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さいたま市立浦和南高等学校(さいたましりつ うらわみなみこうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市南区六丁目にある公立高等学校

さいたま市立浦和南高等学校
Saitama Municipal Urawa Minami High School 1.JPG
過去の名称 浦和市立南高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 さいたま市の旗 さいたま市
設立年月日 1963年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
高校コード 11213F
所在地 336-0026
埼玉県さいたま市南区辻六丁目5番31号
北緯35度49分58.2秒東経139度39分25.4秒
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
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概要編集

さいたま市最南端に位置する高校で、最寄駅は武蔵浦和駅または戸田市北戸田駅となっている。全国高等学校サッカー選手権大会にて3度優勝し、高校サッカーにおいての古豪校として知られている。地元では浦和南や南高と略称で呼ばれることが多い。2012年から、ニュージーランド・エレスメアカレッジと姉妹校提携。2年次に行われる海外研修旅行(修学旅行)は、全員がオーストラリアへ行く。

2013年度入学生から「進学重視型単位制高校」に移行し、55分6時間授業を採用している。1年次の英語・数学などで少人数授業が行われ、2年次から文系・理系の2類型に分かれる。

沿革編集

部活動編集

サッカー部編集

高校サッカー界における古豪である。松本暁司監督の下で昭和44年度に全国高等学校サッカー選手権大会・全国高等学校総合体育大会・国民体育大会(当時は単独チームで出場)の高校サッカー三大タイトルを制覇した(国体は現在、都道府県選抜チームによる競技となっており(単独チームでの出場も可能だが、単独チーム名ではなく、県選抜の扱いになる)、出場資格も、高校2年生までとなっている。)。この頃の活躍が漫画『赤き血のイレブン』のモデルとなった[1]

1980年代中頃を境に県予選での敗退が続いており、高校選手権は2001年第80回大会、インターハイは1990年宮城県で開催された第26回大会への出場を最後に大会から遠ざかっていた。2013年埼玉県立浦和東高等学校を率いていたOBの野崎正治が監督に就任[2]2014年の新人戦では25年ぶりに準優勝に導くと[3]、グラウンド人工芝生化の翌年2018年の県予選で17年ぶりに優勝し、第97回大会出場を決めた[4]

ユニフォームは永井良和らを擁して三冠を獲得した当時は赤色のものを着用し、2014年の時点でも同様のユニフォームを着用しているが[3]田嶋幸三水沼貴史らを擁して高校選手権連覇(第54回大会第55回大会)を達成した当時はクリーム色のものを着用していた[5]

現在のコート(2016年10月に着工し、翌年3月12日にOB約80人が初蹴り)は全天候型で、県内公立校では初となる人工芝である[6]

進路編集

例年、約8割は現役で大学に進学する。平成26年度の国公立大学への合格者数は23名。

アクセス編集

著名な出身者編集

サッカー編集

その他編集

脚注編集

  1. ^ 高橋裕子. “【名作の舞台・市立浦和南高校】息づく「赤き血のイレブン」の誇り”. MSN産経ニュース. 2009年5月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年4月18日閲覧。
  2. ^ 24年間指導、教え子と惜別の握手 浦和東高サッカー部・野崎監督”. 埼玉新聞. 2013年10月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年4月18日閲覧。
  3. ^ a b <高校サッカー> 昌平、県内公式戦で初タイトル / 県新人”. 埼玉新聞. 2014年11月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年4月18日閲覧。
  4. ^ 埼玉は17年ぶり浦和南が全国へ!!川崎F内定MF原田擁する昌平を逆転で破る” (2018年11月18日). 2018年11月18日閲覧。
  5. ^ 浦和南松本暁司監督の暗示 / 最後の聖地”. nikkansports.com (2013年12月20日). 2014年4月18日閲覧。
  6. ^ 浦和南高、サッカーコートに人工芝 県内公立校で初、復権へ追い風”. 埼玉新聞 (2017年3月13日). 2017年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。

関連項目編集