アドレー・E・スティーブンソン

アドレー・ユーイング・スティーブンソン一世(Adlai Ewing Stevenson I, 1835年10月23日 - 1914年6月14日)は、アメリカ合衆国の政治家である。イリノイ州選出下院議員及びグロバー・クリーブランド政権で第23代アメリカ合衆国副大統領を務めた。

アドレー・E・スティーブンソン
Adlai Ewing Stevenson I.


任期 1893年3月4日1897年3月3日
大統領 グロバー・クリーブランド

出生 1835年10月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州クリスチャン郡
死去 1914年6月14日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
政党 民主党
出身校 イリノイ・ウェスリアン大学
センターカレッジ
配偶者 レティシア・グリーン
子女 4人
署名

人物 編集

1835年10月23日にケンタッキー州クリスチャン郡で誕生し、1852年にイリノイ州ブルーミントンへ両親と共に転居した。彼はブルーミントンのイリノイ・ウェズリャン大学及びケンタッキー州ダンビルのセンター・カレッジに入学した。1858年に法曹界入りしイリノイ州ウッドフォード郡メタモラで弁護士業を始めた。なお1864年アメリカ合衆国大統領選挙での民主党の選挙人であった。彼は1865年から1868年まで地方検事を務め、第44議会 (1875年3月4日 - 1877年3月3日) へ民主党下院議員に選出された。1876年に落選したが、第46議会 (1879年3月4日 - 1881年3月3日) に再選された。1880年に再選に失敗した。彼は最初の郵政長官 (1885年 - 1889年)を務め、続いて1892年にグロバー・クリーブランド大統領候補の副大統領候補者となり、副大統領職を1893年3月4日から1897年3月3日まで務めた。1900年アメリカ合衆国大統領選挙でも民主党の副大統領候補、また1908年のイリノイ州知事選挙の候補だったがいずれも落選した。

アドレー・E・スティーブンソン1世は公の政治的活動から引退し、ブルーミントンで暮らした。彼はイリノイ州シカゴで死去し、ブルーミントン墓地に埋葬された。

スティーブンソンの息子であるルイス・G・スティーブンソンはイリノイ州州務長官 (1914年 - 1917年) を務めた。スティーブンソンの孫アドレー・ユーイング・スティーブンソン二世は民主党の大統領候補だった。彼の曾孫アドレー・ユーイング・スティーブンソン3世はイリノイ州選出上院議員。もう1人の孫は俳優マクリーン・スティーブンソンである。

外部リンク 編集