それ行けカープ 〜若き鯉たち〜

プロ野球球団広島東洋カープの応援歌
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それ行けカープ 〜若き鯉たち〜』(それいけカープ わかきこいたち)は、日本野球機構(NPB)のセントラル・リーグに所属する広島東洋カープの球団歌・応援歌である。1975年昭和50年)発表、同年8月リリース。発売元は当時のCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)

それ行けカープ 〜若き鯉たち〜
塩見大治郎シングル
初出アルバム『VICTORY CARP やったぜ!赤ヘル軍団(SOLJ121)』
B面 勝て勝てカープ
リリース
規格 シングルレコード
シングルCD
ジャンル 球団歌・応援歌
レーベル CBSソニー
ソニー・ミュージックエンタテインメント
作詞・作曲 有馬三恵子宮崎尚志
ゴールドディスク
  • 1975年度 CBSソニー ヒット賞[1]
チャート最高順位
  • 68位(オリコン[2]
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    解説 編集

    1975年、前年まで3年連続最下位と低迷が続くカープの新監督に前年来日し打撃コーチを務めたジョー・ルーツが就任。本楽曲は同監督の下でチーム改革が進められていたカープの意気込みを汲み取り、共に「カープを優勝させる会」(雑誌編集者の佐々木久子主宰)のメンバーだった作詞家の有馬三恵子と作曲家の宮崎尚志の手により、1953年(昭和28年)制定で20年余り歌われた2代目『広島カープの歌』に代わる3代目の新球団歌として発表された。そのルーツはセ・リーグ開幕からわずか15試合で球団を去るが(詳細はジョー・ルーツの項目を参照)、コーチから昇格した古葉竹識がその後を引き受け、カープ球団創設25年目にして悲願の初優勝を達成、その「赤ヘル旋風」とあいまって本楽曲も広島のみならず日本全国に知れ渡るようになった。レコード売上は中国地区だけで30万枚[3]、全国では100万枚以上に達し、広島での売れ行きは同年発売の「およげ!たいやきくん」を凌ぐ勢いとも言われた[4]。オリジナル歌唱はNHK『ステージ101』で人気を集め中国放送のラジオ番組も担当していた塩見大治郎[4]

    現在もMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島のカープ主催試合において、試合開始前(フルコーラス)、7回裏カープ攻撃前(ラッキー7)のジェット風船飛ばし(1コーラス)、イニング間のインターバル(随時、途中フェードアウト)、それにカープ勝利時(ヒーローインタビュー後、フルコーラス)に流れている。加えて2014年からはカープファンを公言する著名人が歌うリレー映像が制作され、試合開始前(フルコーラス)及び7回裏カープ攻撃前(1コーラスショートバージョン)に放映されているほか、広島カープの公式YouTubeチャンネルで公開されている(以下は歌唱順)。

    2017年5月20日からは、二軍本拠地・由宇球場の最寄駅である、JR山陽本線由宇駅の列車接近メロディ(入線メロディ)に採用されている[16] [注 4]

    放送番組では、日本テレビ系ズームイン!!朝!』のプロ野球いれコミ情報で広島テレビから前日のカープの試合結果を伝える際にBGMとして用いられていた。またニッポン放送ショウアップナイター文化放送ホームランナイターでもカープ戦中継においてカープが勝利した際同球団に敬意を表し放送の締めの部分で流していたことがある(現在は両ナイター共実施していない)。

    収録曲(オリジナル) 編集

    1. それ行けカープ 〜若き鯉たち〜
      • 作詞:有馬三恵子、作曲・編曲:宮崎尚志、歌唱:塩見大治郎
    2. 勝て勝てカープ
    • オリジナル盤の規格品番:SOLB 299(黄色地に選手・監督ら29人の似顔絵とカープ坊やがデザインされたジャケット)
    • 再発レコード盤の規格品番:06SH 549(価格が改定され、ジャケットも赤地に山本浩二衣笠祥雄水谷実雄高橋慶彦の写真とカープ坊やが掲載されたものに変更された)
    • 1991年再発シングルCDの規格品番:SRDL-3410 それぞれの楽曲のオリジナル・カラオケが追加された。
    • 1996年再発シングルCDの規格品番:SRDL-4268

    音源化 編集

    1975年に発売された塩見大治郎の歌によるオリジナル・バージョンは、1991年ソニー・ミュージックエンタテインメントより、オリジナルの収録曲2曲のオリジナル・カラオケを加えてシングルCD化されたが、7年後に廃盤となり、同シングルCDはその後、中古市場にて破格の高値で取引されていた。しかし2009年、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島誕生とともに、ブログなどでファンによる塩見のオリジナル版の再発の要望が続出し、ソニーは同年5月、それに応えるべく、塩見のオリジナル版及びそのオリジナル・カラオケ、更にソニーが原盤を所有する他の応援歌『勝て勝てカープ』(歌・塩見大治郎)、『燃える赤ヘル僕らのカープ』(この曲のみコロムビアミュージックエンタテインメントから音源提供、歌=事崎正司コロムビアゆりかご会)、『ヴィクトリー・カープ』、『Carp讃歌』(以上歌・塩見大治郎。この2曲はオリジナル・カラオケはない)が共に入ったアルバムCD『VICTORY CARP』の発売を発表し、同年7月22日にようやく久々に再発売された(CD番号:MHCL1549)。更に同アルバムからは、ソニーミュージックショップやmoraのサイトにて、『勝て勝てカープ』、『燃える赤ヘル僕らのカープ』以外の全4音源が有料ダウンロード版で入手可能となった。

    1999年に日本のプロ野球各球団の応援歌のアルバムCDを毎年発売している現在のコロムビアミュージックエンタテインメントから、演歌歌手である南一誠の歌のバージョンが登場、2008年4月23日発売のマキシ・シングルである『広島天国』にも本曲が収録されている(ただし、この曲のオリジナル・カラオケのみは未収録である)。この音源は、「iTunes Store」ほかで有料ダウンロード版も入手可能である。更に2009年には、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の設立と共に同球場内で流す音楽のアレンジを変更するのに伴い、この歌も塙一郎の編曲による打ち込みによるシンセサイザーのバックのスタイルに変更。こちらの音源は、ビクターエンタテインメントから2009年4月3日に、『それ行けカープ〜広島東洋カープ Stadium Sound Track』のアルバムCDの中の曲として初めて発売された(アルバムの詳細は後に記述)。こちらは、広島民放4局のアナウンサーが系列を越えて組んだ応援ソング・ユニット「鯉してるオールキャスターズ」(メンバーは中国放送藤村伊勢広島テレビ森拓磨広島ホームテレビ松藤好典テレビ新広島深井瞬)、Marquee Marblish BANDの2つの歌入りヴァージョン、そしてオリジナルカラオケの計3バージョンが収録されており、以上の音源も、「iTunes Store」ほかで有料ダウンロード版も入手可能である[注 6]

    前述の『それ行けカープ~広島東洋カープ Stadium Sound Track』のアルバムには、『それ行けカープ』のほか、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で5回終了後にホーカー(鷹の様にスタンドを行き来する売り子)たちのリードで披露されるCCダンスの使用曲 『勝利を我らに!〜Let's win!〜』等、カープのホームゲームにて球場内で使う音源が多数収録されており、現在は当アルバムの全曲分、「iTunes Store」ほかで有料ダウンロード版も入手可能である。

    なお、1980年角川博の歌唱バージョンが、広島ホームテレビ企画のシングルレコード『大広島音頭』のカップリング曲として収録された。編曲は薗広昭、発売元はRVC(現:ソニー・ミュージックレーベルズ傘下・アリオラジャパン)。

    エピソード 編集

    • 作曲者・宮崎尚志は作曲当時の主力選手であった山本浩二が奮い立つように、山本の出身校である法政大学の応援歌をまね、最後のフレーズをイントロにも使った。自身はまったくの野球音痴で広島県人でもなかったが、樽募金までして球団を存続させた生い立ちに感銘を受け、カープを愛するファンの心意気を投影したかったと語っている。初恋の人が広島の人だったから…という裏話もある。1975年のシーズンオフ、山本浩二から守備についた時、口ずさんでいたと聞かされた。また立教大学の一年後輩で当時読売ジャイアンツの監督であった長嶋茂雄には、あの歌を聞くと戦意を喪失すると言わしめた。後年はシーズンが終盤になる頃には「お~い、カープぅ~、頑張ってくれよぉ~、また優勝してくんねぇかなぁ~」が口癖になるほどのこの曲のファンであった[17][18]
    • 曲が完成した時、有馬の提案で歌い手の候補に古葉監督(低音の美声を持つ)も挙がっていた。古葉によると、一時は打診を受け入れたが、家族から「ファンの皆さんに歌い継がれていく歌だから」と言われ、断りを入れたという[19]
    • 2番の歌詞「闘志をつくし」は、当初「人事をつくし」であった。歌詞で手直しされたのはその一箇所だけだったという[19]
    • 広島交響楽団と広島東洋カープが2008年11月24日広島厚生年金会館で開催した演奏会「ありがとう広島市民球場!ザ・カープ・シンフォニー」に際して、「それ行けカープ」をもとに交響曲の作曲を担当した宮崎道(宮崎尚志の次男)は、その5年前に他界した父のメロディーについて、原爆ドームの真向かいにある旧広島市民球場で流れることを念頭に、原爆で亡くなった市民への鎮魂歌として、スタンドのカープファンがみんなで合唱できる賛美歌のようなイメージで仕上げたのではないかと語っている。ちなみに宮崎尚志の父(道の祖父)・豊文は葉山教会を建てたことで知られる牧師である。
    • 2005年にテレビ東京系列で放送されたテレビアニメ『涼風』の主人公・秋月大和は広島県出身でカープファンの少年という設定であるため、このアニメのサントラ集に秋月大和の歌唱による『それ行けカープ』が収録されている。ただし4番の歌詞は省略されている。
    • 2019年3月から中国放送で放送のテレビドラマ『恋より好きじゃ、ダメですか?』のエンディングで流れた。また、2019年7月10日発売の高田夏帆1stシングルCD「大航海2020 〜恋より好きじゃ、ダメですか?ver.〜」にカップリングで収録。

    脚注 編集

    注釈 編集

    1. ^ リーグ戦終盤に制作された2作目にのみ出演。
    2. ^ リーグ戦終盤に制作された2作目にのみ出演。
    3. ^ 本人ではなく、イラストで出演。
    4. ^ ただし、後に列車到着後に流れる、到着メロディとしての使用に変更されている。
    5. ^ レコード盤ジャケット裏面の歌詞カードに、「この曲は昭和27年に『カープの歌』として作られたものでありますが、作詩者(原文のまま):池田真琴氏の連絡先が判明致しておりませんので、ご存知の方は弊社(CBS・ソニー)までお知らせください。」と初発盤・再発盤ともに記述されていた。その後池田が椿の別名であることが判明した。
    6. ^ 同CDの発売当初は、鯉してるオールキャスターズの歌によるヴァージョンのみ有料ダウンロード版の販売を行っていたが、同年7月からは、当記の残り2バージョンを含む同CDの全音源の有料ダウンロード版による販売を始めた。

    出典 編集

    1. ^ NAOSHISM - 宮崎尚志の世界 受賞歴
    2. ^ 『オリコンチャート・ブック:1968-1997』オリコン、1997年、148頁。ISBN 4-87131-041-8
    3. ^ 「勝て勝てカープ/それ行けカープ〜若き鯉たち/燃える赤ヘル僕らのカープ」、食卓ON楽(HFM)、2009年4月10日。
    4. ^ a b カープにとっては転機だらけの1975年。ラッキーセブンに流れるあの名曲も誕生、広島アスリートマガジン、2021年4月2日。
    5. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像②> - YouTube
    6. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2015> - YouTube
    7. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2016> - YouTube
    8. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2016/優勝バージョン> - YouTube
    9. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2017> - YouTube
    10. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2018> - YouTube
    11. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2019> - YouTube
    12. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2020> - YouTube
    13. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2021> - YouTube
    14. ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2022> - YouTube
    15. ^ 2023年「それ行けカープ リレー映像」お披露目!!,広島東洋カープ公式サイト,2023年4月3日
    16. ^ 由宇駅の発着「それ行けカープ」に”. 中国新聞 (2017年5月21日). 2017年5月20日閲覧。[リンク切れ]
    17. ^ 中国新聞1999年7月31日記事・われらカープ人(18)悲願に向け応援歌
    18. ^ NAOSHISM〜作曲家・宮崎尚志の世界ホームページ
    19. ^ a b “色あせない応援歌 「それ行けカープ」誕生の経緯”. 中国新聞: p. 10. (2019年9月7日) 

    関連項目 編集

    • 我れらのカープ - 初代球団歌。1950年(昭和25年)の球団活動初年に制定されたが、3年間しか演奏されなかった。

    外部リンク 編集

    先代
    2代:広島カープの歌
    (現:勝て勝てカープ)

    (1953年 - 1974年)
    広島東洋カープの球団歌
    3代: それ行けカープ
    〜若き鯉たち〜
    1975年 - 現在
    次代
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