われは海の子

日本の学校唱歌

われは海の子」(われはうみのこ)は、文部省唱歌のひとつ。2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。

みんなのうた
われは海の子
歌手 ひばりヶ丘少年少女合唱団
作詞者 文部省唱歌
作曲者 同上
編曲者 溝上日出夫
映像 実写
初放送月 1968年8月 - 9月
再放送月 2015年8月 - 9月(ラジオのみ)
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初出である1910年(明治43年)発行の文部省尋常小学読本唱歌』におけるオリジナルの曲名は「われは海の子」(p.3:目次)、または「我は海の子」(p.64-67:本文 )となっている。作詞者・作曲者ともに不詳[1]。ただし宮原晃一郎(本名、宮原知久)(1882年 - 1945年)の娘と芳賀矢一1867年 - 1927年)の義理の娘は、それぞれ自分の父あるいは義父が作詞者だと信ずると述べた。最近では宮原の原作を芳賀が改作したとする説が最も信頼されている[2]

歌詞 編集

漁村生まれの少年が、強靭な肉体と精神を誇る姿を表現した歌である[1]。『尋常小学読本唱歌』所収の歌詞は以下のとおり。

一、
我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ。

二、

生まれてしほに浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を
吸ひてわらべとなりにけり。

三、

高く鼻つくいその香に
不断の花のかをりあり。
なぎさのに吹く風を
いみじきと我は聞く。

四、

余のかい操りて
行手定めぬ浪まくら
千尋海の底
遊びなれたる庭広し。

五、

幾年こゝにきたへたる
より堅きかひなあり。
吹く塩風に黒みたる
はだは赤銅さながらに。

六、

浪にたゞよふ氷山
来らば来れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまき
起らば起れ驚かじ。

七、

いで大船を乗出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乗組みて
我は護らん海の国。 

『尋常小学読本唱歌』(1910年)より 編集

歌曲の変遷 編集

1910年(明治43年)7月に『尋常小学読本唱歌』で発表された[1]。敗戦後7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られた。1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで教えられている[1]1980年(昭和55年)より、「難解な言葉が多く、子供の生活になじまない」という理由で、共通歌唱教材から外された[3]。しかし、日本国民の間の人気は高く、1990年(平成2年)から教科書に復活した[3]

ブルーシー・アンド・グリーンランド財団(B&G財団)が2000年(平成12年)7月に発表した「21世紀に残したい海の歌」では、応募総数の13.2%に当たる797票を獲得して、「」に次ぐ第2位に選ばれた[4]2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。

評価 編集

成美堂出版編集部は、「格調高い詞と爽快なメロディー」、「明治唱歌の傑作といわれています」と解説した[1]

作詞者 編集

永年作詞者は不詳とされていたが、1989年(平成元年)5月宮原晃一郎の一人娘の典子が、この歌詞は宮原が小樽新聞記者当時の1908年文部省新体詩懸賞に応募し、佳作当選した「海の子」という詩が元になったと主張した[5][6][7]。翌年の1909年1月26日、宮原は文部省への著作権の譲渡に同意したとされている[7]。この主張に基づき、歌詞のモチーフとなった海は宮原が生れ育った鹿児島県鹿児島湾(錦江湾)だとして、2000年(平成12年)に湾に面する鹿児島市祇園之洲町の祇園之洲公園に歌碑が建てられた[3]。しかし実際には宮原が作詞者であるという直接的な証拠が示されたことはなく[注 1]、錦江湾がモチーフになったという根拠は全くない。一方、芳賀の義理の娘は、芳賀が育ったのも福井の海の近くだったことから、そこがモチーフになっている可能性もあるのではないかと述べた。

その他 編集

  • NHKの『みんなのうた』では、1968年(昭和43年)8月-9月に紹介された。編曲は溝上日出夫が担当し、ひばりヶ丘少年少女合唱団が歌った。映像は実写。放送では1・2・6番を歌い(テキストでは1・2・3・6番を掲載したが3番は放送されず)、1・2番の間に間奏が加えられ、6番はテキストとは異なり転調しなかった。長期にわたって再放送されなかったが、2011年(平成23年)から始まった「みんなのうた発掘プロジェクト」で音声が提供され、2015年(平成27年)8月-9月にラジオのみで47年振りの再放送となった。
  • 「われはうみのこ」で始まる歌は、この歌のほかに『琵琶湖周航の歌』がある。こちらは「われはの子」である。
  • JR西日本の運行する特急『くろしお』の古座駅到着時の車内チャイムにかつて使用されていた。また、尾道駅接近メロディーとして使用されている(一時期は使用を取りやめていたが後に復活している)。その他、七尾線の一部の駅でも夏季限定で接近メロディーに使用されている。

・東海汽船が島に到着する際に使用されている。

注釈
  1. ^ 提示されたのは2通の手紙であり、1通目は「新体詩の懸賞募集の結果、佳作に選ばれたので、賞金15円を贈る」という内容、2通目は著作権譲渡に関する内容であった[3]
出典
  1. ^ a b c d e 成美堂出版編集部 編 2017, p. 243.
  2. ^ 竹内貴久雄『唱歌・童謡120の真実』ヤマハミュージックメディア、2017年、40-41頁。ISBN 978-4-636-91064-3
  3. ^ a b c d 長田 2007, p. 211.
  4. ^ "21世紀に残したい海の歌"は「うみ」”. Ocean Newsletter バックナンバー. 笹川平和財団 (2001年12月20日). 2023年6月5日閲覧。
  5. ^ 名作が生まれた港|一般社団法人日本埋立浚渫協会”. www.umeshunkyo.or.jp. 2022年2月27日閲覧。
  6. ^ 読売新聞社・文化部『唱歌・童謡ものがたり』1999年、岩波書店。
  7. ^ a b 「我は海の子」の作詞者”. 2013年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月27日閲覧。
  8. ^ 町あかり、「じゃじゃじゃじゃーン!」で歌唱している童謡を収録したアルバム『あかりおねえさんの ニコニコへんなうた』9月25日発売、TOWER RECORDS ONLINE、2019年08月22日 11:22。
  9. ^ カラフルに光る!オーシャンプリズムミラー|プリキュアおもちゃウェブ|バンダイ公式サイト”. バンダイ. 2021年6月13日閲覧。


参考文献 編集

  • 長田暁二『心にのこる日本の歌101選』ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日、223頁。ISBN 978-4-636-81980-9 
  • 成美堂出版編集部 編『思い出の童謡・唱歌200』成美堂出版、2017年11月30日、255頁。ISBN 978-4-415-01744-0 

外部リンク 編集