アニエス・ベー
エニエス・ベー(agnès b., 本名:アニエス・トゥルブレ/Agnes Troublé, 1941年11月26日 - )は、フランスのファッションデザイナー。
エニエス・ベー | |
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![]() 2012年 | |
生誕 | Agnes Troublé 1941年11月26日(80歳) ![]() |
職業 | ファッションデザイナー |
署名 | |
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彼女が手がけるファッションブランドについてもここで扱う。
経歴編集
フランスのヴェルサイユで弁護士の娘として生まれた。美術館の学芸員を目指して、ヴェルサイユ美術学校に進学。卒業後の17歳のときに編集者のクリスチャン・ブルゴワと結婚し、長男を出産したがすぐに離婚。その後、1964年に雑誌出版社のELLEに入社して編集者となり、子ども向けのファッションを担当していた。同社退社後は「ドロテビス」でスタイリストを2年経験後、フリーの立場で「ピエール・ダルビー」でデザイナーの仕事に就いた。
1975年に自らのファッションブランドとしてアニエス・ベーを立ち上げ、パリ1区レ・アール地区ジュール通り6番地 (6 Rue du Jour) にブティックをオープン。ブランド名の「べー」は前夫ブルゴワの頭文字に由来する[1]。1980年には、ニューヨークに2号店を出店。その後、オランダ・イギリス・日本・香港・スイスなどにも進出し、世界中に店舗を持つブランドに育てあげた。私生活では2度の離婚を経験し、3人の男性との間に5人の子供をもうけた[1]。
チャリティーにも熱心で、日本赤十字社、エイズ撲滅活動やサラエヴォやコソボに対する支援を行っている。阪神・淡路大震災の際にも、Tシャツを販売して収益を支援活動にあてた。また、2004年からスクーナータラを運用して海洋環境の調査を行うタラ財団の主な支援者でもある。
映画界ともかかわりが深く、独自の映画製作会社「Love Streams Productions」をパリに設立。2013年、家庭に問題のある11歳の少女と60歳のスコットランド人男性が偶然出会い、男性が運転するトラックに乗って旅をするロードムービー『わたしの名前は…』(原題:Je m'appelle Hmmm...)を本名のアニエス・トゥルブレ名義で自ら監督した。同作はこの年のヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、第14回東京フィルメックスで特別招待作品となった[2]。
ブランド編集
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒106-0032 東京都港区六本木1-8-7 MFPR六本木麻布台ビル |
設立 | 1983年(昭和58年)12月1日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 日本国内における衣料品の輸入ブランド「agnès b」の販売 |
代表者 | エティエンヌ・ブルゴワ(代表取締役) |
資本金 | 9800万円 |
従業員数 | 650名 |
主要株主 | C.M.C. S.A. 100% |
関係する人物 | 鈴木陸三 |
婦人服・紳士服・子供服・雑貨・化粧品・香水と幅広い展開をしている。流行にとらわれないシンプルで機能的なデザインが特徴。ロゴはトカゲ。
世界各国で6つの子会社を持っており、日本での展開は、フランスのC.M.C S.A.と日本のサザビー(現・サザビーリーグ)が合弁で設立した株式会社アニエスベーサンライズが行っている。1984年に、東京・青山に1号店をオープン。現在は、全国の百貨店内などに店舗がある。アニエスベーサンライズは2005年に合弁契約を解消し、C.M.C S.A.の完全子会社になっている。
主なブランド名編集
- agnès b. FEMME(ファム:レディス)
- agnès b. HOMME(オム:メンズ)
- agnès b. ENFANT(アンファン:子供服)
- to b. by agnès b(トゥービー バイ アニエスベー)
- agnès b. VOYAGE(ボヤージュ:バッグ)
- agnès b. PARIS
脚注編集
- ^ a b あるフランス人女性デザイナーの壮絶人生とサクセスストーリー、そこから学ぶものとは? AFP, 2013年9月3日
- ^ わたしの名前は… 第14回東京フィルメックス招待作品
外部リンク編集
- 公式ウェブサイト
- 神戸大使 アニエス・ベー - 神戸市による紹介ページ