アグネスレディー
アグネスレディー(1976年 - 1993年)は、日本の競走馬、繁殖牝馬である。1979年の優駿牝馬(オークス)などに優勝し、同年の優駿賞最優秀4歳牝馬に選出された。主戦騎手は河内洋。引退後は繁殖牝馬となり、桜花賞優勝馬アグネスフローラを産んだ。同馬の産駒にアグネスフライト・アグネスタキオン兄弟(父・サンデーサイレンス)がいる。
アグネスレディー | ||||||
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欧字表記 | Agnes Lady | |||||
品種 | サラブレッド | |||||
性別 | 牝 | |||||
毛色 | 鹿毛 | |||||
生誕 | 1976年3月25日 | |||||
死没 |
1993年3月11日 (17歳没・旧18歳) | |||||
父 | リマンド | |||||
母 | イコマエイカン | |||||
母の父 | Sallymount | |||||
生国 | 日本(北海道三石町) | |||||
生産者 | 折手正義 | |||||
馬主 | 渡辺孝男 | |||||
調教師 | 長浜彦三郎(栗東) | |||||
厩務員 | 大川鉄雄 | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 18戦5勝 | |||||
獲得賞金 | 1億6426万4700円 | |||||
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デビュー前
編集1976年、北海道三石町の折手牧場に生まれる。父は当時新進の種牡馬であったイギリス産のリマンド、母イコマエイカンは1勝馬であったが、本馬の出生時には同じく父にリマンドを持つ産駒・グレイトファイターがすでにオープンクラスで活躍していた。2歳時から3歳馬と一緒の育成を楽にこなし[1]、競走年齢の3歳を迎えた1978年に当時の牝馬としては高額の1800万円で渡辺孝男に購買され、滋賀県栗東トレーニングセンターの長浜彦三郎厩舎に入った。競走名「アグネスレディー」はアイドル歌手のアグネス・チャンから渡辺の長女が決定したものである[1]。渡辺は1990年に行われたインタビューで、「アグネス」の冠名を使い始めてからアグネスホープに次ぐ2頭目(牝馬では最初)の活躍馬として本馬の名を挙げている[2]。
戦績
編集3-4歳時(1978-1979年)
編集1978年10月、京都開催の新馬戦で久保敏文を鞍上にデビュー。初戦は追い込みが届かず2着に敗れたが、2戦目で初勝利を挙げる。3戦目から騎手が河内洋に替わり、好位から抜け出して連勝した。河内は当時5年目の若手騎手であり、有力馬のベテランから若手への乗り替わりは、当時珍しい例であった。渡辺が初戦の敗戦に不満を覚えたことが原因ともされている[3]。
翌1979年、クラシックを目標に1月の紅梅賞から始動したものの、同時期に歯替わりが上手く行かず食が細ったこともあり[1]、緒戦から僅差ながら3連敗を喫する。クラシック初戦の桜花賞では2番人気に支持されたが、苦手の重馬場で6着に終わった。
しかし次走の東京4歳牝馬特別(オークストライアル)でシルクスキーの2着と好走、迎えた優駿牝馬(オークス)ではシルクスキーの骨折・戦線離脱により、桜花賞優勝のホースメンテスコ等を抑えて1番人気に支持された。レースでは道中5、6番手を進むと、直線で半ばで抜け出し、2着ナカミサファイアに2馬身半の差を付けて優勝。重賞初制覇をクラシックで果たした。河内にとってもデビュー6年目で初めての八大競走制覇であり、1976年の第37回競走で2番人気に推されながら6着に終わっていた全姉・クインリマンドの雪辱ともなった。
夏を休養に充て、秋はエリザベス女王杯を目標に据えた。神戸新聞杯、京都牝馬特別をそれぞれ3、5着として女王杯を迎える。当日は1番人気に支持されると、苦手とする不良馬場の中を直線で先頭に立った。しかしゴール手前でミスカブラヤに一気に交わされ、同馬から 1馬身半差の2着に終わった。年末の阪神牝馬特別も5着と精彩を欠いたが、オークス優勝が評価され、翌1月には当年の最優秀4歳牝馬に選出された。
5歳時(1980年)
編集古馬となった1980年は、日経新春杯から始動。生涯最低に並ぶ9番人気と低評価であったが、3着と好走する。続く京都記念(春)では最後の直線入り口からメジロトランザムと一杯に競り合い、同馬をハナ差退けて優勝。オークス以来の勝利を挙げた。次走オープン戦を2着として春季のグランプリ・宝塚記念に出走。しかしここは不良馬場に手間取り、最下位と大敗を喫した。
休養を経て、朝日チャレンジカップに出走。ファインドラゴン、シルクスキーとの競り合いを制し、重賞3勝目を挙げた。当日、馬主の渡辺はイギリスの大種牡馬・ミルリーフとの交配権確保のため渡英しており、表彰式には不在であった[4]。その後交渉が成立し、本競走を以て引退が決定。12月14日、京都競馬場で引退式が行われた。
全成績表
編集年月日 | レース名 | 頭数 | 人気 | 着順 | 距離(状態) | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
1978 | 10. | 8 | 京都 | 新馬 | 17 | 3 | 2着 | 芝1200m(良) | 1:12.0 | 0.3秒 | 久保敏文 | 52.5 | ヨウキヒ |
10. | 29 | 京都 | 新馬 | 12 | 1 | 1着 | 芝1200m(不) | 1:12.9 | 3 1/2身 | 久保敏文 | 52 | (マーシャルワン) | |
11. | 25 | 京都 | 白菊賞 | 13 | 2 | 1着 | 芝1400m(良) | 1:24.1 | 1 3/4身 | 河内洋 | 52 | (サカエアルボー) (キングトゥビー) | |
1979 | 1. | 6 | 京都 | 紅梅賞 | 9 | 1 | 3着 | 芝1600m(良) | 1:37.5 | 0.3秒 | 河内洋 | 53 | ハギノカオリ |
2. | 17 | 京都 | 4歳S | 11 | 5 | 5着 | 芝1600m(良) | 1:37.5 | 1.0秒 | 河内洋 | 52 | カツラノハイセイコ | |
3. | 18 | 阪神 | 阪神4歳牝馬特別 | 17 | 6 | 3着 | 芝1400m(不) | 1:25.7 | 0.3秒 | 河内洋 | 54 | シーバードパーク | |
4. | 8 | 阪神 | 桜花賞 | 22 | 2 | 6着 | 芝1600m(不) | 1:42.8 | 1.8秒 | 河内洋 | 55 | ホースメンテスコ | |
4. | 29 | 東京 | 東京4歳牝馬特別 | 20 | 3 | 2着 | 芝1800m(稍) | 1:50.5 | 0.2秒 | 河内洋 | 54 | シルクスキー | |
5. | 20 | 東京 | 優駿牝馬 | 24 | 1 | 1着 | 芝2400m(良) | 2:29.6 | 2 1/2身 | 河内洋 | 55 | (ナカミサファイヤ) | |
9. | 30 | 中京 | 神戸新聞杯 | 9 | 6 | 3着 | 芝2000m(重) | 2:04.0 | 0.9秒 | 河内洋 | 54 | ネーハイジェット | |
10. | 28 | 中京 | 京都牝馬特別 | 10 | 2 | 5着 | 芝1800m(良) | 1:48.4 | 0.4秒 | 河内洋 | 54 | インターグロリア | |
11. | 18 | 阪神 | エリザベス女王杯 | 18 | 1 | 2着 | 芝2400m(不) | 2:32.8 | 0.2秒 | 河内洋 | 55 | ミスカブラヤ | |
12. | 16 | 阪神 | 阪神牝馬特別 | 12 | 2 | 4着 | 芝2000m(良) | 2:01.2 | 0.2秒 | 河内洋 | 55 | シルクスキー | |
1980 | 1. | 20 | 阪神 | 日経新春杯 | 10 | 9 | 3着 | 芝2400m(良) | 2:28.3 | 1.0秒 | 河内洋 | 54 | メジロトランザム |
2. | 17 | 中京 | 京都記念(秋) | 9 | 2 | 1着 | 芝2400m(良) | 2:27.8 | ハナ | 河内洋 | 54 | (メジロトランザム) | |
3. | 29 | 阪神 | オープン | 10 | 3 | 2着 | 芝1800m(良) | 1:48.8 | 0.2秒 | 河内洋 | 55 | テルテンリュウ | |
6. | 1 | 中京 | 宝塚記念 | 15 | 9 | 15着 | 芝2400m(不) | 2:37.7 | 5.8秒 | 河内洋 | 53 | テルテンリュウ | |
9. | 21 | 阪神 | 朝日チャレンジC | 12 | 5 | 1着 | 芝2000m(良) | 2:01.6 | 3/4身 | 河内洋 | 55 | ファインドラゴン |
繁殖牝馬時代
編集引退後の1981年1月14日[5]に渡英し、予定通りミルリーフとの交配を済ませて11月に帰国。翌3月に故郷・折手牧場において、初仔となる牡駒を出産した。同馬はミルグロリーと命名されて期待を受けたが、デビュー直前の調教中に骨折し、競走能力を喪失[4]。出走しないまま引退を余儀なくされた。以後しばらく目立った産駒はなかったが、ロイヤルスキーとの間に産んだ第6仔・アグネスフローラが、河内の手綱で1990年の桜花賞に優勝し、母仔二代のクラシック優勝馬となった。
1993年3月11日、アグネスレディーは移送中の馬運車の中で暴れ、背骨を骨折[6]。18歳で死亡した。その1ヶ月前、繋養先が折手牧場から社台ファームに変更することが決まった際にも馬運車に乗るのを拒んで暴れ、移送延期の原因となったという[6]。
その死後、アグネスフローラの産駒・アグネスフライト(父サンデーサイレンス)が2000年の東京優駿(日本ダービー)を制し、日本競馬史上初の牝系三代によるクラシック制覇を達成。さらにその翌年、全弟アグネスタキオンも皐月賞に優勝した。同馬は2008年に内国産馬として史上3頭目のリーディングサイアーも獲得している。河内は騎手生活中にこれら全馬の手綱を執り、「この血統は本当に僕の騎手としての核になる部分を形成している」と語っている[7]。
2010年代以降も、ブレイキングドーンやテイエムトッキュウなど末裔の活躍が続いている。
産駒一覧
編集生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 戦績 | 供用 | |
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初仔 | 1982年 | ミルグロリー | 牡 | 栗毛 | Mill Reef | 不出走 | 種牡馬 |
2番仔 | 1983年 | アグネスサンダー | 牡 | 鹿毛 | アグネスプレス | 8戦1勝 | |
3番仔 | 1984年 | アグネスシャレード | 牝 | 黒鹿毛 | ターゴワイス | 5戦1勝 | 繁殖牝馬 |
4番仔 | 1985年 | アグネスクローネ | 牝 | 栗毛 | アグネスベンチャー | 16戦1勝 | 繁殖牝馬 |
5番仔 | 1986年 | アグネスルーマー | 牡 | 黒鹿毛 | ブレイヴェストローマン | 10戦3勝 | |
6番仔 | 1987年 | アグネスフローラ | 牝 | 栗毛 | ロイヤルスキー | 6戦5勝 桜花賞 |
繁殖牝馬 |
7番仔 | 1988年 | アグネスオーロラ | 牝 | 鹿毛 | イルドブルボン | 3戦0勝 | 繁殖牝馬 |
8番仔 | 1990年 | アグネスフリッカー | 牝 | 鹿毛 | パドスール | 1戦0勝 | 繁殖牝馬 |
9番仔 | 1991年 | アグネスリブ | 牝 | 鹿毛 | リヴリア | 5戦0勝 | 繁殖牝馬 |
※産駒は全て母と同馬主・同厩舎(第4仔クローネから後は長浜彦三郎から長浜博之に代替わり)だった。
血統
編集同じ配合で生まれた産駒には、本馬を含めて3頭の重賞勝利馬がいる。リマンド産駒の牝馬はテンモン、タレンティドガールなど長距離においても瞬発力を発揮することを特長とした。河内が騎乗した活躍馬には牝馬が多く、「牝馬の河内」とも称されたが、その内で「距離が延びて切れる(瞬発力がある)というのは牝馬ではこの馬だけかも知れない」と語っている[8]。
血統表
編集アグネスレディーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ブレニム系 |
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父 *リマンド Remand 1965 栗毛 イギリス |
父の父 Alcide1955 鹿毛 イギリス |
Alycidon | Donatello | |
Aurora | ||||
Chenille | King Salmon | |||
Sweet Aloe | ||||
父の母 Admonish1958 栗毛 イギリス |
Palestine | Fair Trial | ||
Una | ||||
Warning | Chanteur | |||
Vertencia | ||||
母 イコマエイカン 1967 鹿毛 日本 |
Sallymount 1956 栗毛 イギリス |
Tudor Minstrel | Owen Tudor | |
Sansonnet | ||||
Queen of Shiraz | Bahram | |||
Qurrat-al-Ain | ||||
母の母 *ヘザーランズHeatherlands 1957 鹿毛 イギリス |
Tenerani | Bellini | ||
Tofanella | ||||
Dark Brocade | Le Ksar | |||
Light Brocade | ||||
母系(F-No.) | イコマエイカン系(ヘザーランズ系)(FN:1-l) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Hyperion 5×5、Lady Juror 5×5 | [§ 3] | ||
出典 |
叔母の曾孫にブリーダーズゴールドカップを制したスノーエンデバーがいる。4代母Light Brocadeは1934年のオークス馬、5代母Trilogyは1926年の1000ギニー2着馬。
脚注
編集- ^ a b c 『優駿』1989年6月号 p.40
- ^ 『優駿』1990年5月号 p.64
- ^ 河内・加賀谷(2003)p.28
- ^ a b 『優駿』1989年6月号 p.42
- ^ 『優駿』1981年2月号、 p.99。
- ^ a b 『サラブレッド101頭の死に方』p.367
- ^ 加賀谷・河内(2003)p.33
- ^ 加賀谷・河内(2003)p.29
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|アグネスレデイー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2016年8月14日閲覧。
- ^ 栗山求 (2015年4月8日). “フォーエバーマークの全弟インジャスティス”. netkeiba.com. 2016年8月14日閲覧。
参考文献
編集- 『優駿』1989年6月号(日本中央競馬会)横尾一彦「オークスの令嬢 - アグネスレディー」
- 『優駿』1990年5月号(日本中央競馬会)「オーナー愛馬を語る44 アグネスフローラの渡辺孝男さん」
- 大川慶次郎ほか『サラブレッド101頭の死に方(文庫版)』(徳間書店、1999年)ISBN 978-4198911850
- 加賀谷修、河内洋『一生競馬』(ミデアム出版社、2003年)ISBN 978-4944001996