アイ (第18王朝のファラオ)
アイ (Ay, Ai、在位:紀元前1323年から紀元前1319年頃 - 紀元前1327年から紀元前1323年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(王)。アメンホテプ3世の正妃ティイ(Tiy)は妹で、兄妹ともにミタンニにルーツを持つ父イウヤの子である。アフミーム(Akhmim)が出身地とされている。
アイ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Aya | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() アイのものと考えられるツタンカーメンの墓に描かれた壁画。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古代エジプトファラオ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
統治期間 |
紀元前1323年–1319年 もしくは紀元前1327年–1323年,第18王朝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前王 | ツタンカーメン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
次王 | ホルエムヘブ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファラオ名
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配偶者 | ティイ2世、アンケセンアメン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
子女 | ネフェルティティ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没年 | 紀元前1319、もしくは紀元前1323 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
埋葬地 | KV23(テーベ) |
生涯編集
第18王朝の王族の一人であり、アメンホテプ3世の時代から王家に仕えてきた古参の臣。両親であるイウヤとチュウヤはともに神官であり、自身も神官として経歴を積み、ツタンカーメンの治世にあってはアメン大神官の地位にあった。ツタンカーメンの死後紀元前1327年頃(または紀元前1324年頃)、アンケセナーメンと結婚し王位を継ぐ。妻としてはこの以前にテイ(Tey)がいたが、即位時にはすでに死別している。なお、ネフェルティティをテイとの間の娘とする説もある。
ファラオとしての即位名はケペルケペルウラー(Kheperkheperure、『神はラーの徴なり』)であるが、治世が短かったため、またツタンカーメンを暗殺したとの後世の悪評のためか即位以前のアイの名で呼ばれることが多い。
紀元前1323年頃(または紀元前1320年頃)没した。子はなかったため、彼は同郷の貴族で軍司令官のナクトミン(Nakhtmin)を後継者に指名していたが、王女ムトノメジットと結婚していた将軍ホルエムヘブがナクトミンを打倒して王位を継承した。その後彼はアクエンアテン以降四代の王の存在を抹殺したため、アイの名も抹消されることとなった。これは、アイによりホルエムヘブが一時失脚したことへの報復のためと考えられる。王家の谷のKV23に埋葬されている。
治績編集
即位時すでに高齢であり、治世が短かったため、これといった治績はない。ツタンカーメン時代にアメン信仰を復活させたのは彼の功績であるとされる。
創作におけるアイ編集
クイズ番組『世界ふしぎ発見!』では、当時著名だった霊能者がエジプトに赴いて霊視を行い彼をツタンカーメン暗殺の犯人と断定するという内容の回や、彼とホルエムヘブがエジプトの神々の前で裁判にかけられるという内容のミニドラマも放映されている。このときアイは太った禿頭の老人として描かれ、徹底的に悪役としての役回りを割り振られた挙句、アヌビス神の審判で有罪にされるという結末を迎えている。
夢枕獏原作・岡野玲子作画の『陰陽師』第13巻にもアイによるツタンカーメンの殺害が描写されている。
実際にはアイがツタンカーメンを暗殺したという明確な証拠は存在せず、これらは俗説に基づく創作であることは言うまでもない。
関連項目編集
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