アッシリアのライオン型分銅

アッシリアのライオン型分銅(アッシリアのライオンがたふんどう)は、古代アッシリアおよびその周辺地域における考古学調査によって発見された、青銅製ライオン像の一群である。

アッシリアのライオン型分銅
大英博物館収蔵の3点のライオン型分銅。以下の表は19世紀後半にニムルドで発見された全てのライオン型およびアヒル型分銅のリストである。
材質青銅
文字フェニキア語および楔形文字
製作前800年頃 - 前700年頃
発見1845年 - 1851年
所蔵大英博物館
識別ME 91220

アッシリアのライオン型分銅の中で最初に公表され、最も有名なものは、1840年代後半にニムルドで発見された16点の青銅製の分銅英語版である。現在は大英博物館に収蔵されている[1]。これらは前8世紀に年代付けられると考えられ、楔形文字フェニキア文字による二か国語の碑文英語版が刻まれている。後者はCIS II英語版 に1-14の番号で収録されている。

ニムルドの分銅 編集

ニムルドの分銅は前8世紀に年代付けられ、楔形文字とフェニキア文字による二か国語の碑文が刻まれている。フェニキア語の碑文は碑文学的にメシャ碑文と同じ時代のものである[2][3]。これらの碑文は「アラム型(Aramic)」のフェニキア語碑文のグループの中で最も重要な物的史料の1つである[4]。発見された時点ではこれらは最古のフェニキア式の碑文であった[5]

これらの分銅はオースティン・ヘンリー・レヤードによる最初期のニムルドでの発掘によって発見された。この時、宮殿入り口で発見された一対のラマス英語版の像は、片方がもう片方に向かって倒れ、いくつかの破片となっていた。これを片付けた後、レヤードの発掘隊は、その下から16個のライオン型分銅を発見した[6]。碑文はエドウィン・ノリスによって初めて解読された。彼は、これらが元々、分銅として使用されていたことを初めて確認した[7]

これらのライオン型分銅は30センチメートルから2センチメートルまでの大きさのシリーズになっている。大きい分銅は本体に取っ手があり、小さい分銅にはリングが付けられている。中にはアヒル型の石製分銅もある。議論の余地なく、この分銅は最古のアラム語の命数法を表している[8]。8個のライオンには、短期間であったシャルマネセル5世の治世のものとして、現在判明している唯一の碑文が刻まれている。彼の治世は非常に短期間であった[9]。これらによく似たライオン型分銅は西トルコのアビュドス英語版でも発掘されている(これも大英博物館に収蔵されている[10])ほか、フランスの考古学者ジャック・ド・モルガン英語版によってイランのスサ遺跡でも発見されている(現在はパリルーブル美術館収蔵)[11]

古代オリエントの度量衡は2種類が知られている。一つはミナと呼ばれる重量の単位で、1ミナは60シェケルに分けられる。しかし、これらのライオン型分銅は「heavy mina」と呼ばれる別の単位システムで作られており、heavy minaはほぼ1キログラムに相当する。この単位系はハカーマニシュ朝(アケメネス朝)時代でも使用されており、金属の重量を量るために用いられていたと見られる。

このライオン型分銅は記念碑的なセム語碑文コーパス英語版における最初のアラム語碑文となり、CIS II英語版 1-14として目録に載っている[12]

画像集 編集

アビュドスの分銅 編集

アビュドス英語版(現トルコ領)で、2例目のライオン型分銅が発見された。これは前5世紀に年代付けられる[13][14]。現在、大英博物館に収蔵され、ID番号E32625が付けられている。

この分銅にはアラム語の碑文がある。この碑文はKAI 263およびCIS II 108である。

スサの分銅 編集

1901年に前5世紀のスサのダレイオス宮殿英語版でライオン型分銅が1つ発見された。これは現在ルーブル美術館に収蔵されており、ID番号Sb 2718が付けられている[15]。この分銅には碑文はない。

コルサバドの分銅 編集

1840年代に、コルサバドポール=エミール・ボッタによってよく似た分銅が発見された。これは現在ルーブル美術館に収蔵され、ID番号AO 20116が付されている。コルサバドの分銅のサイズは高さ29センチメートル、長さ41センチメートルであり、碑文はない[16]

他のライオン型分銅との明らかな類似性にも関わらず、ボッタはこれを分銅ではなくドアの一部であると考えていた[17][18]

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ British Museum Collection
    (大英博物館収蔵品。キーワードに「Copper Assyrian lion weight」を指定して検索のこと。)
  2. ^ Taylor 1883, p. 133「前8世紀後半のアッシリア王たちの名前が刻まれたニムルドの分銅、コルサバドのサルゴン2世の宮殿で発見された彫刻されたスカラベ、レバノンのバアル神殿に奉納されたシドンの王ヒラム(Hiram)の名前が刻まれた青銅の器は、碑文学的にメシャの碑文と同時代またはその前後の時代のものである。」
  3. ^ Norris 1856, p. 215.
  4. ^ Rollston 2006, p. 503「アラム語草書体(the Aramaic cursive script)の実例として重要な史料には、ハマトのレンガ(the Hamat bricks)、ニネヴェのライオン型分銅、ニムルドのオストラコンなどがある(全て前8世紀に年代付けられる)。」
  5. ^ Rawlinson 1865, p. 243「これらの粘土板と印章について私のノートを結論付ける前に、我々が持つフェニキア語文書の最古の例を観察しよう。全ての中で最古のものとして選び出すべきは、大英博物館のライオン型分銅の銘である。その中の一つは明確にティグラト・ピレセル2世(在位: 前744年 - 前726年)の治世に年代付けられる。別の分銅にはシャルマネセル、サルゴン、センナケリブといった王たちの名前がある。」
  6. ^ Layard 1849, pp. 46–47「苦労して石像を持ち上げると、その下から大きさ順に規則正しく並んだ素晴らしい出来栄えの16個の銅のライオンを発見した。最大のものは1フィートあまり、最小のものは1インチあまりであった。それぞれのライオンの後ろにはリングがついており、分銅のように見える。同じ場所には土製の容器(vase)があった。これには鳥の翼と爪、女性の胸、サソリの尾を持つ人物が2名描かれていた。」
  7. ^ Madden 1864, p. 249.
  8. ^ Chrisomalis 2010, p. 71.
  9. ^ Metzger & Coogan 2004, p. 285.
  10. ^ British Museum collection
    (『分銅』(大英博物館))
  11. ^ Louvre Collection
    (ルーブル美術館収蔵品)
  12. ^ セム語碑文コーパス II 1, p.1-2: 「1853年、かのレヤードは、ニムルドと呼ばれる場所でニネヴェの遺跡を発掘していたとき、一連の16体の銅像を発掘した。その銅像は、アッシリアの宮殿の基礎に、雄牛の胴体と人間の頭を持つ有翼の怪物の巨大な像の下に置かれていた(レヤード、『ニネヴェとその遺跡』、I、128)。それらが発見された場所は、これらの分銅が何らかの神聖な儀式によって地面に置かれたことを物語っており、それらはアッシリア人の間で、基準としての分銅と同じように使われていたことが推測できる。それらは四角い台座の上に横たわるライオンの形をしていて、背中にはリングが取り付けられている。表1には、そのうちの1つ (No. 2 を参照) が太陽によって表されている画像があり、そこからすべてのライオンの形を知ることができる。像の側面と底面にはアッシリア文字またはアラム文字で書かれた碑文が刻まれており、それによってそれぞれのライオンの体重と、当時、統治していた王の名前を知ることができる。ここから、紀元前727年から紀元前681年頃まで権力を掌握していたアッシリアの王、シャルマネセル、サルゴン、センナケリブの名前が判別できる。称号と分銅を研究した専門家によって、ライオンは2つのグループに分けられ、一方のグループはもう一方のグループの2倍の重さで区別されることがわかった。したがって、アッシリアの1タラントが60ミナ、または30の重いミナ(2ミナ)に分割されたことは明らかである。ミナはさらに60ドラクマに分割された。これから話すアラム語の単位は、ミナム...そしてドラクマ...シェケルと呼ばれる。これらについて学者として最近書いたオッペールによると、これらの分銅は、多かれ少なかれフランス語のグラム単位で次のように表現される可能性がある...」
  13. ^ Mitchell 1973, pp. 173–175.
  14. ^ Calvert 1860, pp. 190–200.
  15. ^ Lampre 1905.
  16. ^ Pottier 1924, p. 143「実際のところ、発見された状況からすると、コルサバードのライオン像には、分銅以外の目的があったに違いない。ライオン像の上の壁の中にもう1つの青銅の指輪が封印され (178ページを参照)、鎖がライオン像の輪とその指輪をつないでいた。まるで番人のように、壁の前で青銅のライオンが鎖でつながれていたのではないかと、ボッタは想像した。 」
  17. ^ de Longpérier 1854, p. 50「この素晴らしい像は、私たちに遺された最も美しい古代の美術品の一つである。ドアの上に吊すベールの紐の端を通すリングの土台と装飾としての役割以外に目的がなかったように見える。このライオンを動かすことはできなかった。底部には封印のピンがある。したがって、ニムルドで発見された、楔形文字やフェニキア文字の碑文が刻まれている青銅のライオンとは同一視すべきではない。これらの遺物は、分銅の役割を果たしていたと考えられている。コルサバドのライオンに関して言えば、それは確かに一般的な門のシステムに属していた。というのも、それぞれに、像を固定する封印石が発見されたからである。」
  18. ^ Pottier 1924, p. 143

参考文献 編集

  • Calvert, Frank (1860). “On a Bronze Weight Found on the Site of the Hellespontic Abydos”. The Archaeological Journal (Longman): 199-200. 
    (『ヘレスポントのアビュドス遺跡から出土した青銅製の分銅について』(著:フランク・カルバート、1860年、英国考古学協会学術誌『考古学ジャーナル』p.199-200に収録))
  • Chrisomalis, Stephen (2010). Numerical Notation: A Comparative History. Cambridge University Press 
    (『数の表記:歴史比較』(著:ステファン・クリソマリス、2010年、ケンブリッジ大学出版))
  • de Longpérier, Adrien (1854). Notice des antiquités assyriennes, babyloniennes, perses, hébraiques exposées dans les galeries du Musée du Louvre 
    (『ルーブル美術館に展示されているアッシリア、バビロニア、ペルシア、ヘブライの美術品についての論評』(著:アドリアン・ドゥ・ロンペリエール、1854年))
  • Fales, Frederick Mario (1995). “Assyro-Aramaica : the Assyrian lion-weights”. In Lipinski, Festschrift E. (英語). Immigration and Emigration within the Ancient Near East. Peeters. pp. 33-55 
    (『アッシリアとアラム アッシリアのライオン型分銅』(著:フレデリック・マリオ・フェイルズ、1995年、ピーターズ出版『古代近東における移民』p.33-55に収録))
  • Lampre, Georges (1905). La Representation du lion a Suse, Memoires de la Delegation scientifique en Perse. https://archive.org/details/s3mmoires08franuoft/page/n198/mode/1up?view=theater 
    (『スサのライオンが表現するもの ペルシアにおける科学調査団の記憶』(著:ジョルジュ・ランプレ、1905年))
  • Layard, Austen H. (1849). Nineveh and its Remains. John Murray 
    (『ニネヴェとその遺跡』(著:オースティン・ヘンリー・レヤード、1849年、ジョン・マレー出版(英国)))
  • Madden, Frederic (1864). History of Jewish coinage, and of money in the Old and New Testament 
    (『旧約聖書と新約聖書におけるユダヤの硬貨とお金の歴史』(著:フレデリック・マッデン、1864年))
  • Metzger, Bruce M.; Coogan, Michael D. (2004), The Oxford Guide to People and Places of the Bible, Oxford, England: Oxford University Press, doi:10.1093/acref/9780195146417.001.0001, ISBN 978-0-19-534095-2, https://books.google.com/books?id=0P-mASFPEsAC&pg=PA218 
    (『聖書の人物と場所 オックスフォード手引書』(著:ブルース・M・メッツガー、ミカエル・D・クーガン、2004年、オックスフォード大学出版))
  • Mitchell, Terence C. (1973). “The Bronze Lion Weight from Abydos.”. Iran (Taylor & Francis) 11: 173-175. https://doi.org/10.2307/4300493. 
    (『アビュドス出土の青銅製ライオン型分銅』(著:テレンス・C・ミッチェル、1973年、英国ペルシア研究所の学術誌『イラン』第11号p.173-175に収録))
  • Norris, Edwin (1856). “On the Assyrian and Babylonian Weights”. Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland (the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland) 16. 
    (『アッシリアとバビロニアの分銅について』(著:エドウィン・ノーリス、1856年、『王立アジア協会誌』第16号(1856年)に収録))
  • Pottier, Edmond (1924). Musee du Louvre: catalogue des Antiquites assyriennes. Musees nationaux 
    (『ルーブル美術館:アッシリアの美術品のカタログ』(著:エドモン・ポティエ、1924年、国立美術館))
  • Rawlinson, Henry (1865). Bilingual Readings: Cuneiform and Phœnician. Notes on Some Tablets in the British Museum, Containing Bilingual Legends (Assyrian and Phœnician). https://archive.org/details/jstor-25207655 
    (『2か国語の解釈:楔形文字とフェニキア語。2か国語の伝承(アッシリアとフェニキア)が記された大英博物館の銘板についての小論文』(著:ヘンリー・ローリンソン、1865年))
  • Rollston, Christopher (2006). Asia, Acient Southwest: Scripts, Epigraphic West Semitic. https://www.academia.edu/480526/Epigraphic_West_Semitic_Scripts 
    (『古代南西アジア:西セム族の文字、碑文』(著:クリストファー・ロールストン、2006年))
  • Taylor, Isaac (1883). The Alphabet: An Account of the Origin and Development of Letters. https://books.google.com/books?id=XS4y4dWcA64C&pg=PA133 
    (『アルファベット:文字の起源と発展についての記述』(著:アイザック・テイラー、1883年))