ぐんま車両センター(ぐんましゃりょうセンター)は、群馬県高崎市双葉町に所在する東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社首都圏本部の管轄。

ぐんま車両センター
基本情報
日本の旗 日本
鉄道事業者 東日本旅客鉄道
帰属組織 首都圏本部
所属略号 都クン、群
最寄駅 上信電鉄南高崎駅
旧称 (高崎第一機関区・高崎客貨車区との統合前は後述を参照)
高崎運転所→高崎車両センター→高崎車両センター高崎支所
開設 1884年(明治17年)5月1日
車両基地概要
敷地面積 36,298 m2
配置両数
蒸気機関車 2両
電気機関車 3両
内燃機関車 12両
気動車 27両
客車 13両
合計 57両
備考 2023年4月1日現在のデータ[1][2]
敷地面積は有価証券報告書の値[3]
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概要 編集

本センターは、八高線高麗川駅 - 倉賀野駅間)と高崎線(倉賀野駅 - 高崎駅間)で定期運用に就く気動車や、高崎地区でやその他の地区で臨時列車などで運用されている客車、その臨時客車列車や不定期運用の工臨列車などを牽引する蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車と多種多様な車両を受け持ち、国鉄時代には名門と称された「高崎第一機関区」からその伝統と進取の気風を受け継いでいる車両基地[4]である。国鉄分割民営化直前に「高崎第一機関区」と「高崎客貨車区」が統合して「高崎運転所」と改称[5][6][注 1]、民営化後はJR東日本が継承、その後「高崎車両センター」[8][9]→「高崎車両センター高崎支所」[9]と名称が変遷し、2005年(平成17年)12月に現名称の「ぐんま車両センター」[9][10][11]となった。敷地は高崎線の線路の北側に沿って広がっており、高崎駅に隣接する客車庫エリア[4]、高崎駅南東に存在する車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア[4]、本センター南の日本貨物鉄道(JR貨物)の高崎機関区に隣接する電気機関車留置エリア[4]と大きく3つに分かれている。

本センターへの出入庫は全て高崎駅側のみから行われ[4]、主な業務は、所属車両および高崎地区や他地区で運用されている電車などの留置、所属車両の仕業検査、交番検査などの車両検修や車両清掃などである。

本センターの源流と名称の変遷 編集

本センターの開設時の名称は「高崎機関庫」で、1884年(明治17年)5月に日本鉄道第一区線(現・高崎線)が上野駅 - 高崎駅間での営業開始[12]に伴って設置され[13]で、当時は、機関車や客車だけでなく貨車も所属[注 2]しており、高崎地区の運用車両を一手に受け持つ一大車両基地であった。日本鉄道の買収・国有化後、客貨車保修業務を「高崎機関庫」から分離する目的で「高崎検車所」および「高崎列車電灯所」(のち「高崎車電所」)を設置[15][注 3]して、客貨車検修部門は現在の客車庫エリアに移動、機関車検修部門は現地(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア、電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地[注 4])と車両管理の部門が一旦は分離することになった。

機関車検修部門は「高崎機関庫」→「高崎機関区」(初代)[17][注 5]と改称し、本センターの敷地の一部(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)が「高崎第一機関区」[4]、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地[注 4]が「高崎第二機関区」[18]として改組・分離した[注 6](両機関区の関係性などについては後述を参照)。

一方、客貨車検修部門は「高崎検車所」・「高崎車電所」から「高崎検車区」・「高崎車電区」[17][注 7]と改称→高崎検車区と高崎車電区が統合して「高崎客車区」[17][注 8](同時に高崎操車場に隣接する場所に「高崎貨車区」が発足[17][19])→高崎客車区、高崎貨車区などが統合して「高崎客貨車区」[5][6]と名称が変遷した。

国鉄分割民営化直前に「高崎第一機関区」と「高崎客貨車区」が統合して民営化後はJR東日本に「高崎運転所」[5][6][注 1]となり、再び機関車検修部門と客貨車検修部門が同一組織に統合された[注 9]。 その後は「高崎車両センター」[8][9]から「高崎車両センター高崎支所」[9]となり、現行の「ぐんま車両センター」[9][10][11]へと名称は変遷した。

上記から、本センターは一度機関車検修部門と客貨車検修部門が分かれたため、機関車部門は「高崎機関区」(初代)から「高崎第一機関区」、客貨車検修部門は「高崎検車所」・「高崎列車電灯所」から「高崎客車区」→「高崎客貨車区」が源流とも言える。しかし、それらの大元は同一組織であったため、その設立から現地で約140年間の歴史を刻んだ本センターの源流は「高崎機関庫」であると言える[13]

業務と設備 編集

前述のように、敷地は大きく3つのエリアに分かれており、客車庫エリアでは所属客車の留置[4]、車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリアでは、所属車両および他地区車両センター所属の電車などの留置、所属車両の仕業検査、交番検査などの車両検修や臨時検修、車体修繕、車両清掃などを行い[4]、電気機関車留置エリアでは所属電気機関車の留置[4]を主な業務としている。また、蒸気機関車や客車は車齢が60年を超える車両であるため、部品が破損した場合は、本センターの旋盤を使用して新たに製作したり[4]、乗降扉が手動である所属の旧型客車は、本センターで車掌スイッチで扉の閉めと走行中の開放を防ぐ電磁石を用いたロック装置を開発して、所属車両全車に取り付けた実績がある[4]。なお、これら業務の一部は協力会社(JR高崎鉄道サービス)に委託している[20]

設備面では、かつて蒸気機関車が全盛であった「高崎第一機関区」時代は、車両留置線群・検修庫エリアに大規模な給炭設備があり、SL検修庫エリアの転車台には多くの線路が繋がり、扇形機関庫も備えていた[21][22]。しかし、それらの設備は蒸気機関車廃車とともに廃止・縮小され、現状の車両留置線群・検修庫エリアは、事務所庁舎、車両検修庫、車両清掃台、機械洗浄機、車両留置線[4]、SL検修庫エリアの転車台は健在であるが、繋がる線路は縮小され、SL検修庫は扇形から個別型の3棟の検修庫となっている[4]。また、客車および電気機関車留置エリアは留置線のみである[4]

本センターと現・高崎機関区と高崎車両センターとの関係 編集

本センターは、日本鉄道時代に第一区線(現・高崎線)が1887年(明治17年)5月に上野駅 - 高崎駅間で営業開始[12]した際に開設された「高崎機関庫」を源流としているが、所属車両は機関車や客車だけでなく貨車も所属[14][注 2]した。その後、客貨車検修部門が「高崎検車所」および「高崎列車電灯所」(のち「高崎車電所」)を設置[15][注 3]して機関車検修部門と分離、1936年(昭和11年)9月に現業機関の呼称統一を目的[17][注 5]に「高崎機関区」(初代)に改称した際も、機関車検修部門は現地に残った。しかし、1945年(昭和20年)2月に本センターの敷地の一部(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)が「高崎第一機関区」[4]、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地[注 4]が「高崎第二機関区」[18]へと改組・分離[注 6]した後、1947年(昭和22年)10月の上越線全線電化[23]に伴い「高崎第二機関区」にEF12などの電気機関車が配置[24]された後は、「高崎第一機関区」は内燃機関車の配置区(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置[25][26][27])、「高崎第二機関区」は電気機関車の配置区[26][28][29](後に電車も配置[30][31][32])となった[注 10]。なお、「高崎第一機関区」は本センター[4]が、「高崎第二機関区」は現・高崎機関区[5][6]がそれぞれ継承している。

その後「高崎第一機関区」は、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月1日に「高崎客貨車区」と統合して「高崎運転所」[5][6]と改称、2004年(平成16年)4月1日には各線の運用車両を一括管理する「保全一元化施策」に伴って「高崎車両センター」と改称[8][9]したが、翌2005年(平成17年)12月10日の組織変更に伴い、新前橋電車区検修部門が「高崎車両センター」(本所)に、旧・「高崎車両センター」は本所の下部組織となる「高崎車両センター高崎支所」にそれぞれ改称[9]された。また、高崎車両センター(本所)の前身組織は、1956年(昭和31年)11月15日に「高崎第二機関区」に設置された電車検修・運転部門[30][31]で、現・高崎機関区が継承した「高崎第二機関区」とは別部門であるが、高崎車両センター(本所)と現・高崎機関区は、元は同一組織であった。

よって、上記を踏まえると、本センターと現・高崎機関区が「高崎機関区」(初代)時代は同一組織であり、現・高崎機関区と高崎車両センター(本所)は「高崎第二機関区」時代は同一組織であるとともに、全ての源流は日本鉄道時代の「高崎機関庫」あると云える。しかし、時代の変遷とともに、列車の運行は、機関車けん引の客車から電車へと移り変わり、貨物列車も別会社(JR貨物)へ移管、本センターは「高崎第一機関区」時代から気動車や客車、ディーゼル機関車などが配置されている基地であり、2005年(平成17年)12月10日の組織変更時点ですでに高崎支社管内のほとんどが電車による運行であるため、新前橋駅隣接の電車基地を「高崎車両センター」本所として、高崎地区の運用車両の中心基地として位置付け[33]、本センターは一時期本所の下部組織の支所として位置づけられ「高崎車両センター高崎支所」となったが、2022年(令和4年)3月12日に「ぐんま車両センター」と改称[9][10][11]し、本センターは高崎地区の内燃動力車基地と位置付けられた。

歴史 編集

本センターの前身は、1884年(明治17年)5月1日に日本鉄道によって設立された「高崎機関庫」[13]で、1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道の買収・国有化に伴い、管轄を官営鉄道に移管された後、1922年(大正11年)6月1日に客貨車保修業務を「高崎機関庫」から分離する目的で「高崎検車所」および「高崎列車電灯所」(のち「高崎車電所」)を設置[15][注 3]して、「高崎機関庫」は機関車部門、「高崎検車所」・「高崎列車電灯所」は客貨車部門と別れた。1936年(昭和11年)9月に現業機関の呼称統一を目的[17]に機関車部門の「高崎機関庫」と客貨車部門の「高崎検車所」・「高崎車電所」はそれぞれ「高崎機関区」[注 5]、「高崎検車区」・「高崎車電区」へ改称[注 7]、1943年(昭和18年)10月1日に高崎操車場開設[16]に伴い、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地に「高崎機関区」(初代)および「高崎検車区」・「高崎車電区」の貨物部門を設置した。機関車部門は1945年(昭和20年)2月1日に「高崎機関区」が「高崎第一機関区」[4](車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)と「高崎第二機関区」[18](電気機関車留置エリアとJR貨物高崎機関区の敷地)に改組・分離[注 6]され、1947年(昭和22年)10月1日の上越線全線電化[23]に伴い「高崎第一機関区」は内燃機関車の配置区(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置[26][27])となった。また、1949年(昭和24年)1月1日には高崎第一機関区渋川支区を設置した[26]

一方、客貨車部門は1949年(昭和24年)6月1日の日本国有鉄道法の発令による日本国有鉄道(国鉄)が発足後の1951年(昭和26年)4月1日に高崎検車区と高崎車電区が統合され「高崎客車区」に改称[17][19][注 8]、同時に高崎操車場に隣接する場所に「高崎貨車区」が発足[17][19]して、一旦は客車部門と貨車部門が分離したが、1986年(昭和61年)3月14日に高崎客車区、高崎貨車区などが統合して「高崎客貨車区」に改称[5][6]して再び客車部門と貨車部門が同一組織内に収まった。

時期不詳であるが、桐生機関区[26][注 11]が、「高崎第一機関区桐生支所」へ改称[注 12]され、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月1日に「高崎第一機関区」と「高崎客貨車区」が統合して「高崎運転所」が発足[5][6][注 9]、同時に高崎第一機関区桐生支所が「高崎運転所桐生支所」へ改称[35]、1989年(平成元年)3月29日にJR足尾線の第3セクター化に伴い、高崎運転所桐生支所がわたらせ渓谷鐵道へ管轄が移管[35]され、2004年(平成16年)6月に「高崎運転所」を「高崎車両センター」(本所)へ改称[8][9]、2005年(平成17年)12月10日の組織変更に伴い、新前橋電車区の検修部門を高崎車両センターに、旧・高崎車両センターは「高崎車両センター高崎支所」にそれぞれ改称[9]、2022年(令和4年)3月12日に高崎車両センター高崎支所が「ぐんま車両センター」として独立した[9][10][11]

年表 編集

  • 1884年明治17年)5月1日 - 日本鉄道高崎機関庫発足[13]
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道の買収・国有化に伴い、管轄を官設鉄道に移管。
  • 1922年大正11年)6月1日 - 客貨車保修業務を「高崎機関庫」から分離する目的で高崎検車所および高崎列車電灯所を設置[15][注 3]
  • 1928年昭和3年)- 高崎列車電灯所が高崎車電所へ改称。
  • 1934年(昭和11年)9月1日 - 高崎機関庫は高崎機関区(初代)[注 5]に、高崎検車所は高崎検車区に、高崎車電所は高崎車電区それぞれ改称[17][注 7]
  • 1943年(昭和18年)10月1日 - 高崎操車場開設[16]に伴い、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地に高崎機関区(初代)および高崎検車区・高崎車電区の貨物部門を移設。
  • 1945年(昭和20年)2月1日 - 高崎機関区(初代)が高崎第一機関区高崎第二機関区に改組・分離[4][注 6]
  • 1947年(昭和22年)10月1日 - 上越線全線電化[23]に伴い、高崎第二機関区所属の蒸気機関車が高崎第一機関区へ移籍、同機関区は内燃機関車の配置区(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置[26][27])となる。
  • 1949年(昭和24年)
    • 1月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を設置[26]
    • 6月1日 - 日本国有鉄道法の発令により、日本国有鉄道が発足。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 高崎検車区と高崎車電区が統合高崎客車区が発足[6][5]。同時に高崎貨車区が発足[17][19][注 8]
  • 1967年(昭和42年)6月1日 - 高崎第一機関区渋川支区を廃止。
  • 時期不詳 - 桐生機関区[26]高崎第一機関区桐生支所へ改称[注 11][注 12]
  • 1986年(昭和61年)3月14日 - 高崎客車区、高崎貨車区などが統合高崎客貨車区に改称[5][6]
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月1日 - 高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合高崎運転所が発足[6][5]、機関車と客車の保守を受け持つ[注 9]。同時に高崎第一機関区桐生支所が高崎運転所桐生支所へ改称[35]。高崎第一機関区の乗務員は高崎電車区に、高崎客貨車区の貨車部門は現・高崎機関区に移管。
    • 4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に移管。
  • 1989年平成元年)3月29日 - JR足尾線の第3セクター化に伴い、高崎運転所桐生支所がわたらせ渓谷鐵道へ管轄が移管[35]
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 高崎運転所を高崎車両センターへ改称[9]
  • 2005年(平成17年)12月10日 - 組織変更に伴い、新前橋電車区検修部門が高崎車両センター(本所)に、旧・高崎車両センターは本所の下部組織となる高崎車両センター高崎支所にそれぞれ改称[9]
  • 2022年令和4年)3月12日 - 高崎車両センター高崎支所がぐんま車両センターとして独立[9][10][11]

配置車両に記される略号 編集

 
ぐんま車両センター 所属略号
 
ぐんま車両センター発足前・旧高崎支所 機関車区名札
  • 旅客車 - 「クン」…高崎支社を意味する「(高)」と、ぐんま(群馬)を意味する「クン」から構成される。ぐんま車両センター発足時に「タカ」から変更された。
  • 機関車 - 「」…ぐんま車両センターを意味する「群」を標記。旧高崎支所を意味する「高」から変更された。同所に所属する秩父鉄道の蒸気機関車C58 363も他の機関車と同じく「高」と標記していたが、こちらは同所発足時に「」へ変更された。

配置車両 編集

2023年4月1日時点の配置車両は以下の通り[1][2]

配置車両は、定期運用に就く八高線キハ110系気動車および事業用のGV-E197系気動車、高崎地区でやその他の地区で臨時列車などで運用されている12系客車およびスハ43系などの旧型客車の他、動態保存されている蒸気機関車、臨時客車列車や不定期運用の工臨列車などを牽引するディーゼル機関車および電気機関車と多種多様な車両が配置されている。

電車 気動車 機関車 客車 合計
0両 27両 17両 13両 57両

気動車 編集

キハ110系(21両)

  • キハ110形200番台9両、キハ111形・キハ112形200番台2両編成6本(12両)が配置されている。
  • 八高線高麗川 - 倉賀野間)と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されている。
  • 全車、側面の行先表示器が字幕式から3色LED式に変更された。

GV-E197系(6両)

  • GV-E197形2両編成1本(2両)、GV-E196形4両が配置されている。
  • ディーゼル機関車とホキ800形の置き換えを目的とした事業用車両である。

蒸気機関車 編集

D51形(1両)

C61形(1両)

  • 20号機が在籍する。2011年3月30日より配置。快速「SLぐんま みなかみ」「SLぐんま よこかわ」を中心に運用。

C58形(1両)

  • 秩父鉄道所有の363号機が在籍する。ぐんま車両センター発足後も引き続き同所に管理を委託されているが、区名札の標記は「群」ではなく「秩」となっている。

電気機関車 編集

在籍する3機のうちEF64 1001号機は旧型客車電気暖房用のMG[注 13]を搭載している。

EF64形(2両)

  • 1000番台2両 (1001, 1053) が在籍(1001号機はMG搭載、1053はMG未搭載)。
  • 1001号機は茶色(ぶどう色1号)の車体に白帯を一本巻いた塗色であったが、2017年10月の全般検査の際に国鉄新性能直流電気標準色で出場している。
  • 1001号機、1053号機は主に高崎地区を発着する工事臨時列車や配給列車を中心に運用され、その他イベント列車への充当頻度も高い。
  • この他37号機、1052号機も在籍していたが、両機は2021年11月8日に秋田総合車両センターへ回送[36]され、10日付で廃車となった[37]
  • 37号機は2019年の全般検査より国鉄新性能直流電機標準色(青15号クリーム1号)で、2003年4月から2019年2月まで茶色(ぶどう色2号)一色塗装であった。運用は主に高崎地区および甲信方面への工事臨時列車配給列車が中心で、イベント列車への充当頻度は低かった。
  • 1052号機は2019年3月に施工された全般検査において1001号機と同様の塗色となって出場[38]し、その後は1001号機や1053号機と共通で運用されていた。

EF65形(1両)

  • P形の501号機が在籍。
  • 主に両毛線を経由する配給列車・工事臨時列車を中心とする運用。イベント列車への充当頻度も高い。

ディーゼル機関車 編集

すべてSG未搭載機である。

DD51形(2両)

  • 2両 (842, 895) が在籍。
  • 2両 (842, 895) はお召し列車牽引の対応工事を実施済み。またE655系「和(なごみ)」が特別車両E655-1を連結しお召し列車として非電化区間で運行される際の牽引機としての役割も持っている。
  • 八高線・吾妻線における工事臨時列車や清水トンネルにおける停電時における非常用救援機としての役割をになっている。

DE10形(9両)

  • 1500番台9両(1571,1603,1604,1654,1685,1697,1704,1705,1752) が在籍。同所での車両入換、関東地区の業務用列車(工臨や客車入換)、臨時列車を担当する。
  • 当所の他、関東地区各地で任務を担当するため田端運転所幕張車両センター木更津派出水戸運輸区にも常駐する。
  • 1705号機はEF64 1052と同様の茶色(ぶどう色1号)に白帯を配した塗色。
  • 残りの9両は2017年3月4日付で宇都宮運転所から転入[39]
  • 1698号機は2013年2月4日に発生した車両火災により廃車。
  • 1751号機は2022年2月1日付で廃車。

DE11形(1両)

  • 1041号機が在籍。2016年12月21日付で宇都宮運転所から転入した[39]

客車 編集

12系客車(6両)

  • 波動用の座席車5両(スハフ12 161, 162、オハ12 366, 367, 369)と蒸気機関車伴走用の控車(オヤ12 1)が配置されている。
  • オハ12 368は2023年3月30日付で廃車された[2]

旧型客車(7両)

上記の7両は蒸気機関車牽引列車(SL列車)およびイベント列車用で、いわゆる旧型客車である。これらの「旧型客車」は、2011年に下記の整備が行われた[40]

  • 乗降ドアの集中鎖錠装置設置による半自動化(すべてのドアを閉めた状態でスイッチ操作によりロックを掛けられるもの)[注 14]
  • 汚水処理タンク搭載によるトイレの水洗化および便洗面所自体のリニューアル工事を施工(オハ47形全車)。
  • 機関車の平軸受温度監視システムを客車側でモニターするためのジャンパ連結器 (KE100) を左右両栓構造で設置。
  • 蒸気機関車牽引時に蒸気暖房を使用できるようにするための引き通し管の再整備。
  • スハフ32形、スハフ42形、オハニ36形の尾灯はLED方式に変更し、バッテリーの耐久性を増強する機械を各車トイレ室に設置(そのためトイレ室の利用は不可)。
  • バッテリーへの負荷を最小限に抑えるため、客室の室内灯を従来の蛍光管から白熱灯をイメージした電球色LEDに交換[注 15][41]。なお、交換作業は2012年秋から2013年春までの間に実施された。

これらの旧型客車は2019年(令和元年)10月28日を最後に一旦営業運転から離れ[42]、翌2020年(令和2年)4月 - 6月にかけて行われる予定だった群馬デスティネーションキャンペーンに向け、大規模なリニューアル工事が施工された[43]

過去の配置車両 編集

気動車 編集

キハ30・35形気動車

キハ38形気動車

  • 1986年にキハ35形の車体を載せ換えた、車両更新車である。
  • 1996年の八高線八王子 - 高麗川間の電化まで、八高線全線と高崎線(倉賀野 - 高崎間)で運用されていた。キハ30・35形と同時に八高線の運用を終了した。
  • 運用終了後は全車が幕張車両センター木更津派出に転出し、久留里線で運用された。

キハ40形気動車

  • キハ40形のみが所属しており、1989年まで足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)で運用されていた。
  • 運用終了後は東北地区のキハ40系運用路線に転出した。

キハ20形気動車

  • キハ20形のみが所属しており、1989年まで足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)で運用されていた。
  • 運用終了後は廃車された。

機関車 編集

EF63形

  • 1997年の横川運転区廃止から翌年にかけての除籍までの間、21両(2 - 4, 6 - 8, 10 - 13, 15 - 25)が配置されていた。
  • 在籍中は運用されず、運転自体も大宮への展示回送など僅かであった。
  • 1998年9月10日に22号機が除籍されたことにより配置が消滅した。

EF55形

  • 1号機が配置されていた。
  • 国鉄時代の1986年から2009年まで高崎市社管内の客車列車(観光列車)などの牽引に使用されていた。2015年4月12日に廃車され鉄道博物館で常設展示されている。準鉄道記念物

EF60形

  • 19号機が配置されていた。
  • 高崎支社管内の工事用臨時列車を中心の運用。イベント列車への充当頻度も高かった。
  • 2007年にかつて配置されていた12系和式客車「やすらぎ」に準じた塗装から国鉄標準色に変更された。
  • 2010年に2エンド側の前灯シールドビーム2灯から原型の白熱電球1灯に復元され、のちに1エンド側も1灯に復元された。
  • 2019年7月1日に秋田総合車両センターへ回送[44]、3日付で廃車された[45]

客車 編集

12系客車(お座敷列車)

  • 波動用の座席車が現在よりも多く配置されていたほか、お座敷列車のジョイフルトレインやすらぎ」・「くつろぎ」も配置されていた。
  • 座席車のうち6両は、1996年5月に西武鉄道E851形電気機関車さよなら運転実施に伴い、同社に貸し出され、一時的に西武の車籍が入れられた[46]
  • お座敷列車は、車両の老朽化が進み、客車であることから機回しが必要で、運用面で煩雑となり、485系の「やまなみ」「せせらぎ」(2本とも後に「リゾートやまどり」に改造)が代替として導入された。
  • 運用終了後は「くつろぎ」の一部が碓氷峠鉄道文化むらに保存され、「やすらぎ」の一部がわたらせ渓谷鐵道に譲渡された。

スエ78形

  • 1両(15)が在籍していた。
  • 戦災復旧車であるマユニ78 21からの改造車。救援車で3軸ボギー台車を装着した最後の営業用車両であったが、2007年2月28日に除籍され、その後解体された。

マニ50形

  • 1両(2185)が在籍したが、2019年6月7日付で除籍された。

オハフ50形

  • 2両(2501, 2502)が在籍していたが、2001年6月10日に除籍された。

貨車 編集

チキ6000形

  • レール輸送用長物車
  • 2020年9月30日付で1両(6016)が廃車、2021年9月9日付で2両(6052・p6155)が廃車され、配置がなくなった。

ホキ800形

  • 7両が配置されていたが、2022年7月1日付けで廃車され[2]、配置がなくなった。
  • バラスト輸送・散布用ホッパ車。高崎支社管内の在来線で使う砕石は、吾妻線小野上駅から搬出される関係で、小野上駅常備となっていた。

トラ90000形

  • トロッコ列車用に4両(90647, 90856, 91318, 91339)が在籍していた。
  • 上記順各車に「浅間」「妙義」「赤城」「榛名」の愛称が与えられていた。
  • 前述のオハフ50形の登場により、1997年10月に除籍された。
  • トラ90000形

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b この改称は、国鉄時代の現業機関を分割民営化の際に旅客・貨物会社別に明確に区別するための改称であり[7]、基本的に旅客会社は「電車区」・「気動車区」・「客車区」・「運転区」・「運転所」の5種類、貨物会社は「機関区」・「貨車区」の2種類として、それぞれの会社発足時までに改称させた[7]
  2. ^ a b 貨車は、上毛地方の生糸を鉄道貨物で横浜港までの輸送[14]を主な用途として所属した。生糸は当時最大の日本の輸出品であり、当時貨物や旅客輸送の主流であった舟運に対抗するため、日本鉄道は貨物運賃の割引制度を取り、同年8月に前橋駅まで延伸されると、鉄道貨物の重要性がますます認識されていった[14]。輸送ルートは、第一区線 - 品川線(現・埼京線赤羽駅 - 山手線品川駅間)経由で品川駅で官設鉄道と接続して横浜方面へ輸送した[14]
  3. ^ a b c d 「検車所」は、客貨車の車体部門の検修を担当[15]、「列車電灯所」は、客貨車の電気装置の検修を担当[15]する車両基地である。なお、「列車電灯所」は客貨車の電灯だけでなく、電気暖房機、扇風機などの電気機器類や蓄電池、各部門の蓄電池の保守を広範囲に担当するようになり、実態に沿わないようになったため、1928年(昭和3年)に「車電所」と改称された[15]
  4. ^ a b c ただし、本センター電気機関車留置エリアと現・高崎機関区の敷地は、1943年(昭和18年)10月1日の高崎操車場開設時[16]に「高崎機関区」(初代)および「高崎検車区」・「高崎車電区」の貨物部門が移設したときに設けられた。
  5. ^ a b c d この改称は、現業機関の呼称統一によるもので[17]、特に、「高崎機関庫」→「高崎機関区」(初代)への改称は、後述の高崎第二機関区→高崎機関区(JR貨物)の改称とは意味合いが違う。
  6. ^ a b c d 改組・分離直後は「高崎第一機関区」は旅客部門を担当、「高崎第二機関区」は貨物部門を担当した。
  7. ^ a b c この改称も、現業機関の呼称統一によるもので[17]、他に「電車庫」も「電車区」と呼称統一された(ただし、この時点では高崎地区に電車区は存在しない)。
  8. ^ a b c この改称は、国鉄発足後の現業機関の改正の一環で、従来の「検車区」と「車電区」を廃止して、「客車区」・「貨車区」・「客貨車区」となって客貨車の機械、電気の全装置、蓄電池機器、各種蓄電池の検修業務を引き継いだ[17]
  9. ^ a b c 同運転所発足時に、「高崎第二機関区」敷地であった本センター電気機関車留置エリアと同機関区所属だったEF55形EF60形などの電気機関車の一部と「高崎客貨車区」所属の貨車の一部は「高崎運転所」に移管した[6]。なお、「高崎第二機関区」時代からの貨物列車用のEF64形EF65形は、現・「高崎機関区」の配置となった[6]
  10. ^ 前述の両機関区の所属機関車の内燃・電気分担後は、旅客・貨物両部門を受け持つ機関区となった[27][29]
  11. ^ a b 桐生機関区は、旧・国鉄足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線)用の機関車および気動車の所属基地で、蒸気機関車(代表形式はC12形蒸気機関車)4両と気動車6両が所属していた[26]
  12. ^ a b 足尾線の貨物列車牽引機関車がDE10形ディーゼル機関車へ置き換えられた後、同DLを高崎第一機関区〔高一〕所属で桐生支所常駐車として所属させた[27]。なお、足尾線用C12形蒸気機関車は、1970年(昭和45年)9月30日に運行が廃止された(同年10月4日さよなら運転実施)[34]
  13. ^ EGともいう。車体側面の助士席側にEG灯と呼ばれる黄色い灯火を装備していることが搭載車の特徴である。
  14. ^ 開閉そのものについては開扉は従来どおり手動で、閉扉のみドアクローザを利用して遠隔操作可能とした。
  15. ^ 特にオハニ36については、元々客室照明が製造当初の白熱灯のままであったため、ガラスグローブを流用し中身のみLED照明に交換した。

出典 編集

  1. ^ a b ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表 2023』交通新聞社 2023年6月15日 「ぐんま車両センター」p.47, 48, 50, 55 ISBN 978-4-330-02623-7
  2. ^ a b c d 鉄道ファン編集部「JR旅客会社の車両配置表(別冊付録)」『鉄道ファン』2023年7月号、交友社、2023年7月、ぐんま車両センター pp.4, 14, 15, 34。 
  3. ^ 第35期有価証券報告書 41頁 (PDF) - 東日本旅客鉄道
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター高崎支所 朝日新聞出版、2015年、pp.84 - 85、ISBN 978-4-02-331378-1
  5. ^ a b c d e f g h i j 鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1987年5月号「特集:国鉄分割民営化関連特集号」内 編集部著 国鉄分割・民営化関連Q&A <別表>現業機関名所変更(昭62.3.1)p.44
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  7. ^ a b 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」内 小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 p.48
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  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ジェー・アール・アール編「JR現業機関一覧表」『JR気動車客車編成表 2022』交通新聞社、2022年6月16日、222頁。ISBN 978-4-330-03222-1 
  10. ^ a b c d e 「JR車両ファイル2022」『鉄道ファン』2022年7月号、交友社、2022年7月1日、36 - 37頁。 
  11. ^ a b c d e ひらがな表記に! 「ぐんま車両センター」誕生(旧・高崎車両センター高崎支所名称変更)”. 鉄道ホビダス. カルチュア・エンタテインメント株式会社 ネコ・パブリッシング カンパニー (2022年4月4日). 2022年5月1日閲覧。
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  14. ^ a b c d 松平乘昌『図説日本鉄道会社の歴史』河出書房新社〈ふくろうの本〉、52頁。 
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  16. ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、449頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
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参考文献 編集

  • ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表』 各年号、交通新聞社、「高崎運転所→高崎車両センター→高崎車両センター高崎支所→ぐんま車両センター」の頁。 
  • ジェー・アール・アール編「JR現業機関一覧表」『JR気動車客車編成表』 各年号、交通新聞社、東日本旅客鉄道の頁。 
  • 「別冊付録 国鉄客車編成表国鉄機関車・客車配置表 高崎第一〔高一〕・高崎第二〔高二〕」『復刻版国鉄客車ガイド』、交通新聞社、2013年12月15日、32,38頁、ISBN 978-4-330-42613-6 
  • 「国鉄電車関係業務一覧表」『復刻版 国鉄電車編成表 86年版』ジェー・アール・アール、2017年6月1日、160頁。ISBN 978-4-330-79517-1 
  • 交通新聞社『鉄道ダイヤ情報』2016年5月号 解説:結解学 シリーズ車両基地 2016 Vol.30「JR東日本 高崎車両センター」p.62
  • 『鉄道ファン』 各年 JR旅客会社の車両配置表(別冊付録も含む)、交友社〈特集:JR車両ファイル〉、「東日本旅客鉄道 機関車 気動車 客車 貨車 高崎運転所→高崎車両センター→高崎車両センター高崎支所→ぐんま車両センター」の頁。 
  • 電気車研究会・鉄道図書刊行会鉄道ピクトリアル』2001年9月号「特集:JR高崎・宇都宮線」武内浩一(東日本旅客鉄道㈱新前橋電車区副区長)著 新前橋電車区の概要 p.41
  • 電気車研究会・鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』2017年8月号「特集:上越線電化70年」
    • 伊藤威信著 一九五〇〜六〇年の代 上越線を往来した列車の思い出 p.30
    • 祖田圭介(元㈶鉄道総合技術研究所)著 上越線の線路をたどる p.53
  • 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1983年10月号「特集●輸送の中枢-車両基地」
    • 鳥取彰(富士計測器㈱開発部長/もと国鉄本社運転局計画課)著 国鉄車両基地のあゆみ pp.54 - 56
    • 国鉄の車両基地一覧 高崎第一機関区 高タカ一 、高崎第二機関区 高タカニ、高崎客車区 高タカ p.67
  • 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1987年7月号「特集●JR・東日本旅客鉄〈第一部〉」JR東日本の車両基地 高崎運転所 pp.84,85
  • 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』1990年10月号「特集●JRの車両基地'90」小榑宏明(東日本旅客鉄道㈱運輸車両部運用課 課長代理)著 JRの車両基地PART.1 JR東日本 pp.48,49,52
  • 朝日新聞出版編『空撮 JR車両基地』JR東日本高崎車両センター高崎支所 朝日新聞出版、2015年、pp.82 - 85 ISBN 978-4-02-331378-1

関連項目 編集