネオンの豹と青猫(1987年10月21日)
  • Album#1977(1988年4月25日)※1977年発売の「君のことすきなんだ」と当時のデモテープ音源集
  • ミッキーオの伝説(1988年9月1日)
  • イミテーション・ゴールド(1993年11月5日)※カヴァー集
  • 少年歳時記(1993年12月29日・CDブック)
  • ピロスマニア海へ行く(1994年1月26日)
  • 24時の惑星(1995年7月26日)
  • 第七東映アワー(1996年3月25日)
  • 永遠の遠国(二十世紀完結編)(1999年3月17日)
  • 日本少年2000系(1999年12月1日)
  • 佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど(2001年11月21日)
  • ギネオベルデ(青いバナナ)(2004年8月10日)
  • タルホロジー(2007年9月20日)
  • 俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け(2011年2月14日)
  • 誰もがエリカを愛してる(2011年9月21日)
  • コドモアルバム(2012年11月30日・あがた森魚と山崎優子名義)
  • 女と男のいる舗道(2012年5月9日)※映画音楽のカヴァー集
  • COBALT TARUPHONIC 音楽文庫 第1〜3集(2012年5月9日)
  • ぐすぺり幼年期(2012年12月20日)
  • すぴかたいず(LP2013年12月24日、CD2014年3月10日)
  • 浦島64(2014年LP11月15日、CD12月3日)
  • 浦島65BC(2015年7月20日)
  • 浦島 mini XX(2015年11月25日)※浦島三部作からのスペシャルセレクション
  • 浦島65XX(2015年11月30日)
  • 近代ロック(2016年11月18日)
  • べいびぃろん(2017年4月26日)※あがた森魚&はちみつぱい名義
  • 理想の靴下と船 (2018年12月26日)

ライブ・アルバム 編集

  • プラネッツ・アーベント(1990年12月21日)
  • あがた森魚のラジオ・ショウ(1996年9月25日)
  • 永遠の遠国 at 渋谷ジァン・ジァン(2007年9月25日)※1978年11月7日渋谷ジァン・ジァンでのライブ
  • あがた森魚とZipang Boyz號の一夜(2009年10月10日)※2009年2月22日東京九段会館でのライブ
  • 『女と男のいる舗道』あがた森魚デビュー40周年記念コンサート(2013年7月23日)※2012年5月12日日比谷公会堂でのライブ

ベスト・アルバム 編集

  • あがた森魚ベスト20(1974年12月18日)
  • アーリーあがた森魚&はちみつぱい(1982年12月21日)
  • 二十世紀漂流記(2001年5月23日)
  • 星繁き牢獄の提督たちへ(2004年6月1日)
  • 大航海40年史(2012年11月7日)
  • ボブ・ディランと玄米(2022年7月20日)

サウンドトラック 編集

監督作品 編集

映画出演 編集

テレビ出演 編集

ナレーターとして 編集

俳優として 編集

著書 編集

  • ひとりぐらし (青春出版社 1976年9月)初のエッセイ集
  • モリオ・アガタ 1972〜1989 (エディション・カイエ 1989年7月)詩集
  • 獲物の分け前(白水社 1992年11月)
  • 菫礼礼(スミレレ)少年主義宣言 (新宿書房 1990年5月)

関連ミュージシャン 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、16頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「新・家の履歴書」『週刊文春文藝春秋、2009年11月26日、90-93頁。 
  3. ^ a b c 【vol.33】こころとからだの健康タイム|ゲスト あがた森魚さん ぶんぶん通信
  4. ^ a b c アーティスト・アーカイヴ あがた森魚 アガタモリオ”. 記憶の記録 LIBRARY. 日本音楽制作者連盟. 2023年6月21日閲覧。
  5. ^ a b あがた森魚が語る「ベルウッド・レコード」と、伝える技術の話 -インタビュー
  6. ^ 200CDフォーク編集委員会 編『200CD フォーク 伝説の名曲からJ–フォークまで』立風書房、2003年、125頁。ISBN 4651820603 
  7. ^ CDJournal.com - CDJカレンダー - 初期あがたの最高傑作『日本少年』発売2001年12月25日作成。
  8. ^ a b c 「ニュー・フォークが燃えている 若者の心をバッチリつかんだ四人の旗手」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1972年6月25日号、42-45頁。 
  9. ^ 矢沢保『フォーク俺たちのうた』あゆみ出版、1980年、44-85頁。 
  10. ^ a b 湯浅学監修, ed (2013). 日本ロック&ポップス・アルバム名鑑 1966-1978. 株式会社ミュージックマガジン. p. 104. ASIN B00EPLPKLO 
  11. ^ a b c d e f g 「げいのう 歌謡曲歌手に変身する あがた森魚」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1972年12月10日号、41頁。 
  12. ^ a b c 「レーザーガンを抱えて マンガ的変身のあがた森魚」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1981年5月3日号、136頁。 
  13. ^ 月刊漫画「ガロ」1994年
  14. ^ 月刊漫画「ガロ」1993年8月号 260P
  15. ^ Meets Magagine2010年7月号
  16. ^ 半澤孝平 (2017年9月17日). “あがた森魚さん、デビュー45年の記録映画制作へ”. 函館新聞. 2022年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月11日閲覧。
  17. ^ 「<私のなかの歴史>シンガー・ソングライター あがた森魚さん*1*港町を思う 未来を歌う*留萌生まれ*夕日輝く黄金岬が原点」北海道新聞、2019年7月17日夕刊全道3頁、聞き手は大原智也
  18. ^ {http://uroros.net/eventnews/154640/ あがた森魚、デビュー50周年を記念して『50周年音楽會 渋谷公会堂』9月22日にLINE CUBE SHIBUYAで開催決定。50年の音楽の変遷を一望 _ UROROS}2022年8月7日閲覧。
  19. ^ 日産・ラシーンCMソング、CMにはドラえもんの着ぐるみが登場。
  20. ^ “函館港イルミナシオン映画祭のシナリオ大賞受賞作「函館珈琲」予告編が完成”. 映画.com. (2016年8月12日). http://eiga.com/news/20160812/6/ 2016年8月12日閲覧。 
  21. ^ “映画公式サイト”. (2016年8月12日). https://web.archive.org/web/20160812162804/http://www.hakodatecoffee.com/ 2021年10月29日閲覧。 
  22. ^ First Love (TV Series 2022– ) Full Cast & Crew”. imdb. 2023年4月16日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集