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Adolf Furtwängler - Imagines philologorum.jpg

アドルフ・フルトヴェングラーAdolf Furtwängler, 1853年6月30日 - 1907年10月10日)は、ドイツ考古学者美術史家指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの父、考古学者アンドレアス・フルトヴェングラー(de:Andreas E. Furtwängler)の祖父である。

フルトヴェングラーはフライブルクに生まれ、ライプツィヒミュンヘン(同地で彼はハインリッヒ・ブリュンde:Heinrich Brunnに師事している)において教育を受け、その中で美術批評における独自の比較研究法を確立して行く事になる。彼は1878年に行われたオリンピアの遺跡発掘に参加、1880年ベルリン博物館の助手を皮切りにベルリン(1884年)、その後ミュンヘンの教授になった。彼は最後の発掘をアイギナ島で行っている。 1894年、ミュンヘンに招聘され、<正>教授に昇格した[1]

配偶者はアーデルハイト(旧姓ヴェント)。カールスルーエの出身で、その生家にはブラームスらが出入りしていた[2]

フルトヴェングラーは、以前は略奪品として放棄されていた陶器の破片から、年代の特定を行う価値を認めた初の考古学者である。

脚注編集

  1. ^ ヴェスリンク『フルトヴェングラー 足跡ーー不滅の巨匠』54頁
  2. ^ ヴェスリンク『フルトヴェングラー 足跡ーー不滅の巨匠』55頁

参考文献編集

  • ベルント・W・ヴェスリンク、香川檀訳『フルトヴェングラー 足跡ーー不滅の巨匠』音楽之友社、1986年。
  • エバーハルト・シュトラウプ、岩淵達治、藤倉ノブ子、岩井智子共訳『フルトヴェングラー家の人々』岩波書店、2011年。

  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "要記事名. Encyclopædia Britannica (in English) (11th ed.). Cambridge University Press.