あけぼの (護衛艦・初代)

海上自衛隊の護衛艦(DE)

あけぼのJDS Akebono, DE-201)は、海上自衛隊護衛艦警備隊初の国産警備船の1隻として、昭和28年度計画で建造された[注 1]。同型艦はないが、同年度計画で建造されたいかづち型が準同型艦にあたる。建造単価は16億円であった[2]

あけぼの
基本情報
建造所 石川島播磨重工業 東京工場
運用者  海上自衛隊
艦種 護衛艦 (DE)[注 1]
級名 同型艦は無し
艦歴
計画 昭和28年度
発注 1953年
起工 1954年12月10日
進水 1955年10月15日
就役 1956年3月20日
退役 1976年3月31日(保管船に種別変更)
除籍 1981年3月31日
その後 解体
要目
基準排水量 1,060トン
満載排水量 1,300トン
全長 89.5m
最大幅 8.7m
深さ 5.5m
吃水 3.15m
ボイラー 石川島フォスター・ウィーラー2胴水管型×2基
主機 石川島艦本改良型蒸気タービン×2基
推進 スクリュープロペラ×2軸
出力 18,000PS
速力 最大28ノット
燃料 212トン
航続距離 16ノットで4,300海里
乗員 193名
兵装
FCS
  • Mk.51×2基
    →1959年にMk.63×1基に換装
  • レーダー
  • OPS-2 対空捜索用
  • OPS-3 対水上捜索用
  • Mk.34 射撃指揮用
  • ソナー
  • QHBa 捜索用
    →1959年にSQS-11Aに換装
  • QDA 攻撃用
    →1959年にSQR-4に換装
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    艦名は「東の空が次第に白んでいく頃」(曙)に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては旧海軍の雷型駆逐艦」、吹雪型駆逐艦「」に続き3代目。

    来歴 編集

    1951年(昭和26年)、連合国軍最高司令官マシュー・リッジウェイ大将は、連合国軍占領下の日本に対してパトロール・フリゲート(PF)および上陸支援艇(LSSL)を貸与することを提案した。これを受けて1952年(昭和27年)4月26日海上保安庁内において、これら軍艦の受け皿となるとともに将来の海軍の母体となるべく、海上警備隊が創設された。そして同年8月1日保安庁の発足とともに、海上警備隊は海上保安庁の航路啓開部を吸収して警備隊に改組され、陸上部隊である警察予備隊(のちの保安隊)とともに保安庁の隷下に入り、本格的な再編制への体制が整えられることになった[3]

    海上警備隊創設の呼び水となったフリゲート等の貸与は政治上の問題から遅延していたことから、まず整備を完了した船艇を「保管引受け」として借用し、基幹要員の教育訓練が急ピッチで進められることとなった。警備隊の発足時に保有していた船舶は、「保管引受け」中のPF 4隻とLSSL 2隻、および海保から所管換された掃海船等76隻であった(海上自衛隊の掃海船 (編入船)参照)。貸与軍艦の引き渡しは1953年1月14日より開始され、PFは「くす型警備船」、LSSLは「ゆり型警備船」として就役した[3]。警備隊発足年度である昭和27年度予算では、これらの警備船の運用基盤を整備するための支援船(水船や重油船など)の建造が優先され、戦闘艦艇の建造は行われなかった。続く昭和28年度予算でも、当初は小型掃海船2隻が要求されたのみであったが、1952年12月末、大蔵省より、防衛分担金の枠内で130億円を艦船建造費に振り向ける旨の内示があったことから、第二幕僚監部では、急遽、戦闘艦艇の国産新造計画を立案した[2]

    本計画では、甲型警備船(DD)2隻と乙型警備船(DE)3隻のほか合計16隻の建造が決定された。このうち乙型警備船としては、蒸気タービン主機の「あけぼの」と、ディーゼル主機のいかづち型が競作されることになった[注 1][2]

    設計 編集

    同年度の他の艦と同様、基本設計は財団法人船舶設計協会に委託して行われた[注 2]。計画番号はE-101[5]。計画にあたっては、アメリカ海軍のバックレイ級護衛駆逐艦大日本帝国海軍松型駆逐艦鵜来型海防艦[2]鴻型水雷艇も参考とされた[6]

    船体 編集

    基本的には、同年度の甲型警備船(DD)であるはるかぜ型を縮小した設計となっており、平甲板型という船型も踏襲された[2]。なお蒸気タービン主機を採用したことから同年度のディーゼル艦より機関部重量が増大しており、これを補うため、上部構造物にはアルミニウム合金を多用して重量軽減と重心上昇抑制を図った[6]

    蒸気タービン主機の採用に伴って機関科員は増加した[2]。しかし一方で、小型の艦型にもかかわらず28DDと同様の缶・機・缶・機のシフト配置を採用したこともあって[6]、船体全体に対する機関区画の占める割合が増加して居住区画を圧迫しており、乗員スペースは極端に制約され、科員区画のスペースは1人あたり1.6平方メートルと、海軍時代と大差ない程度となった[2]

    機関 編集

    上記の経緯により、本艦は蒸気タービン主機を採用した。沿岸作戦を基本とするDEとしては高速の28ノットという最大速力が要求された一方、また航続距離は近海行動を前提としてDDの約7割に抑えられた[2]

    28ノットを確保するためには出力18,000馬力が必要と見積もられたことから、設計の参考とされた鴻型水雷艇や松型駆逐艦を含めて大日本帝国海軍の艦艇で広く搭載されていた艦本式タービンをもとに、一段減速の衝動型2胴タイプの主機を搭載した。巡航タービンは手動嵌脱式とされた。推進器は500 rpmと高回転数であった[7]

    ボイラーは、石川島-フォスター・ウィーラー(FW)式のD型2胴水管ボイラーが採用され、蒸気発生量は39トン/時であった。蒸気性状は28DDと同様、圧力30 kgf/cm2 (430 lbf/in2)、温度400 °C (752 °F)とされた[2][7]

    本艦は、速力面ではディーゼル艦より優れていたものの、上記のように艦内容積への圧迫が大きく、また航続距離でも劣ったことから、以後のDEで蒸気タービン主機が採用されることはなかった[6]

    装備 編集

    28年度計画DEの兵装はおおむね共通であり、基本的には上記のくす型警備船(PF)をもとに、一部を更新した構成となっている。

    センサー 編集

    レーダーは、DEながらも対空捜索用と対水上捜索用の2基を搭載するというDDに準じた体制をとっており、対空捜索用としては28DDで搭載したAN/SPS-6をもとに小型化して開発したOPS-2、また対水上捜索用としては28DDと同じOPS-3を搭載した。ただしOPS-2は、DEに搭載できるようにアンテナを小型化したことから、目標の探知性能は大幅に低下せざるをえなかった[2]。またソナーは28DDと同構成で、捜索用としてQHBaを、また攻撃用としてQDAを搭載した[2]

    武器システム 編集

    艦砲としては、PFで搭載されていた50口径7.6cm単装砲(Mk.22 3インチ砲)ライセンス生産した54式が搭載され、Mk.51 mod.2方位盤による指揮を受けた。対空兵器としては56口径40mm連装機銃Mk.1が搭載された[2][6]

    対潜兵器もPFで搭載されたアメリカ製兵器のデッドコピーが搭載されており、ヘッジホッグMk.10対潜迫撃砲をもとにした試製54式対潜弾投射機、爆雷投射機Mk.6(K砲)をもとにした54式爆雷投射機、および54式爆雷投下機12型が搭載された[8]

    特別改造 編集

    28年度計画DEは、対潜艦としての性能の追求よりも、まず米海軍のDEに相当する警備船を国内で建造することに意義を求めた部分があり、上記の通り、装備には既に陳腐化している部分も少なくなかった。このことから、1958年末より、性能の不備を是正するための特別改造工事が行われた。これにより、艦砲は50口径7.6cm単装速射砲(Mk.34 3インチ砲)に、また砲射撃指揮装置もレーダー装備のMk.63(1基)に更新され、代償として40mm連装機銃のうち1基を撤去するとともに爆雷兵装も半減した[6]。またソナーについても、QHBaは改良型のSQS-11Aに、またQDAもSQR-4に更新された[2]

    艦歴 編集

    「あけぼの」は、昭和28年度乙型警備艦1201号艦として、石川島重工業東京工場で1954年12月10日に起工され、1955年10月15日に進水、1956年3月20日に就役し、呉地方隊に編入された。

    脚注 編集

    注釈 編集

    1. ^ a b c 警備隊時代の乙型警備船(DE)は、海上自衛隊への改編に伴って乙型警備艦(DE)と改称され、昭和35年度の艦種分類改訂以降は護衛艦(DE)と称されるようになった[1]
    2. ^ 保安庁当時、技術研究所の艦船設計能力が未整備であったことから、暫定措置として、牧野茂技術大佐を中核として、旧日本海軍時代の技術者達によって財団法人船舶設計協会が組織され、艦船設計に当たっていた[4]

    出典 編集

    1. ^ 香田 2015, p. 52.
    2. ^ a b c d e f g h i j k l m 香田 2015, pp. 24–35.
    3. ^ a b 香田 2015, pp. 12–23.
    4. ^ 香田 2015, p. 29.
    5. ^ 防衛庁技術研究本部 1962.
    6. ^ a b c d e f 阿部 2000, pp. 46–49.
    7. ^ a b 阿部 2011.
    8. ^ 高須 2000.

    参考文献 編集

    • 防衛庁技術研究本部 編『防衛庁技術研究本部十年史』大蔵省印刷局、1962年、104頁。 NCID BN05035176 
    • 阿部, 安雄「海上自衛隊護衛艦整備の歩み (海上自衛隊護衛艦史1953-2000)」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、NAID 40002155854 
    • 阿部, 安雄「護衛艦の技術的特徴 - 2.推進システム」『世界の艦船』第742号、海人社、2011年6月、106-111頁、NAID 40018815745 
    • 石橋, 孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』並木書房ISBN 978-4890631513 
    • 香田, 洋二「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』第827号、海人社、2015年12月、NAID 40020655404 
    • 高須, 廣一「兵装 (海上自衛隊護衛艦史1953-2000) -- (海上自衛隊護衛艦の技術的特徴)」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、188-195頁、NAID 40002155858 
    • 海人社(編)「海上自衛隊全艦艇史」『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、NAID 40006330308 

    関連項目 編集