アドルフ (ライン宮中伯)
アドルフ(Adolf, 1300年9月27日 - 1327年1月29日)は、ライン宮中伯(在位:1319年 - 1327年)。
アドルフ Adolf | |
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ライン宮中伯 | |
在位 | 1319年 - 1327年 |
出生 |
1300年9月27日 神聖ローマ帝国 バイエルン公領、ヴォルフラーツハウゼン |
死去 |
1327年1月29日(26歳没) 神聖ローマ帝国 ライン宮中伯領、ノイシュタット |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ライン宮中伯領、シェーナウ修道院 |
配偶者 | イルメンガルト・フォン・エッティンゲン |
子女 |
ループレヒト2世 アドルフ フリードリヒ 娘 |
家名 | プファルツ家 |
父親 | 上バイエルン公兼ライン宮中伯ルドルフ1世 |
母親 | メヒティルト・フォン・ナッサウ |
生涯
編集上バイエルン公兼ライン宮中伯ルドルフ1世とローマ王アドルフの娘メヒティルトの次男[1]。ルドルフ2世、ループレヒト1世の兄。神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の甥。
父が叔父のルートヴィヒ4世と対立、敗れて廃位された後にライン宮中伯を継いだ(上バイエルンはルートヴィヒ4世が単独統治した)が、実権はルートヴィヒ4世に握られていた。1327年に死去し、ハイデルベルク近郊のシェーナウにあったシトー会修道院に埋葬された。
子のループレヒト2位は幼い為、弟のルドルフ2世がライン宮中伯を継いだ。1329年にアドルフの弟らおよび息子ループレヒト2世と叔父ルートヴィヒ4世の間でパヴィーア条約が結ばれ、宮中伯領は弟らと息子ループレヒト2世にゆだねられることとなった。
結婚と子女
編集1320年にエッティンゲン伯ルートヴィヒ6世の娘イルメンガルト・フォン・エッティンゲンと結婚した[1]。2人の間には以下の子女が生まれた。
脚注
編集- ^ a b c Thomas 2010, p. 387.
参考文献
編集- Thomas, Andrew L. (2010). A House Divided: Wittelsbach Confessional Court Cultures in the Holy Roman Empire, c. 1550-1650. Brill
外部リンク
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