アシュリー・バーンズ
アシュリー・バーンズ(Ashley Barnes,1989年10月30日 - )は、イングランド出身のサッカー選手。バーンリーFC所属。ポジションはフォワード。オーストリアとの二重国籍保持者であり、彼の祖母はオーストリア出身。
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![]() ブライトンのバーンズ | ||||||
名前 | ||||||
本名 | アシュリー・ルーク・バーンズ | |||||
ラテン文字 | Ashley Luke Barnes | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1989年10月30日(33歳) | |||||
出身地 |
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身長 | 186cm | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | FW | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
-2007 |
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2007-2010 |
![]() | 22 | (2) | |||
2007 |
→![]() | 3 | (1) | |||
2008 |
→![]() | 5 | (0) | |||
2008-2009 |
→![]() | 8 | (5) | |||
2010 |
→![]() | 6 | (0) | |||
2010 |
→![]() | 8 | (4) | |||
2010-2014 |
![]() | 141 | (42) | |||
2014- |
![]() | 229 | (44) | |||
代表歴 | ||||||
2008 |
![]() | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年7月26日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴編集
プリマス編集
子どもの頃はスコット・シンクレアと同じチームでプレーしており、地元のサザンフットボールリーグに所属するポールトン・ローヴァーズFCに加入した。2007年3月にプリマス・アーガイルFCのトライアル試験を受け合格。18ヶ月契約を結び、リザーブチームでは7得点を挙げた。2007年11月にオックスフォード・ユナイテッドFCに期限付き移籍し5試合に出場する。その後2クラブに期限付き移籍し、2009年1月にプリマスに復帰した。
ブライトン編集
しかしプリマスでは安定した出場機会を得られず、2010年3月にフットボールリーグ1に所属する古豪ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに期限付き移籍した。
7月8日、ブライトンに2年契約で完全移籍。2011年4月11日のダゲナム・アンド・レッドブリッジFC戦ではチームのフットボールリーグ・チャンピオンシップ昇格を決定づける得点を決めた。同シーズンはグレン・マレーに次ぐチーム2番目の20得点を挙げた。
2011-12シーズンはチームのエースとして14得点を挙げた。
2012-13シーズンもストライカーの地位を確保するも、3月9日のボルトン・ワンダラーズFC戦で審判を倒したことで7試合の出場停止処分を受ける。当時チームのFWである2選手が負傷していたため、この行為にサポーター及びクラブから批判を受けた。
バーンリー編集
2014年1月10日、バーンリーFCと3年半契約を結んだ。2015年2月のチェルシーFC戦でネマニャ・マティッチへ激しいタックルを仕掛け、マティッチの報復行為を誘発し退場させた。このことをチェルシー監督のジョゼ・モウリーニョは公的にバーンズを批判している[1]。2015年5月24日のアストン・ヴィラ戦で膝を負傷。すでにバーンリーの降格は決定していたが、これによりバーンズは翌シーズンを全欠場した。
2017-18シーズンはバーンリーの前線をクリス・ウッドとともに担当。バーンリーの7位躍進に貢献した。
2019年11月7日、2022年6月まで契約を更新した[2]。
脚注編集
- ^ “モウリーニョ、バーンズのマティッチに対するタックルは「犯罪」”. フットボールチャンネル (2015年2月23日). 2019年11月26日閲覧。
- ^ “Barnes Signs New Deal” (英語). Burnleyfootballclub (2019年11月7日). 2019年11月26日閲覧。