アグネス・フォン・ハプスブルク (1322-1392)

アグネス・フォン・ハプスブルク(ドイツ語:Agnes von Habsburg, 1322年 - 1392年2月2日)は、最後のシフィドニツァ=ヤヴォル公妃。

アグネス・フォン・ハプスブルク
Agnes von Habsburg

出生 1322年
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア公国ウィーン
死去 1392年2月2日
シフィドニツァ公領、シフィドニツァ
埋葬 シフィドニツァ公領、シフィドニツァ、フランシスコ会教会
配偶者 シフィドニツァ公ボルコ2世マウィ
家名 ハプスブルク家
父親 オーストリア公レオポルト1世
母親 カタリーナ・ディ・サヴォイア
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クシェシュフ修道院の礼拝堂にあるアグネス像

生涯 編集

アグネスはオーストリア公レオポルト1世カタリーナ・ディ・サヴォイアの間の次女である。1338年に、レグニツァ系シロンスク・ピャスト家のシフィドニツァ公ボルコ2世マウィと結婚した。この結婚では子供が生まれなかったとみられるが、1男ボルコがいたものの、ボルクフ城の中庭で宮廷道化師のヤコブ・タウが誤ってボルコに石を投げたため9歳で死去したともいわれている。

1368年に夫ボルコ2世が死去し、シフィドニツァ=ヤヴォル公国はボヘミア王位継承権を失ったが、アグネスは公国の生涯用益権を持っていた。アグネスは1392年にシフィドニツァで死去し、フランシスコ会教会に埋葬された[1]。1735年から1747年にかけてクシェシュフ修道院長ベネディクト2世のもと建てられた礼拝堂に、ボヘミアの彫刻家Anton Dorazil作のアグネスの像が安置されている。

脚注 編集

  1. ^ P. Ambrosius Rose: Kloster Grüssau. Stuttgart 1974, ISBN 3-8062-0126-9, 36

参考文献 編集