もう飛ぶまいぞこの蝶々

モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」第1幕最終場面のアリア

もう飛ぶまいぞこの蝶々」 (イタリア語: Non più andrai, farfallone amoroso「もう飛ぶまいぞ、この色気の蝶々」という表記も存在する) は、1786年にW.A.モーツァルトによって作曲されたオペラ『フィガロの結婚』(K.492)のバス・アリアである。イタリア語リブレットは、1784年に書かれたボーマルシェ戯曲に基づき、台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテによって執筆された。

背景 編集

第1幕の最後に、アルマヴィーヴァ伯爵はスザンナの部屋に隠れているケルビーノを見つける。伯爵は、既にケルビーノが伯爵夫人である妻のロジーナを狙っているのではないかと疑っていて、そしてケルビーノの生活習慣がだらしないこと全般に対しても気に入らなかった。しかし、ケルビーノ自身はスザンナを誘うために部屋にいたため、伯爵はケルビーノを罰することはできなかった。その代わりに、伯爵はセビリアの連隊にケルビーノを派遣することにする。このアリアでは、伯爵の宮殿での愉しい浮ついた生活とは全く対照的な、勇猛な軍での将来の暮らしについて、フィガロがケルビーノをからかうのである[1]

歌詞 編集

オペラ『フィガロの結婚』のリブレットは台本作家のロレンツォ・ダ・ポンテによって書かれており、彼は『コジ・ファン・トゥッテ』『ドン・ジョヴァンニ』の2作品をモーツァルトと協力して手掛けている。

イタリア語(原文) 和訳

Non più andrai, farfallone amoroso,
notte e giorno d'intorno girando;
delle belle turbando il riposo
Narcisetto, Adoncino d'amor.

Non più avrai questi bei pennacchini,
quel cappello leggero e galante,
quella chioma, quell'aria brillante,
quel vermiglio donnesco color.

Tra guerrieri, poffar Bacco!
Gran mustacchi, stretto sacco.
Schioppo in spalla, sciabla al fianco,
collo dritto, muso franco,
un gran casco, o un gran turbante,
molto onor, poco contante!
Ed invece del fandango,
una marcia per il fango.

Per montagne, per valloni,
con le nevi e i sollioni.
Al concerto di tromboni,
di bombarde, di cannoni,
che le palle in tutti i tuoni
all'orecchio fan fischiar.
Cherubino alla vittoria:
alla gloria militar!

もう行ってはいけない、好色な蝶よ。
昼夜を問わずあちこち飛び回り
女性達の睡眠を妨げる
小さいナルキッソス、愛のアドーニス

こんな美しい羽はもうありません。
あの軽くてロマンチックな帽子、
あの髪、あの輝くような顔、
あのバラ色で女らしい顔色。

おやまあ、兵士達の中へ!
大きな口ひげ、小さな装備。
肩にライフル銃、横腹に軍刀
まっすぐ立って、固い顔をして
大きなヘルメット、大きなターバン
多くの名誉と少ない給料!
ファンダンゴを踊る代わりに
泥の中を行進する。

山を抜けて、谷を抜けて
雪が積もって、日が照る。
ラッパの音が、
爆弾や大砲の
落雷のような銃声が、
君たちに耳鳴りを起こす。
ケルビーノよ、勝利へ
戦いに勝利を!

楽曲 編集

 

このアリアハ長調4/4拍子で作曲されており、軍隊行進曲風の様式である。114小節の長さで、演奏には約4分かかる。音域テッシトゥーラはC3からE4となっている[2]。メロディーは自然倍音 (C-E-G-C) が多用され、軍用ラッパの音を模倣している。この演奏表現は、オーケストラ内でホルンの音色が何回か目立つ時に強調される。最後の14小節では、(とくにもともとのト書きである"Partono tutti alla militare"を尊重するプロダクションでは)登場人物が軍隊行進風にステージから退場しながら、オーケストラ全員での演奏が繰り広げられる。

影響 編集

覚えやすい曲調と印象的な軍隊風の伴奏で、このアリアは当初から人気があった[3][4]。実際、初演のリハーサルでフランチェスコ・ベヌッチがこの曲を歌った際には、出演者から作曲家に対してブラボーの掛け声が自然に湧き上がったとされる[5]

モーツァルトは自身のこの楽曲をのちに引用しており、オペラ 『ドン・ジョヴァンニ』 (1787) の中で、メドレーの一部として舞台上のバンダが演奏する。これは観客がすぐに気づくのではないかと、モーツァルトは明らかに意識していた(ドン・ジョヴァンニのウィーン初演でベヌッチが歌ったレポレッロは、皮肉にも"Questa poi la conosco pur troppo"「この曲は私がよく知っている」と歌っている)[6]。モーツァルトはさらに、このアリアを「5つのコントルダンス」K.609 (1791) の第1番にも転用した[7]

ロバート・ハリスは「もう飛ぶまいぞこの蝶々」を「オペラで最も有名なアリア」と呼び、「これは素晴らしい曲で非常に喜劇的な作品ですね...モーツァルトが遊び心と楽しさを最大限に発揮するとこうなるのですね」と評した[6]

この行進曲は現在、英国コールドストリーム・ガーズカナダの総督近衛歩兵連隊によって、ゆっくりとしたテンポの行進曲として使われている[8][9]

史実に基づいていないが、ピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』(及びその映画化作品『アマデウス』)には、アントニオ・サリエリが作った行進曲をモーツァルトが即興で変えて「もう飛ぶまいぞこの蝶々」のメロディを生み出すという場面がある[10]

参考文献 編集

脚注

  1. ^ NCPA Opera Le Nozze di Figaro - NCPA CHINA”. en.chncpa.org. 2020年5月28日閲覧。
  2. ^ "Non più andrai – No. 9, The Aria Database
  3. ^ Tommasini, Anthony (2008年11月30日). “Bel Canto: Audiences Love It, but What Is It?”. The New York Times. 2020年5月28日閲覧。
  4. ^ Operaamerica.org Archived 2014-02-25 at Archive.is
  5. ^ Kelly's memoirs quoted from Holmes, Edward (1854) The life of Mozart: including his correspondence. Harper & Brothers, p. 281. Available on Google Books.
  6. ^ a b Harris, Robert (2002). What to Listen for in Mozart. Simon and Schuster. ISBN 9780743244046 
  7. ^ Edge, Dexter (1996). Stanley Sadie. ed. Wolfgang Amadè Mozart: Essays on His Life and His Music. Clarendon Press. p. 90. ISBN 9780198164432 
  8. ^ John Ross-of-Bladensburg (1896). A History of the Coldstream Guards, from 1815 to 1895. London: A. D. Innes. p. 102. https://www.gutenberg.org/files/58852/58852-h/58852-h.htm 
  9. ^ Traditions” (英語). Governor General's Foot Guards Regimental Museum. 2020年5月28日閲覧。
  10. ^ ピーター・シェーファー『ピサロ/アマデウス』伊丹十三他訳、早川書房、2020、『アマデウス』第1幕、pp. 296-297。

外部リンク 編集