みずほ証券
みずほ証券株式会社(みずほしょうけん、英:Mizuho Securities Co., Ltd.)は、みずほフィナンシャルグループ(みずほFG)傘下の大手証券会社である。
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![]() 本社 (大手町ファーストスクエア) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
大証1部(廃止) 8606 2011年8月29日上場廃止 |
略称 | みずほSC、みずほ証 |
本社所在地 |
![]() 〒100-0004 東京都千代田区大手町一丁目5番1号 大手町ファーストスクエア |
設立 |
1917年(大正6年)7月16日 (大阪商事株式会社) |
業種 | 証券、商品先物取引業 |
法人番号 |
7010001008687 ![]() |
金融機関コード | 9524 |
SWIFTコード | MHSCJPJT |
事業内容 | 金融商品取引業 |
代表者 | 飯田浩一(代表取締役社長) |
資本金 |
1,251億円 (2017年6月30日時点) |
従業員数 |
7,541名 (2019年6月時点) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | みずほフィナンシャルグループ |
主要子会社 | ポラリス・キャピタル・パートナーズ 他 |
関係する人物 |
草間高志(元会長) 西山重良(元副社長) |
外部リンク | https://www.mizuho-sc.com/ |
2009年5月7日に、上場企業の新光証券を存続会社として、ホールセール専業の(旧)みずほ証券と合併、いわゆるフルライン型とも称される総合証券会社となった。2013年1月4日に、主にリテール向けを手掛けてきたみずほインベスターズ証券を吸収合併し、みずほグループの証券部門を統一した。
概要編集
(旧)みずほ証券編集
前身は、みずほフィナンシャルグループ傘下である銀行の証券子会社であった第一勧業証券(第一勧業銀行系)、富士証券(富士銀行系)、興銀証券(日本興業銀行系)である。2000年9月29日の銀行持株会社であるみずほホールディングス(現・みずほフィナンシャルストラテジー)の株式移転設立による経営統合に伴い、各行傘下の証券会社であった3社が同年10月1日に興銀証券を存続会社として合併し、(旧)「みずほ証券株式会社」として発足した。
従前はみずほコーポレート銀行の100%出資子会社であったが、農林中央金庫の子会社であった農中証券の営業譲渡を受けた経緯から、農林中金も株主となった。
(新)みずほ証券編集
2007年1月10日に、旧興銀証券を直接の前身としホールセール専業の(旧)みずほ証券と、ホールセール・リテール双方を手がける同じ旧興銀系の新光証券が、合併を発表し、2008年初頭の合併を企図していた。だが、世界的な経済危機リーマン・ショックに発展するサブプライムローン問題で(旧)みずほ証券の損失が拡大したことや、市場の混乱が収束しなかったことなどから合併の延期を経て、2009年5月7日に(新)みずほ証券として発足した。
みずほ信託銀行が取った手法同様、上場維持の観点から、新光証券を存続会社とし、商号を「みずほ証券株式会社」に変更したため、(旧)みずほ証券の法人格は消滅した。本合併により、統一金融機関コードは新光証券側を、SWIFTコードは(旧)みずほ証券側を継承した。
2011年9月1日に、みずほFG株を交付する形式での株式交換が行われ、みずほコーポレート銀行(みずほCBK)の完全子会社となった。完全子会社化が発表された際、旧みずほSCから継承した資本関係のある農林中金との関係が注目されたが、2011年9月1日に、両社の間で協力分野拡大・提携強化・資本関係継続の契約がなされて[1]、同月6日に農林中金がみずほ証券の株式5.34%を再取得している。
2011年6月に就任した、旧興銀出身の本山博史社長(当時)は、リテール分野で重複するみずほインベスターズ証券(みずほISEC)との再編を模索していることを明らかにし、2013年1月4日にみずほISECは当社に吸収合併された[2][3]。重複する名称の店舗は一方が変更となるが[4]、みずほ銀行と同居する店舗は、合併後はプラネットブースに統一された(新光証券→みずほ証券は、トマト銀行併設拠点を含めてカスタマープラザと称していた。トマト銀行併設分のみカスタマープラザのままとした)。その後、プラネットブースと証券支店が同一地にある拠点についてはプラネットブースを廃止した拠点も見られる。
業務展開編集
旧新光証券との合併前は、ホールセール特化型で店舗を持たず、本社・本店のみの構成となっていたが(2005年に関西営業部が設置されている)、合併後は旧新光の店舗が営業拠点として活動する事となった。また合併後も債券、株式、投資銀行の3つを中核業務に位置付けている。
社債市場において強みを持ち、主幹事関与額では野村證券や大和証券SMBC、日興シティグループ証券を抑えて首位である[5]。特にサムライ債(外国企業が円建てで発行する社債)市場においては、29%を超える高シェアである。
このほか資産担保証券ブックランナーで第1位、M&Aアドバイザリー案件数で第3位など、純銀行系証券会社としては比較的高い実績がある。
海外編集
米国現地法人である米国みずほ証券は、日本の証券会社としては野村證券・大和証券と並んで、米国財務省から国債市場特別参加者(Primary Dealer)に指定されている。
香港には子会社であるみずほセキュリティーズアジアが置かれており、北京、上海に駐在員事務所を設置して中国市場に進出する。このほか、ヨーロッパには英国ロンドンに「みずほインターナショナル」、スイスには「スイスみずほ銀行」が現地法人として置かれている。
また中国では、人工知能(AI)を使った株式アルゴリズム取引を研究する北京大学と2018年に提携した[6]。
提携関係編集
前述のとおり、2004年に農林中金傘下である農中証券を譲り受け、その後さらに第三者割当増資を行った。このため農協系金融機関へのサービス提供も行っている。また同年には、証券部門の脆弱なりそな銀行とメガバンクの枠を超えてM&A業務に関する提携を結んだほか、UBS証券ともM&Aで提携を結んでいる。さらに、証券会社としてはマネックス証券、シティグループとも連携している。
沿革編集
(旧)みずほ証券編集
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 10月19日 - 第一勧業証券株式会社設立。
- 10月19日 - 富士証券株式会社設立。
- 2000年(平成12年)10月1日 - 第一勧業証券ならびに富士証券を合併し、(旧)みずほ証券株式会社に商号変更(初営業日は翌2日)。
- 2002年(平成14年)4月1日 - みずほフィナンシャルグループの分割併合に伴い、みずほホールディングスの子会社となる。
- 2003年(平成15年)3月1日 - みずほフィナンシャルグループの事業再編に伴い、みずほコーポレート銀行の子会社となる。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 5月 - 関西営業部を新設。
- 12月8日 - ジェイコム(現・ライク)株式の上場初日において誤発注により、いわゆるジェイコム株大量誤発注事件を起こした。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)3月21日 - 新光証券との合併予定を2009年5月7日に再度延期の発表。
- 2009年(平成21年)5月7日 - 新光証券株式会社に吸収合併され、解散。
(現)みずほ証券編集
ギャラリー編集
八重洲本店(本店営業第一部)[注釈 2]
脚注編集
注釈編集
- ^ 同月19日には証券取引等監視委員会が金融庁にみずほ証券を行政処分するよう勧告していた。
- ^ 常和八重洲ビル。画像は、新光証券時代のもの。
出典編集
- ^ “農林中央金庫とみずほ証券の業務協力分野の拡大・連携関係の強化及び資本関係の継続に関する確定契約締結のお知らせ (PDF)”. 株式会社みずほフィナンシャルグループ (2011年9月1日). 2013年9月29日閲覧。
- ^ “みずほ証券とみずほインベスターズ証券の合併に関する基本合意について (PDF)”. 株式会社みずほフィナンシャルグループ (2011年7月29日). 2013年9月29日閲覧。
- ^ “みずほ、銀行合併は来年7月1日 証券は来年1月”. 共同通信. (2012年3月29日) 2013年9月29日閲覧。
- ^ “みずほ、傘下証券36店舗閉鎖へ 人員削減も”. 共同通信. (2012年10月30日) 2013年9月29日閲覧。
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2006年10月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2006年11月8日閲覧。
- ^ 北京大学との業務提携についてみずほ証券(2018年9月3日)2018年11月26日閲覧。