アトルボロ (マサチューセッツ州)

アメリカ合衆国マサチューセッツ州の都市

アトルボロ: Attleboro)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ブリストル郡にある都市。人口は4万6461 人(2020年)。プロビデンスの北東16キロメートル、ボストンの南63キロメートルに位置している。かつて市内に多くの宝石加工業者がいたので「世界の宝石首都」と呼ばれた。

アトルボロ
Attleboro
歴史あるアトルボロ鉄道駅
歴史あるアトルボロ鉄道駅
ブリストル郡内の位置(赤)
ブリストル郡内の位置(赤)
北緯41度56分 西経71度18分 / 北緯41.933度 西経71.300度 / 41.933; -71.300座標: 北緯41度56分 西経71度18分 / 北緯41.933度 西経71.300度 / 41.933; -71.300
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
マサチューセッツ州の旗 マサチューセッツ州
ブリストル郡
入植 1634年
法人化(町) 1694年
法人化(市) 1914年
政府
 • 種別 市長・市政委員会方式
 • 市長 ケビン・デュマ
面積
 • 合計 27.8 mi2 (72.0 km2)
 • 陸地 26.8 mi2 (69.4 km2)
 • 水域 1.0 mi2 (2.6 km2)
標高
138 ft (42 m)
人口
(2020年)[1]
 • 合計 46,461人
 • 密度 1,700人/mi2 (650人/km2)
等時帯 UTC-5 (東部標準時)
 • 夏時間 UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号
02703
市外局番 508 / 774
FIPS code 25-02690
GNIS feature ID 0612033
ウェブサイト www.cityofattleboro.us
アトルボロ中心街
ミル通り(1908年)

歴史 編集

1634年、イングランド人開拓者が、現在アトルボロとなっている所に最初に入って来た。この開拓者達は痩せた土壌、水運の便宜のないことに遭遇し、貧しい生活に耐えることになった。彼らは人間の生存には適していないと宣言し、二度と戻って来ないと決断した[2]。それでも1694年にはアトルボロの町としてレホボスから分離、法人化された[3]。その町域は今より広かったが、1747年にロードアイランド州カンバーランド町が分離し、1887年にはノースアトルボロ町が分離した。町は1914年に市として再度法人化され、綴りも最後の3文字 "-ugh" が無くなった(ノースアトルボロはその綴りを残している)。マサチューセッツ州の多くの町と同様に、イングランドノーフォークにある町から市名が採られた。

植民地時代にインディアンとの抗争が続いた間、アトルボロ住人の息子ナサニエル・ウッドコックが殺され、その頭が父の家の前庭にあった柱の上に置かれていた。その父の家は現在歴史史跡に指定されている。ジョージ・ワシントンがアトルボロを通り、ウッドコック・ガリソンの家近くハッチ酒場で滞在し、独立戦争の軍人でガリソン邸の新所有者だったイスラエル・ハッチと靴のバックルを交換したという伝承がある。

アトルボロには、宝石加工業のL・G・バルフォア社があり、1913年には宝石の加工で知られる町になっていた。バルフォア社はその後市から出て行き、その工場跡はリバーフロント公園に転換された。アトルボロは「世界の宝石首都」と呼ばれたこともあり、宝石加工会社が操業を続けている。その1つがギーヨ兄弟会社であり、1904年に創業した[4]。現在も操業を続けている会社には、ジェネラル・ファインディングズ、M・S・カンパニー、ジェイムズ・A・マーフィ Co.、ガーラン・チェイン、リーチ & ガーナー、マスターズ・オブ・デザインなどがある。

地理 編集

アトルボロは北緯41度56分 西経71度18分 / 北緯41.933度 西経71.300度 / 41.933; -71.300 (41.93, −71.32)に位置しており、アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は27.8平方マイル (72.0 km2)であり、このうち陸地26.8平方マイル (69.4 km2)、水域は1.0平方マイル (2.6 km2)で水域率は3.59%である[5]。アトルボロの北はノースアトルボロ、東はマンスフィールドとノートン、南はレスボス、シーコンク、ロードアイランド州ポータケット市、西はロードアイランド州カンバーランドの各町と接している。市内にはブリッグス・コーナー、ドッジビル、イーストジャンクション、ヘブロンビル、サウスアトルボロと呼ばれる地区がある。

バンゲイ川の他、幾つかの小川を合わせたテンマイル川がアトルボロの中心を流れている。マンチェスター池貯水池が州間高速道路95号線傍にあり、他にも小さな池が幾つかある。アントニー・ローレンス保護地域とコールマン保護地域の2か所が保護地域であり、市の北側にはバンゲイ川保存地域もある。市内最高地点は市の南部、オークヒル・アベニューの北にある、標高 249 フィート (76 m) のオークヒルである[6]

人口動態 編集

人口推移
人口±%
17902,166—    
18002,480+14.5%
18102,716+9.5%
18203,055+12.5%
18303,215+5.2%
18403,585+11.5%
18504,200+17.2%
18606,066+44.4%
18706,769+11.6%
188011,111+64.1%
18907,577−31.8%
190011,335+49.6%
191016,215+43.1%
192019,731+21.7%
193021,769+10.3%
194022,071+1.4%
195023,809+7.9%
196027,118+13.9%
197032,907+21.3%
198034,196+3.9%
199038,383+12.2%
200042,068+9.6%
201043,593+3.6%
202046,461+6.6%
Source: United States Census records and Population Estimates Program data[7]

アトルボロはプロビデンス都市圏に入っている。ボストンからも近く、ボストン都市圏と結びつきがある。

以下は2010年の国勢調査による人口統計データである[8]

基礎データ

  • 人口: 43,593 人
  • 世帯数: 16,884 世帯
  • 家族数: 11,212 家族
  • 人口密度: 628.1人/km2(1,626.6 人/mi2
  • 住居数: 18,022 軒
  • 住居密度: 259.7軒/km2(672.5 軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 22.7%
  • 18-24歳: 7.9%
  • 25-44歳: 28.5%
  • 45-64歳: 28.0%
  • 65歳以上: 12.9%
  • 年齢の中央値: 40歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 95.5
    • 18歳以上: 93.3

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 33.3%
  • 結婚・同居している夫婦: 50.1%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 11.3%
  • 非家族世帯: 33.6%
  • 単身世帯: 26.4%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 9.8%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.55人
    • 家族: 3.11人

収入 編集

収入と家計(2009年から2011年平均[9]

  • 収入の中央値
    • 世帯: 63,647米ドル
    • 家族: 71,091米ドル
    • 性別
      • 男性: 52,558米ドル
      • 女性: 40,954米ドル
  • 人口1人あたり収入: 30,039米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 6.8%
    • 対家族数: 4.2%
    • 18歳未満: 6.4%
    • 65歳以上: 7.8%

教育 編集

アトルボロの教育部には小学校5校、中学校3校、高校1校が入っている。アトルボロ高校は職業訓練科もある。そのフットボールチームはノースアトルボロ高校と、毎年感謝祭の日に対抗試合を行っている。ビショップ・フィーハン高校はカトリック系共学高校であり、1961年に開校し、フォールリバー教区第2司教ダニエル・フランシス・フィーハン司教にちなんで名付けられた。市内にはブリストル・コミュニティカレッジの衛星分校もあり、以前は市の旧高校校舎を使っていたが、そのご元テキサス・インスツルメンツの跡に引っ越した。ブリッジウォーター州立大学が2009年にアトルボロに分校を開き、ブリストル・コミュニティカレッジと施設を共有している。

見どころ 編集

 
中心街、2009年撮影

市内には博物館が4館ある。アトルボロ美術館、アトルボロ地域産業博物館[10]、働く女性博物館、ミュージアム・アット・ザ・ミルの4館である。その他興味ある場所としては、ケプロンパーク動物園[11]、L・G・バルフォア・リバーウォーク(元L・G・バルフォア宝石加工場があった場所、中心街事業地区に隣接)、アワーレディ・オブ・ラ・サレット・シュライン(クリスマスのライトアップがある)[12]、トリボロ青年劇場/トリボロ音楽劇場[13]、アトルボロ・コミュニティ劇場[14]、ドッジビル・ミルがある。

中心街再活性化 編集

2011年12月、アトルボロ市は歴史ある中心街地域の再活性化を支援するために、州と連邦の予算540万ドルが確保された[15]。市の「中心街再開発と再活性化プロジェクト」は[15]、活用されていない工業と商業の資産を、商業、レクリエーション、住宅の混合用途に転換しようというものである。このプロジェクトには、マサチューセッツ湾交通局の通勤鉄道やグレーター・アトルボロ・トーントン地域交通局バス便に、道路改良を加えた交通体系の改善も含まれている[15]

この市のプロジェクトは、州のブラウンフィールド(汚染土壌)・サポートチーム・イニシャティブ[16][15]に選定されてもおり、州内全体の市町における経済開発機会に道を開くために、複雑な問題を解決する州、地方、連邦政府間の協力を奨励するものである。ブラウンフィールド・サポートチームの組織に貢献するのは、マサチューセッツ州環境保護部[17]、マスデベロプメント[18]、住宅・地域社会開発部[19]、マサチューセッツ州交通部[20]がある[15]

アメリカ合衆国下院議員ジム・マクガバンが2011年に、「この変革の予算はアトルボロがその中心街を再形成し、強い町をさらに強くする記念碑的機会を提供する。新しい交通計画が完成すれば、アトルボロを他の小さな都市のモデルとし、汚染された場所を積極的に再利用することが経済開発を強化することになる」と言って、このプロジェクトの重要性を強調した[15]

交通 編集

アトルボロは州間高速道路95号線、同295号線、アメリカ国道1号線、マサチューセッツ州道1号線代替路、同118号線、同123号線、同152号線の傍にあり、この3本の州道は市の中心で交差している。州間高速道路95号線はロードアイランド州ポータケットからアトルボロでマサチューセッツ州に入って来る。州間高速道路295号線の北端はノースアトルボロの町境が州間高速道路95号線と交わる場所に近い。計画中の州間高速道路895号線は、アトルボロを通り現在の州間高速道路95と同295号線の終端近くで交差する。ロードアイランド州から州間高速道路295号線を入ってくると、州間高速道路95号線のハーフインターチェンジの前で出口がある。

市内にマサチューセッツ湾交通局通勤鉄道線の駅が2つあり、アトルボロ中心街とサウスアトルボロ地区、ロードアイランド州との州境近くにある。アトルボロとトーントンはグレーター・アトルボロ・トーントン地域交通局のバス便を利用できる。両市を結ぶ路線の他、周辺とを結ぶ路線もある。

宗教 編集

アトルボロの宗教地図は、歴史的な人種民族構成を反映している。セントジョン、セントテレサ・オブ・リトルフラワー、セントビンセント・ド・ポールとカトリック教会が3つあり、それぞれ、イングランドとアイルランド、元フランス(現ヒスパニック)、ポルトガルの地区を代表している。

ノース・メインストリートのオールセインツ聖公会教会(1890年建設)は伝統的なイングランド国教会のものだが、この教会は現在大変多様になっている。2007年、アメリカ聖公会教会のリベラルな政策について分裂し、ヘブロンビル・ビレッジにオールセインツ・アングリカン教会を設立することになった。この教会はウガンダのアングリカン教区に従属している。

ノース・メインストリートのセンテナリー・ユナイテッド・メソジスト教会は1865年11月26日に、レイルロード・アベニューの建物で信徒集会として始まった[21]。現在の場所で最初の教会建物は1896年にデイビス・メソジスト・エピスコパル教会という名で始まった。この建物は1883年の火事で焼失した。1884年に再建された教会はセンテナリー・メソジスト・エピスコパル教会と名付けられ、アメリカのメソジスト100周年を祝った。1998年センテナリーとヘブロン・メソジストが1つの教会に統合された。

タウン・コモンに近い第二会衆派教会(1748年設立)は、ニューイングランドの町に典型的なものであり、当時のイーストアトルボロの設立教会である。ノースアトルボロのオールドタウンにあった第一会衆派教会の娘教会である。当初は現在のコモンにあった集会所であり、1825年に建てられた風格ある白い下見板張りの建物だった。1950年代初期に取り払われ、新しく信徒会館と教室を建設した。本館の赤煉瓦造りの建物と時計塔は、1904年に白い教会の横に建設された。1960年代初期、祭壇と入り口の内装が劇的に改装され、ビクトリア様式と世紀半ば現代のオープンな感覚とが融合するものになった。この教会の裏にはオールドカーク・ヤード墓地があり、町の初期の家族が埋葬されている。時計塔にある時計は当初市が所有していたが、現在は教会の所有になっている。ジャック & ジル学校が60年間以上この教会を運営してきた。市内の小学校の1つがこの協会の初代牧師ピーター・サッチャーから名付けられている。

市内のプロテスタント系ではバプテスト3教会[22]、アドベント・クリスチャン、フルート・オブ・ザ・スピリット・ミッション教会、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド、ベサニー・ビレッジ・フェローシップがある。またマレー・ユニタリアン・ユニバーサリスト教会もノース・メインストリートにある[23]。同じくノース・メインストリートのエバンゲリカル・コブナント教会は近年100周年を祝った。以前はスウェーデン教会だったが、現在は多くの民族手段を含んでいる。エホバの証人の王国会館がコモンウェルス・アベニューにある。

クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンス[24]、グッドニューズ・バイブル・チャペル[25]、ニュー・コブナント・クリスチャン・フェローシップ[26]、キャンドルベリー・ミニストリーズ[27]のような超教派の教会も多い。教会移植で始まったセントジェイムズ・アングリカン教会(ケニヤ)のような民族教会も幾つかある。

  • 救世軍のブリッジズ・オブ・ホープは、日曜礼拝と週日と夜のサポート礼拝があり、若者のための「ブリッジング・サ・ギャップ」を行う
  • イマヌエル・ルーテル教会は日曜礼拝を行う
  • アトルボロ地域カウンシル・オブ・チャーチズは地域社会で活動している
  • コングリゲーション・アグダス・アキムは、ユダヤ教再建派運動に属している

編集

2003年後半、「サン・クロニクル」が市内で膠芽腫のために死亡した4人の女性に関して、州が調査を始めたと報告した。2005年10月時点で調査結果が公表されず、調査の状態も不明である。

環境防衛基金のオンライン汚染者データベースでは、マサチューセッツ州でも最悪の違反者であるエンジニアド・マテリアルズ・ソリューション Inc. などアトルボロの発癌に関係するという7つの施設を挙げている[28]

2002年、マサチューセッツ州公衆衛生部が、ノートンとアトルボロの境にあるシュパック埋立地の発がん性を評価するよう求められた。その調査は少なくとも2004年まで続いた[29]。非公式の埋め立て物には、ウラン燃料棒、重金属、揮発性有機化合物が含まれていた[30]

著名な出身者 編集

脚注 編集

  1. ^ Quickfacts.census.gov”. 2023年11月3日閲覧。
  2. ^ Attleboro Timeline”. City of Attleboro Historical Commission. 2011年5月30日閲覧。
  3. ^ "Sketch of the History of Attleborough" Page 20, 1834
  4. ^ Brief history of jewelry findings manufacturer Guyot Brothers”. Guyot Brothers Company, Inc. (2003–2007). 2007年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月9日閲覧。
  5. ^ Geographic Identifiers: 2010 Demographic Profile Data (G001): Attleboro city, Massachusetts”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2013年2月5日閲覧。
  6. ^ U.S. Geological Survey Attleboro, MA 7.5 by 15-minute quadrangle, 1987.
  7. ^ 1950 Census of Population. 1: Number of Inhabitants. Bureau of the Census. (1952). Section 6, Pages 21-07 through 21-09, Massachusetts Table 4. Population of Urban Places of 10,000 or more from Earliest Census to 1920. http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/23761117v1ch06.pdf 2011年7月12日閲覧。. 
  8. ^ American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
  9. ^ Selected Economic Characteristics: 2009-2011 American Community Survey 3-Year Estimates (DP03): Attleboro city, Massachusetts”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2013年2月5日閲覧。
  10. ^ About Attleboro Area Industrial Museum”. Attleboro Area Industrial Museum, Inc. (2007年). 2007年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月9日閲覧。
  11. ^ About the Capron Park Zoo”. Capron Park Zoo (2007年). 2007年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月9日閲覧。
  12. ^ The History of the National Shrine of Our Lady of La Salette”. National Shrine of Our Lady of La Salette (2007年). 2007年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月9日閲覧。
  13. ^ Triboro Youth Theatre” (2007年). 2007年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月9日閲覧。
  14. ^ Attleboro Community Theatre
  15. ^ a b c d e f Official Website of the Governor of Massachusetts. (2011). Lieutenant Governor Murray Announces $5.4 Million to Support Attleboro's Downtown Redevelopment and Revitalization Project [Press Release] Retrieved from http://www.mass.gov/governor/pressoffice/pressreleases/2011/111216-attleboro-redevelopment-plan.html
  16. ^ BST
  17. ^ Massachusetts Department of Environmental Protection
  18. ^ MassDevelopment
  19. ^ Department of Housing and Community Development
  20. ^ Massachusetts Department of Transportation
  21. ^ Centenary United Methodist Church
  22. ^ Word of Truth Baptist Church
  23. ^ Murray Unitarian-Universalist Church
  24. ^ Faith Alliance Church
  25. ^ Good News Bible Chapel
  26. ^ New Covenant Christian Fellowship
  27. ^ Candleberry Ministries
  28. ^ Facilities Contributing to Cancer Hazards in Massachusetts”. Scorecard (2005年). 2007年6月9日閲覧。
  29. ^ Cancer Clusters”. WBZ News (I-Team) (2004年3月2日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月9日閲覧。
  30. ^ Waste Site Cleanup & Reuse in New England — Shpack Landfill”. US Environmental Protection Agency (2007年2月15日). 2007年6月9日閲覧。
  31. ^ Who Was Who in America, Historical Volume, 1607–1896. Chicago: Marquis Who's Who. (1963) 

外部リンク 編集