あゆみの箱
公益社団法人あゆみの箱(あゆみのはこ)とは、映画や演劇など文化活動を通じた福祉の増進や、社会福祉事業の発展への貢献[1]を目的とする、日本の公益社団法人。所在地は東京都渋谷区恵比寿南[2]。芸能人による募金活動の草分け的存在として知られ、東京都募金許可第一号の団体でもある[3]。2017年5月に解散[4]。解散時の会長は俳優の久保明[5]。
団体種類 | 公益社団法人 |
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設立 | 1966年(昭和41年) |
所在地 | 東京都渋谷区恵比寿南3-1-20 三王ビル5階 |
法人番号 |
7011005003641 ![]() |
活動地域 |
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解散 | 2017年5月 |
歴史編集
ワクチン不足から全国的に小児麻痺が大流行した1963年、映画監督の川島雄三が同病の後遺症により他界[1]。川島と親交の深かった俳優の伴淳三郎が、川島に教えられた心身障害者施設を訪問し、小児麻痺に苦しむ入所者の境遇を目の当たりにすることとなる[1]。「小児麻痺で苦しむ子供たちに光を当ててあげよう」と、川島の墓前で誓いを立てた[1]。
一方同じ頃、俳優の森繁久彌も家族で募金活動を続けており、両者は同じ仕事先で意気投合し奉仕活動を始める[1]。「あゆみの会」が社団法人として発足したのは、同年12月23日のことであった[1]。創設に関わった伴や森繁の他、水谷八重子および秋山ちえ子を加えた4名が常任理事に選任[1]。撮影現場の残り木から募金箱を作成、役者仲間と共に劇場や街頭、ロケーションに行く列車の中で募金を呼びかけてゆく[1]。
1965年2月6日には、伴と森繁の他、坂本九、フランキー堺や淡島千景ら多くの芸能人が参加した、第1回チャリティーショー(東京都、厚生省、日本医師会後援[6])を新宿厚生年金会館にて開催[7]。以後都内のみで22回(うちフジテレビ系列での中継20回)開催、名古屋市や福岡市、札幌市などの他、海外(ハワイ、サンパウロ、サンフランシスコ、ロサンゼルス各2回、リマ1回)でもチャリティーショーが行われた[8]。
1965年春伴と森繁がワイドショー「小川宏ショー」(フジテレビ系)に出演。募金額が700万円に上ったこと、その募金で歩行器を購入し、全国120ヶ所の施設に寄付することを発表した[1]。募金箱の名称を「この募金箱によって、手足の不自由な子どもたちが歩めるように」との思いを込め、「あゆみの箱」と命名したことも併せて公表することとなる[1]。番組内で題字を公募した結果、当時大分県別府市の県立養護学校整肢園校舎に在校していた、小学校4年生の女児の作品が選ばれ[1]、「あゆみの箱」で用いられていた。
その後、全国重症心身障害児センター(東京都世田谷区三宿)に建設資金を寄付(1966年)、心身障害児保養所のやすらぎ荘(福岡県筑前町)建設(1971年)に関わるなど、福祉活動を積極的に進めていた[1]。また、2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、街頭募金を月1回のペースで実施[1]。被災地の福祉施設へ義援金を送っていた[5]。
年譜編集
- 1963年12月23日 - 「あゆみの箱」発足
- 1965年2月6日 - 第1回チャリティーショーを新宿厚生年金会館にて開催[9]
- 1966年3月13日 - 第2回チャリティーショーを日本武道館にて開催[9]
- 1967年4月9日 - 第3回チャリティーショーを日本武道館にて開催[9]
- 1968年3月23日 - 第4回チャリティーショーを東京体育館にて開催[9]
- 1968年3月28日 - 第5回チャリティーショーを東京体育館にて開催[9]
- 1970年3月28日 - 第6回チャリティーショーを新宿厚生年金会館にて開催[9]
- 1971年3月30日 - 第7回東京大会を東京宝塚劇場にて開催[9]
- 1972年3月30日 - 第8回東京大会を東京宝塚劇場にて開催[9]
- 1973年3月30日 - 第9回東京大会を東京宝塚劇場にて開催[9]
- 1974年3月30日 - 第10回東京大会を東京宝塚劇場にて開催[9]
- 1975年3月30日 - 第11回東京大会を東京宝塚劇場にて開催[9]
- 1976年3月30日 - 第12回東京大会を帝国劇場にて開催[9]
- 1977年3月31日 - 第13回東京大会を帝国劇場にて開催[9]
- 1978年3月30日 - 第14回東京大会を帝国劇場にて開催[9]
- 1979年3月30日 - 第15回東京大会を帝国劇場にて開催[9]
- 1980年3月30日 - 第16回東京大会を日比谷公会堂にて開催[9]
- 1981年3月21日 - 第17回東京大会をNHKホールにて開催[9]
- 1982年4月26日 - 第18回東京大会を国立大劇場にて開催[9]
- 1983年5月3日 - 第19回東京大会を五反田簡易保険ホールにて開催[9]
- 1984年3月27日 - 第20回東京大会を日本橋三越劇場にて開催[9]
- 1985年4月15日 - 第21回東京大会を新橋ヤクルトホールにて開催[9]
- 1986年3月23日 - 第22回東京大会を五反田簡易保険ホールにて開催[9]
- 1988年5月18日 - 第23回東京大会を新橋ヤクルトホールにて開催[9]
- 1992年6月8日 - 創立30年記念大会(事実上の第24回東京大会)を東京八重洲富士屋ホテルで開催[9]
- 1993年10月9日 - 第25回東京大会を木村優希[要曖昧さ回避]後援会の協力を得て、有楽町マリオンにて開催[9]
- 2000年10月9日 - 天地総子芸能生活40周年記念チャリティコンサート(共同通信社後援)を新橋ヤクルトホールにて開催[9]
- 2001年8月3日 - 4日 - 街頭募金キャンペーン「あゆみの箱原点に還る」を実施[9]
- 2011年12月21日 - 公益社団法人に認定[1]
- 2017年5月17日 - 団体登記終了。[10]
組織編集
※ 2017年の解散時
- 会長
- 副会長
- 専務理事
- 常務理事
- 理事
- 顧問
- 名誉顧問
- 創設者
- 伴淳三郎[11]
- 永世名誉会長
- 森繁久彌[11]
- 永世名誉顧問
活動編集
推薦型配分事業編集
前年度に集められた募金箱による寄付を、全国の障害児者や要介護高齢者とその施設、関連事業を行う法人や団体に、金員や物品として毎年12月に配分[14]。年末配分・クリスマスプレゼントとも。2012年度は全国108ヶ所の福祉施設に、総額3414855円分の洗浄器や自走式車椅子を寄贈している[15]。
公募型一般助成事業編集
公募や法人への配分の申し込みに対して、申し込まれた金員や物品を配分[14]。2012年度は全国14団体から公募があり、総額958742円が配分された[15]。なお、公募は「あゆみの箱」以外にも東京都社会福祉協議会が発行する「ボランティア・市民活動ガイドブック」でも行っている[15]。
車椅子清掃ボランティア助成事業編集
2009年より開始[1]。障害児者、要介護高齢者施設などで使われる車椅子を清掃するボランティアに対し関連経費を負担することで、ボランティアが長期的かつ安定的に活動が出来る環境づくりを図る[14]。ボランティアを新たに始める団体には、体験ボランティアや講習会を実施し、活動が円滑かつ長期的に行えるよう助言する[14]。
災害物資支援事業編集
自然災害に被災した障害児者や要介護高齢者、関連施設に対し物資援助を行う[14]。東日本大震災の被災者にも積極的に援助を展開した。
障害者スポーツ支援事業編集
障害者がスポーツを通して協調性や向上心を養うなどの趣旨に賛同し、障害者スポーツ事業を支援[14]。2013年12月4日には一般社団法人精神障害者地域生活支援とうきょう会議が主催する、東京都精神障害者スポーツ交流祭・第30回バレーボール大会に、練習用のソフトバレーボール78個と大会賞品5点を寄付した[16]。
年会費・特典編集
法人会員は年会費が1万円、個人会員は年会費が3000円となっている[17]。会員になると、会員証の発行、バッジの贈呈、会報(年1回)、イベント案内の特典が付く[17]。
募金箱編集
これまで5度リニューアルが図られており、2007年以降現在まで使われているのが6代目となる[18]。初代は上述の通り、撮影所の大道具担当者が余った板木で作ったもので、2代目以降現在まで使われているものには「あゆみの箱」の題字が印刷[18]。5代目のみプラスチック製であったが、それ以外は木製か強化ダンボールを使用している[18]。
現在、商店、飲食店、レストラン、銀行、信用金庫の他ホテルなど、日本国内各地に約8000箱が設置。過去24000箱を超える出庫を記録したことから、より多くの賛同者を募るべく広報活動も行なっている(「もう一箱運動」)[19]。
募金箱を設置している金融機関としては、青森銀行、岩手銀行、神奈川銀行、高知銀行、荘内銀行、七十七銀行、スルガ銀行、中京銀行、東京都民銀行、名古屋銀行、西日本シティ銀行、東日本銀行、山形銀行、北空知信用金庫、さがみ信用金庫、さわやか信用金庫、城北信用金庫、豊田信用金庫、西尾信用金庫の各支店と、あおぞら銀行新宿支店、西武信用金庫恵比寿支店がある[17]。
寄付の振込先編集
郵便局、三井住友銀行恵比寿支店、みずほ銀行恵比寿支店、三菱東京UFJ銀行恵比寿支店、楽天銀行第一営業支店の5金融機関の他[17]、募金箱を設置している金融機関で寄付の振り込みが可能[17]。
坂本九と「あゆみの箱」編集
歌手、映画俳優、司会者として八面六臂の活躍を見せた坂本九が、熱心に取り組んだのが「あゆみの箱」運動であった[20]。
上述の通り、創設間もない頃から街頭募金活動やチャリティショーに参加[21]、その後は手話の普及や「ふれあい広場・サンデー九」(札幌テレビ、1976年 - 1985年)の司会を務めるなど、一連の福祉関連の慈善事業に関わるようになった。また、1965年に自身が発表したシングル盤レコード『ともだち』は、あゆみの箱のテーマソングとして世に出たものでもある。
坂本九の熱心なチャリティ活動は世間の評価を受け、坂本自身も伴や森繁の後継者とも目されていた。周囲も「次の世代は、九ちゃんがあゆみの箱を背負ってやるんだ」と納得していたという[22]。しかし、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故により43歳で死去。
元妻の柏木由紀子や実娘の大島花子は坂本の遺志を受け継ぎ、理事の黒柳を通じ「あゆみの箱」事務局を訪問、障害者支援団体の立ち上げを計画している[22]。
アマチュア無線家向け広報活動編集
設立50周年を迎えた2013年12月1日から翌年1月31日にかけて、日本アマチュア無線連盟(JARL)特別局「8N1AB」を運用[23]。通常オペレーターに参加できるのはJARL会員のみだが、非JARL会員でもゲストオペレーターという形で「8N1AB」の運用が可能であった[23]。
関連項目編集
脚注編集
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 募金活動のはじまりあゆみの箱公式サイト
- ^ a b c 公益社団法人 あゆみの箱あゆみの箱公式サイト
- ^ 野田洋典『あゆみの箱 芸能人が始めたボランティア』KTC中央出版、2002年、p.210
- ^ “【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.66 あゆみの箱(日本)”. CANPAN・NPOフォーラム. canpan (2018年3月7日). 2019年1月6日閲覧。
- ^ a b 「あゆみの箱」義援金届ける さをり事業拠点移転に活用 石巻2014年3月28日 石巻かほくメディア 猫の目
- ^ 新宿厚生年金会館大ホール あゆみの箱チャリティショー坂本九公式サイト
- ^ 野田 2002年 p.52
- ^ 野田 2002年 p.55
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 野田 2002年 pp.210
- ^ “公益社団法人あゆみの箱の情報(法人番号7011005003641)”. 法人番号公表サイト(社会保障・税番号制度). 国税庁. 2019年1月5日閲覧。 “登記記録の閉鎖等(清算の結了等) 事由発生年月日:平成29年5月17日”
- ^ a b c d e f g h i j k l あゆみの箱の組織構成あゆみの箱公式サイト
- ^ 天地総子ホームページ
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 野田 2002年 p.220
- ^ a b c d e f 事業内容・事業報告書あゆみの箱公式サイト
- ^ a b c 平成24年度配分1・配分事業(推薦型)一覧あゆみの箱公式サイト
- ^ 東京都精神障害者スポーツ交流祭 第30回バレーボール大会あゆみの箱公式サイト
- ^ a b c d e 会員募集あゆみの箱公式サイト
- ^ a b c あゆみの箱あゆみの箱公式サイト
- ^ 「もう一箱運動」のお知らせあゆみの箱公式サイト
- ^ 救われた命を音楽と慈善活動に捧げた坂本九本の話WEB
- ^ あゆみの箱チャリティ坂本九公式サイト
- ^ a b 野田 2002年 pp.124
- ^ a b あゆみの箱創立50周年JARL特別局「8N1AB」が、全国のアマチュア無線家に向けOPを広く募集中!hamlife.jp
- ^ 森進一「ひとつの山を越えた」、じゃがいもの会23年の歴史に幕オリコンスタイル
外部リンク編集
- あゆみの箱公式サイト - ウェイバックマシン(2009年12月20日アーカイブ分)