お迎え現象

人が死亡する前に実際はいないはずの人を見る現象
〔終末期にあった父親が〕へやのすみにだれかいるって言うのでだれなのって聞くと「母ちゃんだ」迎えにきたのかって会話してました。なくなる1ヶ月ぐらい前です。

—2007年宮城県、在宅ホスピス調査より[1]

お迎え現象(おむかえげんしょう)は、終末期患者が自らの死に臨み、すでに亡くなった家族や知人といった、通常見ることのできない事物を見る経験のことである[2][1]仏教における来迎とも類似する概念であるが、典型的な「お迎え」体験において阿弥陀如来といった神仏が現れることは少なく、明確な宗教性を帯びていない点に特徴がある[1]。また、コミュニケーション可能な意識下での経験であることから、生命の危機から蘇生したときに経験される臨死体験とも異なるものである[2]

日本における在宅緩和医療の現場において、終末期患者のこうした「お迎え」体験が報告されることは珍しいことではない[3]。医学的にはこうした体験は終末期に多々見られるせん妄の一種、あるいはとして解釈されるが、文化的・宗教的背景を濃厚に有すること、さらには、患者本人やその遺族の精神的苦悩の緩和にとって意義深い役割を担いうることから、学術的研究の対象ともなっている[4]

概要編集

「お迎え」体験の初期の記録は松谷みよ子の『現代民話考』に収録されている。諸岡了介は同書に収録される民話を整理することで、日本におけるこうした現象は、20世紀初頭にまで遡りうるものであり、少なくとも太平洋戦争期以降においては全国的な分布が見られることを示した。同書に表れる58件の記録のうち最も古いものは明治中期の高知県における記録であり、迎えに来たのはであった。諸岡はこうした「お迎え」の記述が遠野物語には一切残されていないことに注目し、こうした現象が典型的なものとなる過程には、日露戦争太平洋戦争といった戦争経験による国民の死生観の変遷が関わっているのではないかと論じている[1]

その後もこうした現象は散発的に報告されていたが[1]、本格的な調査は2000年代医師である岡部健の呼びかけにより開始された[2]2007年に実施された、仙台市内の在宅緩和ケア利用者遺族を対象とした調査では、有効回答366票のうち4割にあたる155票が「故人が死の直前期に、他人にはみえない人の存在や風景について語った」ことがあったと答えている[2]

上述の在宅緩和ケアグループの医師河原正典によれば、死に行く人が見る最も多いお迎えはすでに亡くなった両親や友人であるが、飼っていたペット故郷などを見るケースも報告された。また、「お迎え」を経験した人の90%は穏やかな最期を迎えることができたと報告されている。河原は、お迎え現象は脳の活動低下による幻覚だとみている[5]。在宅緩和ケアグループでは、緩和医療の現場で、お迎え現象などの幻覚は「穏やかな死のプロセスの一つ」だと患者に説明している[5]

東京大学名誉教授大井玄は、お迎え現象について、記憶経験などを再構築する人間の脳のはたらきのためではないかと考え、苦痛に対処するための「心理的な自衛作用」ではないかと述べている[5]

この現象についての調査を行った在宅ケアグループ理事長である岡部健が医師として勤務していた東北大学では、2012年度より死との向き合い方を研究する臨床死生学講座が開始された。お迎え現象などについて考えるため宗教者の観点も参照したいと考えている。東北大学文学研究科准教授谷山洋三は、「宗教者という役割を一つの社会資源と捉え、(…)社会で利用できる」ようにする必要性を説いている[5]

関連項目編集

脚注編集

参考文献編集