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アザマト・アブドゥライモフ

サッカー選手

アザマト・アブドゥライモフ (ラテン文字:Azamat Abduraimov、ウズベク語: Азамат Абдураимов1966年4月27日 - ) は、ウズベキスタンタシュケント出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはFW

アザマト・アブドゥライモフ Football pictogram.svg
名前
本名 Azamat Abduraimov
ウズベク語 Азамат Абдураимов
基本情報
国籍  ウズベキスタン
生年月日 (1966-04-27) 1966年4月27日(53歳)
出身地 タシュケント
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション FW
背番号 -
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983–1984 ソビエト連邦の旗 FShMモスクワ 28 (1)
1984–1985 ソビエト連邦の旗 スパルタク・モスクワ 0 (0)
1985 ソビエト連邦の旗 SKAロストフ・ナ・ドヌ 0 (0)
1986 ソビエト連邦の旗 CSKAモスクワ 0 (0)
1987–1990 ソビエト連邦の旗 パフタコール 124 (25)
1990 ソビエト連邦の旗 スパルタク・モスクワ 3 (0)
1991 ソビエト連邦の旗 パミール・ドゥシャンベ 25 (4)
1991–1992 バングラデシュの旗 モハメダンSC 11 (7)
1992–1993 ウズベキスタンの旗 ナフバホール・ナマンガン 16 (8)
1993 ウズベキスタンの旗 MHSKタシュケント 17 (10)
1994–1995 マレーシアの旗 パハンFA 28 (14)
1995 ウズベキスタンの旗 ナフバホール・ナマンガン 4 (1)
1995 ウズベキスタンの旗 ポリトデル・タシュケント 11 (2)
1995–1996 サウジアラビアの旗 アル・ワフダ・メッカ 20 (10)
1996–1999 ウズベキスタンの旗 パフタコール・タシュケント 91 (37)
1999–2000 インドの旗 サルガオカーSCゴア
2000 ウズベキスタンの旗 パフタコール・タシュケント 22 (5)
2001 ウズベキスタンの旗 ドゥストリク・タシュケント 33 (13)
代表歴
1992–1996  ウズベキスタン 18 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

目次

概要編集

アザマト・アブドゥライモフは1966年にタシュケントで生まれた。彼の父ベラドル・アブドゥライモフは20世紀で最も得点を決めたウズベク人サッカー選手であり、パフタコール・タシュケントでも有数の選手だった。アザマトが3歳のとき、彼の父はモスクワへ行きCSKAモスクワでプレーした。

アザマトはスパルタク・モスクワの下部組織 (ФШМ) に入りプロサッカー選手を目指すことになった。ソビエト連邦時代は、SKAロストフ・ナ・ドヌCSKAモスクワでプレーした。

パフタコール編集

アザマトが獲得したタイトルの多くはパフタコール・タシュケントで獲得したものである。彼はパフタコール・タシュケントに3回加入し合計で7シーズン以上に渡ってプレー、60ゴール以上を挙げた。最初にプレーした1987年から1990年まではパフタコールはソビエト連邦サッカーリーグに所属しており、彼はソ連リーグで25ゴールを挙げた。1990年シーズンの途中でアザマトはスパルタク・モスクワへと移籍した。

1996年、再度パフタコール・タシュケントへと加入し、3シーズンをパフタコールでプレー、ウズベク・リーグで37ゴールを挙げた。1998年にはリーグ優勝を、1997年にはカップ戦優勝を果たした。

2000年に再びパフタコールに加入、1シーズンプレーした。

スパルタク・モスクワ編集

1990年、アザマトはスパルタク・モスクワへと加入したが、トップチームでの出場は3試合しかなく、主にリザーブチームで得点を量産していた。しかし、トップチームでのプレーを希望しパミール・ドゥシャンベへと移籍した。

ソビエト連邦外の国へ編集

1991年にソビエト連邦が崩壊しウズベキスタンが独立すると、アザマトは旧ソビエト連邦外の国でプレーするようになった。彼は外国のサッカーリーグでプレーした初のウズベク人サッカー選手である。彼はバングラデシュマレーシアサウジアラビアインドとソビエト連邦外の4カ国でプレーした。

ウズベキスタン代表編集

アブドゥライモフはサッカーウズベキスタン代表で22試合に出場した。1994年に広島で開催されたアジア競技大会にも参加、主力選手として活躍し、ウズベキスタン代表の優勝に貢献した[1]。また、AFCアジアカップ19961998 FIFAワールドカップ・アジア予選にも出場している[2]

アジア競技大会準決勝の韓国代表戦では決勝点を挙げ、1-0での勝利に貢献した。このゴールはウズベキスタンのサッカーの歴史の中でも最高のゴールとされている。

彼はフットサルのウズベキスタン代表としてもプレーし、2003年にクアラルンプールで開催されたワールド5 フットサル英語版では日本代表を脅かし次年度に開催されたAFCフットサル選手権のフットサルレポートには彼の欠場について触れられている[3]

引退後編集

アブドゥライモフは2002年に引退試合を開催し、ウズベキスタンでは最も観客数を集めたスポーツの試合となった。

2002~2003年、彼はウズベク・リーグ2部のNBUアジアで選手兼監督を務めた。2003年にはインドネシアで開催されたAFCフットサル選手権のウズベキスタン代表としてプレーした。

2004年、彼はフットサルウズベキスタン代表の監督に就任し、2004 AFCフットサル選手権を戦った。

2005年、アブドゥライモフはウズベキスタンのフットサルクラブ、アルドゥス (Ardus) の監督を務め、ウズベキスタンフットサル選手権で優勝に導いた[4]

2006年から2007年まではNative football foundationのGMを務め、翌年の2006年にはロシア高等コーチ養成学校を卒業した。

2008年、アブドゥライモフはFCブニョドコルでスポーツディレクターを務めた。2009年、2010年はディナモ・サマルカンドの監督を務めた。

2009年、アザマトはウズベキスタン年間最優秀監督賞において3位に入った。2010年、アブドゥライモフはコーチのPROライセンスを取得した。

2012年1月より現在まで、彼はU-23サッカーウズベキスタン代表のヘッドコーチを務めている。

獲得タイトル編集

脚注編集

  1. ^ Formula of success. Azamat Abduraimov from record-breaker of Uzbek football”. Time Out Tashkent (2004年6月). 2008年10月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年4月24日閲覧。
  2. ^ Azamat ABDURAIMOV”. FIFA.com. 2012年12月27日閲覧。
  3. ^ アジア選手権 準々決勝日本vs中国戦レポート” (日本語). Futsal radio web (2004年4月24日). 2012年12月27日閲覧。 昨年6月のワールド5(3-2)で日本を脅かしたアブドゥライモフは出場しておらず、・・・
  4. ^ Чемпион Узбекистана по мини-футболу намерен пригласить иностранного тренера” [Champion of Uzbekistan in futsal is going to invite a foreign coach] (ウズベク語). regnum.ru (2008年9月8日). 2012年12月27日閲覧。

外部リンク編集