アバイ・クナンバイウル

アバイ・クナンバイウル (カザフ語: About this sound Абай (Ибраһим) Құнанбайұлы, Abai (Ibrahim) Qunanbaiuly, اباي (ٸبراهٸم) قۇنانبايۇلى) (1845年8月10日 - 1904年7月6日)は、カザフスタンの哲学者、作曲家、詩人。またヨーロッパやロシア文化をもとに開けたイスラームを原則とした文化改革者。 ロシア語では「アバイ・クナンバエフ」 (Абай Кунанбаев)と表記され、カザフ人の間では単に「アバイ」と呼ばれることが多い。

アバイ・クナンバイウル
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誕生 Abay (Ibrahim) Qunanbaiuly
(1845-08-10) 1845年8月10日
Karauyl, Abay District, East Kazakhstan Region, Kazakhstan
死没 1904年7月6日(1904-07-06)(58歳)
Karauyl, Abay District, East Kazakhstan Region, Kazakhstan
職業 アクン英語版
国籍 カザフスタンの旗 カザフスタン
民族 カザフスタンの旗 カザフ
代表作 『アバイ訓戒集』カザフ語版
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生涯編集

生い立ちと教育編集

 
Photo of Abay

現在のカザフスタン共和国東カザフスタン州アバイ地区のカラワルの村落で生まれた。クナンバイと2番目の妻ウルジャンの息子。彼はイブラヒムと名付けられたが、彼の利発さゆえにすぐさま生涯にわたって名乗のり続けたあだ名アバイ(意味"思慮深い")を付与された。

彼はマドラサでムッラーのアフメド・リザのもとで何年も学んだ後、父親の経済的地位のおかげもあって青年時代にロシア人学校に通った。アバイはセミパラチンスクの学校でミハイル・レールモントフアレクサンドル・プーシキンの著作に出合う。

業績編集

アバイの作品においてカザフ文化やカザフフォークロアに与えた主な業績とは大きなナショナリズムを巻き起こし、カザフ人の民俗文化を生み出したことであった。以前はほとんどカザフ人の詩は口承文芸であり、大草原に住むカザフ人遊牧民の習慣が反映していた。 しかし、アバイが存命中だった頃にいくつもの重要な社会政治的、社会経済的な変化が起こった。 カザフスタンではロシアの影響力が拡大し続けたことから、ロシア、西洋ないしはアジアであろうと多くの異なる哲学に触れるだけでなく、教育を受ける機会も拡大した。 アバイ・クナンバイウルは、新たに開かれたこれら地域の文化的、哲学的歴史に身を任せた。この意味でアバイの創造的な韻文は教育を受けたカザフ人の哲学的思考に影響を与えた。

後世編集

 
1965 post mark of Soviet Union honoring Abay

アラシュオルダ運動の指導者たちはアバイについて彼らを感化させてくれた精神的先人と見なした。

現代カザフ人が持つアバイのイメージは大抵ゆったりした伝統的ドレスでドンブラ(カザフの民族楽器)を握っていることが多い。今日において、カザフ人は目覚めた民族意識の中で初の民族的英雄の一人としてアバイを崇敬している。カザフ国立教育大学英語版はアバイにちなんで名づけられており、アルマトイ市の大通りの一つも同様である。 彼の名を冠した公立学校も存在している。

アバイの教え子の中には彼の甥で歴史家、哲学者、詩人のシャカリム・クダイベルディウル(1858-1931)もいた。

カザフスタンのアバイ市は彼の名にちなんでいる。

アバイ・クナンバイウルの銅像はカザフスタンの多くの都市やモスクワにも建てられている。

アバイの生涯に関する映画は1995年にアバイと題されたうえでカザフフィルムにより製作されている。また、カザフスタンの作家ムフタル・アウェーゾフの小説2作やオペラの主題にもなっている。

『クナンバイ』と題した2015年12月の映画は彼の父の生涯を描いている。

著作物編集

アバイ・クナンバイウルはロシアヨーロッパの文学作品をカザフ語に翻訳したもっとの最初の頃の人物である。ミハイル・レールモントフヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテジョージ・ゴードン・バイロンといった人物の韻文や、イヴァン・クルィロフの『寓話』、アレクサンドル・プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』等を訳した。

アバイ・クナンバイウルはその著作の中で同胞のカザフ人達に対して貧困や奴隷状態、腐敗から抜け出すために高い教育を受け、識字能力や人徳を身に着けるようにと勧奨している。彼が著述した詩や哲学論考の数々は代表作『アバイ訓戒集』カザフ語版«Абайдың қара сөздері» 英語訳 "The Book of Words" 紹介サイト[1]に編纂されているが、この本は彼の死後に出版された物である。アバイ自身は著作を出版していない。

彼はカザフ人が世界の文化財に触れる方法としてロシア文化の重要性についても論じている。

2020年生誕175年を祝賀する動き編集

2020年がアバイの生誕から175年の節目を迎える事を記念して、カザフスタン国内外で彼の功績を再び顕彰する動きが見られる。カザフスタン大統領カシムジョマルト・トカエフは2019年8月、翌年のアバイ生誕175年記念年に向け各種祝賀行事を行う為の準備基金を設立する法令に署名した。[2]175回目の誕生日となる2020年8月10日に向けてカザフスタン国内外で500を超える記念イベントが計画されているという。生誕地に近いセメイではこれと絡めて観光振興につなげようとする試みもある。[3] また、ユーチューブインスタグラムツイッター等の各種ソーシャルメディア上では #Abai175 #Aбай175 のハッシュタグを用いアバイの詩の一節を朗読するなどして彼の功績を讃える動画を発信する動きも見られる。インスタグラムに寄せられた動画の数々[4]

2012年5月のモスクワ反政府運動編集

ロシア連邦大統領に3期目となるウラジミール・プーチンが就任した後モスクワで反政府運動が行われ、2日後の2012年5月9日にカザフスタン大使館にほど近いモスクワ中心部のキストプルダニー通りにあるアバイ・クナンバイウルの記念碑付近で抗議団体が野営テントを張った。すぐさまこの銅像は抗議団体の参加者の目印になった[1]。モスクワの占拠されたアバイ像でロシアの反対派指導者アレクセイ・ナワルニーはアバイ・クナンバイウルの銅像の隣で彼のサポーターと会合を行い、ナワルニーは「何者か不明なカザフ人記念碑」と述べたことから数日間にわたってTwitterのハッシュタグトップの1つとなった。 それはアバイを非常に尊敬しているカザフ民族の間で怒りの渦を巻き起こしていた。 また、アバイの詩はAppStoreダウンロードのトップ10に入る売れ行きを見せた[2]

脚注編集

  1. ^ Vinokurova, Ekaterina (2012年5月10日). “May protests in Moscow: The Whats and Whys”. Gazeta.ru. オリジナルの2014年11月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141128000316/http://en.gazeta.ru/news/2012/05/10/a_4578133.shtml 2012年5月12日閲覧。 
  2. ^ “Russia had to provide security of Kazakhstan embassy during OccupyAbai campaign”. Tengrinews.kz English. http://en.tengrinews.kz/unrest/9918/ 2012年5月18日閲覧。 

外部リンク編集