さいたま市立漫画会館
埼玉県さいたま市北区盆栽町にある美術館
さいたま市立漫画会館(さいたましりつまんがかいかん)は、埼玉県さいたま市北区盆栽町にある美術館である。「日本の近代漫画の先駆者」・「日本初の職業漫画家」とされる漫画家、北澤楽天の晩年の居宅跡に1966年(昭和41年)11月に開館した。公立美術館として日本初[2]となる、漫画を主な収蔵品とするマンガ・アニメミュージアムとして知られる。入館は無料。
さいたま市立漫画会館 | |
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施設情報 | |
専門分野 | 漫画 |
館長 | 石黒 達夫[1] |
事業主体 | さいたま市スポーツ文化局 文化部 文化振興課 |
開館 | 1966年(昭和41年)11月 |
所在地 |
〒331-0805 埼玉県さいたま市北区盆栽町150番地 |
位置 | 北緯35度55分32.2秒 東経139度37分54.5秒 / 北緯35.925611度 東経139.631806度座標: 北緯35度55分32.2秒 東経139度37分54.5秒 / 北緯35.925611度 東経139.631806度 |
アクセス |
東武野田線大宮公園駅から徒歩5分 JR宇都宮線土呂駅から徒歩15分 |
外部リンク | さいたま市立漫画会館 |
プロジェクト:GLAM |
歴史
編集北澤楽天は1876年(明治9年)、大宮宿の旧家の四男として生まれた[注釈 1]。楽天は、福澤諭吉に見出されて『時事新報』の風刺漫画や『東京パック』のカラー漫画などを手掛け、「日本の近代漫画の祖」[3]と言われた。
1948年(昭和23年)、72歳の時に東京から父祖の地である大宮市(現在のさいたま市)に転居することになり、大宮盆栽村のこの地に自宅を構え、「楽天居」と名付けて晩年を過ごす。1955年(昭和30年)、79歳でこの世を去ると大宮市は楽天を名誉市民に推挙して、「大宮市名誉市民」の第1号とした[注釈 2]。
楽天には子供が授からず、養子を迎えることもしなかったため、著作権の散逸を憂いた夫人のいのは、1959年(昭和34年)に作品とその著作権、愛用の品、楽天居の敷地を大宮市に寄贈。1966年(昭和41年)9月29日、楽天居跡に大宮市立漫画会館として落成[4]、同年11月に開館した[5][6]。
展示内容
編集楽天の晩年の居宅である「楽天居」の画室が移築され、常設展示室では楽天の作品が展示されている。企画展示室では、収蔵品展・他の漫画家の企画展・さいたま市主催の公募漫画展「北沢楽天漫画大賞」[注釈 3]の作品展などが開催される。2階の漫画資料室では土曜・日曜・祝日と夏休み期間中に蔵書を公開している[7]。
開館時間・休館日
編集- 開館時間
-
- 午前9時 - 午後4時
- 休館日
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- 月曜日(国民の祝日を除く)、年末年始
アクセス
編集- 宇都宮線(東北本線)土呂駅東口より徒歩15分
- 東武野田線(東武アーバンパークライン)大宮公園駅から徒歩5分
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “平成27年度総会・見学会資料” (PDF). 埼玉県博物館連絡協議会 (2015年4月23日). 2018年7月28日閲覧。
- ^ “SAITAMA アート GUIDE 100×α さいたま市立漫画会館”. 埼玉県 県民生活部 文化振興課. 2018年7月28日閲覧。
- ^ “さいたま市漫画会館”. 大宮盆栽村. 2018年7月28日閲覧。
- ^ 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日、資料-10頁頁。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
- ^ “北沢楽天物語”. さいたま市スポーツ文化局 (2017年3月16日). 2018年7月28日閲覧。
- ^ “日本近代漫画の先駆者:北沢楽天略年譜”. さいたま市スポーツ文化局 (2014年6月24日). 2018年7月28日閲覧。
- ^ “施設案内”. さいたま市スポーツ文化局 (2018年7月21日). 2018年7月28日閲覧。