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アポロ11号は、史上初めて人類着陸させることに成功したアポロ宇宙船、及びそのミッション英語版の名称である。

アポロ11号
Buzz salutes the U.S. Flag.jpg
月面での船外活動中に立てた星条旗に敬礼するバズ・オルドリン
任務種別 有人月面着陸
運用者 NASA
COSPAR ID
  • CSM: 1969-059A
  • LM: 1969-059C
SATCAT №
  • CSM: 4039
  • LM: 4041
任務期間 8日と3時間18分35秒
特性
宇宙機
製造者
打ち上げ時重量 100,756ポンド (45,702 kg)
着陸時重量 10,873ポンド (4,932 kg)
乗員
乗員数 3名
乗員
コールサイン
任務開始
打ち上げ日 1969年7月16日13:32:00 (UTC) (1969-07-16T13:32:00Z)
ロケット サターンV SA-506
打上げ場所 ケネディ宇宙センター LC-39A
任務終了
回収担当 USS Hornet
着陸日 1969年7月24日16時50分35秒 (UTC) (1969-7-24T16:50:35Z)[1]
着陸地点 北太平洋
北緯13度19分 西経169度9分 / 北緯13.317度 西経169.150度 / 13.317; -169.150 (アポロ11号着水地点)[1]
軌道特性
参照座標 月周回軌道
近点高度 54.5海里 (100.9 km)[2]
遠点高度 66.1海里 (122.4 km)[2]
傾斜角 1.25度[2]
軌道周期 2時間[2]
元期 1969年7月19日21:44 UTC[2]
月オービター
宇宙船搭載構成物 司令・機械船
軌道挿入 1969年7月19日17:21:50 UTC[3]
軌道脱出 1969年7月22日04:55:42 UTC[3]
軌道周回数 30
月着陸船
宇宙船搭載構成物 月着陸船
着陸 1969年7月20日20:17:40 UTC[4]
帰還 1969年7月21日17:54 UTC
着陸地点 静かの海
北緯0度40分27秒 東経23度28分23秒 / 北緯0.67408度 東経23.47297度 / 0.67408; 23.47297[5]
標本採集量 47.51ポンド (21.55 kg)
船外活動回数 1
船外活動時間 2時間31分40秒
月着陸船のドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日 1969年7月16日16:56:03 UTC[3]
分離日 1969年7月20日17:44:00 UTC[3]
月着陸船上段ロケットのドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日 1969年7月21日21:35:00 UTC[3]
分離日 1969年7月21日23:41:31 UTC[3]

周囲を青色と金色で縁取った円の内側に、地球を背景にして月の上で翼を広げながらオリーブの枝を掴んでいるワシを表した徽章。
ミッション徽章

ヘルメットを脱いで宇宙服を着用したまま、大きな月の写真の前に座る3名の宇宙飛行士。
左から:アームストロングコリンズオルドリン

目次

概要編集

アポロ11号はNASAアポロ計画の5度目の有人ミッションとして、ニール・アームストロング船長、バズ・オルドリン操縦士、マイケル・コリンズ操縦士の3名の宇宙飛行士を乗せて[6]、1969年7月16日の東部夏時間午前9時32分 (13:32 UTC=協定世界時) に[6]フロリダ州メリット島にあるケネディ宇宙センターからサターンV型ロケットで打ち上げられた。月軌道ランデブーを実現可能にしたアポロ宇宙船は、次の3つの部分から成る。3人の宇宙飛行士が乗り込める船室を備え、唯一地球に帰還する部分である司令船 (CM) 、推進力、電力、酸素、水を供給して司令船を支援する機械船 (SM) 、月に着陸するための下降段と、月を離陸して月周回軌道まで宇宙飛行士を再び帰すための上昇段の二段式になっている月着陸船 (LM) である。

アポロ11号はサターンVの第三段の推力で月に向かい、途中で司令船をサターンVから切り離して着陸船とドッキングし、およそ3日半かけて月周回軌道に到達した。アームストロングとオルドリンは二段式の月着陸船「イーグル」に乗り移り、司令船「コロンビア」から分離した後、下降段ロケットの噴射で減速しつつ、7月20日20:17 (UTC) に月面の静かの海に「イーグル」を軟着陸させた。着陸から6時間余り後の7月21日02:56:15 (UTC) にアームストロングは月面に足を降ろし、約20分後にオルドリンがそこに加わった。こうして二人は人類として初めて月面に降り立った人物となった。二人は共に2時間15分ほど船外で過ごし、47.5ポンド (21.5 kg)の月物質を地球に持ち帰るために採集した。コリンズは司令船「コロンビア」に一人残り、二人が月面にいる間、月周回軌道上で司令船を操縦する傍ら、月面の写真撮影を行なった。アームストロングとオルドリンは21時間半を月面で過ごした後、「イーグル」上昇段を離陸させ、月周回軌道上にて司令船「コロンビア」と再ドッキングし、コリンズと合流した。「イーグル」を投棄した後、宇宙飛行士たちは司令船を地球へ帰還する軌道に乗せる操作を行い、ロケットを噴射して月軌道を離脱した。三人は8日間以上の宇宙飛行を終えて、7月24日に地球に帰還し、太平洋に着水英語版した。

月への着陸の様子は世界中に向けてテレビジョン放送で生中継された。アームストロングは月面に足を降ろし、この出来事について「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と述べた。アポロ11号は実質的に宇宙競争を終わらせ、アメリカ合衆国は、1961年に故ジョン・F・ケネディ大統領が掲げた「この60年代の終わりまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という国家目標を見事に達成した[7]

枠組み編集

正規搭乗員編集

地位 宇宙飛行士
船長 ニール・A・アームストロング
最後にして2回目の宇宙飛行
司令船操縦士 マイケル・コリンズ
最後にして2回目の宇宙飛行
月着陸船操縦士 エドウィン・E・オルドリンJr.
最後にして2回目の宇宙飛行

ニール・アームストロングを船長に、ジム・ラヴェルを司令船操縦士 (CMP) に、バズ・オルドリンを月着陸船操縦士 (LMP) に、それぞれ割り当てることが公式に発表されたのは1967年11月20日のことだった[8]。搭乗員全員がいずれも過去に宇宙飛行を経験したことのあるベテラン飛行士で編成されたのは、アメリカの宇宙開発史上、アポロ10号に次いで[9]、これが2度目のことだった[10]。以後、全員がベテラン飛行士で編成される3度目の機会は、1988年のSTS-26まで訪れることはなかった[10]。ラヴェルとオルドリンは以前、ジェミニ12号の搭乗員として一緒に飛行したことがあった。この搭乗員は当初、アポロ9号の予備搭乗員として編成されたが、月着陸船 (LM) の設計と製造に遅れが生じたため、アポロ8号とアポロ9号は搭乗員および予備搭乗員が丸ごと交換され、アームストロング船長率いる搭乗員はアポロ8号の予備搭乗員になった。通常の搭乗員ローテーション計画に基づけば、アームストロングは当時アポロ11号の船長になることが予想されていたが[11]、一人変更されることになった。アポロ8号に乗り組む予定だったマイケル・コリンズが両脚に故障を抱え始めたためである[12]。医師らは、問題は5番目と6番目の椎骨間の骨の成長にあるとみられ、外科手術を要すると診断した[13]。このため、ラヴェルがコリンズに代わってアポロ8号の搭乗員になり、コリンズは1968年12月に脊髄の手術を受けて[14]故障から回復すると、司令船操縦士としてアームストロング船長以下の搭乗員に加わった。その間、フレッド・ヘイズが月着陸船操縦士として、オルドリンが司令船操縦士として、それぞれアポロ8号の予備搭乗員を務めた[15]。アームストロング、コリンズ、オルドリンの3名がアポロ11号[注 1]の搭乗員として指名されたのは、1969年1月のことだった[17]。他のアポロ飛行ミッションでは、中央の座席に司令船操縦士が座ることになっていたが、前述の事情があって最後に搭乗員に加わったのはコリンズだったために、先にオルドリンが真ん中の座席で訓練されていた[18]。このため、アポロ11号では、宇宙船(司令船)に乗り込む際、まずアームストロングが左側の船長席に、次にコリンズが右側の席に、そして最後にオルドリンが中央の席に、それぞれ座ることになった[18]

予備搭乗員編集

地位 宇宙飛行士
船長 ジェームズ・A・ラヴェルJr.
司令船操縦士 ウィリアム・A・アンダース
月着陸船操縦士 フレッド・W・ヘイズJr.

予備搭乗員の構成は、ラヴェルが船長、アンダースが司令船操縦士、ヘイズが月着陸船操縦士だった。このうち、アンダースとラヴェルはアポロ8号で一緒に飛行したことがあった[10]。ところが、1969年前半にアンダースは同年8月に実施される国家航空宇宙会議英語版との仕事を引き受け、その日に宇宙飛行士を引退することを発表した。その時点で、万が一アポロ11号が予定されていた7月の打ち上げより遅れてアンダースを任用できなくなった場合に備えて、ケン・マッティングリー英語版を地上支援員から異動させ、予備の司令船操縦士としてアンダースと並行して訓練を受けさせることにした。ラヴェル、ヘイズ、マッティングリーの3名は最終的にアポロ13号の搭乗員として配属されることになった[19]

地上支援員編集

飛行管制主任編集

コールサイン編集

 
月着陸船「イーグル」から撮影した月周回軌道上のアポロ11号司令・機械船「コロンビア」

アポロ10号の搭乗員が自分たちの搭乗するアポロ宇宙船を「チャーリー・ブラウン (Charlie Brown)」および「スヌーピー (Snoopy)」(共に漫画『ピーナッツ』のキャラクターに因む)と名付けた[20]後で、広報担当のジュリアン・シアーは当時有人宇宙船センター長だったジョージ・ロウ英語版に、アポロ11号の搭乗員が自分たちのアポロ宇宙船を命名する際はもう少し真面目な名前をつけてもらえないだろうかと提案する書簡を送った。NASAの計画の初期段階において、アポロ11号の司令船は「スノーコーン (Snowcone)」(かき氷)、同じく着陸船は「ヘイスタック (Haystack)」(干し草積み)という暗号名で呼ばれており、その報道発表で使用されていた[21]

その後、司令船は「コロンビア (Columbia)」と命名され、その由来はアメリカを象徴的に擬人化した伝統的な女性名「コロンビア」で、ジュール・ヴェルヌの1865年発表の小説『地球から月へ』に登場する、(アポロと同様にフロリダから)宇宙船を発射するための巨大な大砲「コロンビアード」にも因んでいる。月着陸船は、アメリカの国鳥であるハクトウワシをミッションの徽章の主役として起用することが決定された後、「イーグル (Eagle)」と命名された[22]

徽章編集

 
アポロ11号と共に宇宙を飛行した銀のロビンス・メダル英語版

アポロ11号のミッション徽章英語版はコリンズが「アメリカ合衆国による平和的な月面着陸」を象徴することを願ってデザインした(ページ上部参照)。ラヴェルの提案で、コリンズはワシを象徴に選んだ上で、遠くに地球を望みながら月を背景にして、嘴(くちばし)に平和の象徴であるオリーブの枝英語版をくわえたワシを描いた[23]。写実的に見れば、この画の中の日光は差してくる方向が正しくないし、地球の影も左ではなくもっと下の方に描かれるべきだった。NASAの役人たちには、このワシの鉤爪は(そのままでは)あまりに戦闘的すぎると見えたようで[23]、かなりの議論があった後、オリーブの枝を嘴から足の爪に移すことで巧みに爪を隠した。アームストロングは "eleven" の表記では非英語話者には理解しにくいであろうことを懸念したので、"Apollo 11" とアラビア数字表記になった[24]。また、アポロ11号の搭乗員たちは自分たちの名前を徽章に記載しないことに決め[注 2]、徽章は「月面着陸に向けて働いた“みんな”を代表する」ものとなった[25]。使われたすべての色は自然に由来する色で、徽章は青色と金色で円周を縁取られた[要出典]。前述のように着陸船は徽章に合わせて「イーグル」と命名された。

1971年にアイゼンハワーの1ドル硬貨が発行されたときには、硬貨の裏面にこの図案のワシが使用された[26]。アポロ11号のミッションから10年後にあたる1979年に発行された小さなアンソニーの1ドル硬貨でも、この徽章の図案が使用された[27]

記念品編集

ニール・アームストロングは、自身の個人的な記念品である、ライト兄弟が初めて空を飛んだ1903年の飛行機の左のプロペラから取った木片と、その翼から取った布切れ[28][29]、そして当初ドナルド・スレイトンアポロ1号の搭乗員の未亡人たちからもらった、ダイヤモンドが散りばめられた宇宙飛行士の階級章英語版を月に持って行った。この階級章はアポロ1号で飛行し、ミッション後にスレイトンに与えられるはずだったが、発射台での悲惨な火災事故と後に続く葬儀を受けて、未亡人たちがスレイトンに渡したもので、アームストロングはそれを持ってアポロ11号に乗船した[30]

ミッションのハイライト編集

打ち上げと月軌道までの飛行編集

アポロ11号を搭載したサターンVが発射塔のカメラの前を通過する様子
地球周回軌道を脱出(月遷移軌道への投入)直後のアポロ11号から見た地球
打ち上げのエンジン点火時のビデオテープ映像 (500 fps)

「打ち上げ当日は、発射場近くの幹線道路や海岸に群がる見物客ばかりでなく、数百万の人々がテレビジョンでこの光景をじっと見守っていた」と、NASAの主任広報官だったジャック・キング英語版はコメントしている。実際、打ち上げ前日の夕方までに、ケープ・ケネディから50マイル (80 km)以内のホテルの空き部屋がなくなるほどで[31]、ケープには100万人以上の人々が見物のために押し寄せた[32]リチャード・M・ニクソン大統領もホワイトハウスフランク・ボーマン(アポロ11号担当大統領補佐官[33])とともに事の進行を見ていた[34]

現地時間の7月16日午前6時52分に3名の宇宙飛行士の宇宙船への搭乗が開始され、午前7時22分に搭乗が完了した[35]

1969年7月16日13:32:00 UTC(現地時間午前9時32分00秒)、サターンV型ロケットはアポロ11号を搭載して、ケネディ宇宙センター第39発射施設内にある39A発射台から打ち上げられた[6]。サターンVは12分後には、高度98.9海里 (183.2 km)から100.4海里 (185.9 km)の辺りで、地球を周回する軌道に入った。地球を一周半した後、16:16 (UTC) に予定通りロケットの第三段 (S-IVB) を点火[36]、16:22:13 (UTC) に月遷移投入 (Trans-lunar injection, TLI) し、月へと向かう軌道に乗せた。16:40 (UTC) に使い切ったロケットの第三段からアポロ司令・機械船 (CSM) を切り離し[37]、180度反転(トランスポジション)して、第三段に取り付けられている月着陸船 (LM) とドッキングした[38]。サターンVの第三段から月着陸船を抽出した後で、合体した宇宙船は月に向かう針路をとる一方、他方の第三段は月を通過する弾道を描くように飛行して太陽を周回する軌道に入った[3][39]

打ち上げから25時間0分53秒5が過ぎたとき、アポロ11号は地球と月のちょうど中間にあたる193,000km地点に達した[40]

7月19日17:21:50 (UTC) にアポロ11号は月の裏側を通過して機械船の推進エンジンを点火し、月周回軌道に乗った。その後、月を30周するうち[41]、飛行士たちは静かの海南部のサビンD英語版クレーター (0.67408N, 23.47297E) から南西に約12マイル (19 km)の辺りに位置する着陸地点の過ぎ行く景色を目にした。この着陸地点はある程度予め選定されていたのだが、それは無人探査機レインジャー8号サーベイヤー5号による先行調査や、月周回衛星ルナ・オービターが撮影した月面写真により、その比較的平坦で滑らかな地形が着陸や船外活動 (EVA) を行うのに支障がないと判断されたためであった[42]

月への降下編集

 
司令船「コロンビア」から分離直後に撮影された着陸船「イーグル」
 
月へ降下中のアポロ11号と交信するCAPCOMのチャールズ・デュークと、予備操縦士のジェームズ・ラヴェルおよびフレッド・ヘイズ

7月19日22時30分 (UTC) 過ぎにアームストロングとオルドリンは月着陸船に乗り移り、着陸船の整備や地上との交信テストを始めた[43]。翌20日、月周回13周目に月の裏側で[44]月着陸船「イーグル」は司令船「コロンビア」から切り離され、同日18:11 (UTC) に司令船は着陸船から離れた[45]。「コロンビア」に一人残ったコリンズは、機体をゆっくりと回転させる着陸船「イーグル」に損傷がないことを目視にて確認した。

エンジンを点火し、降下を開始してしばらく経ってから、アームストロングとオルドリンは月面上の目標地点を通り過ぎるのが4秒ほど早いことに気づき、彼らは「このままでは飛びすぎてしまう」と報告した。これはすなわち、予定していた着陸目標よりも数マイル西の地点に着陸してしまうことを示していた。

降下のためのエンジン燃焼に入る5分前、月面から高度6,000フィート (1,800 m)で、着陸船の航法・誘導コンピュータが予期しない警報 "1202" と "1201" を発した[46]。その時、テキサス州ヒューストンのミッションコントロールセンター英語版内にいたコンピュータ技師のジャック・ガーマン英語版は、誘導管制主任のスティーブ・ベイルズ英語版にこのまま降下を続けても安全であることを告げ、このことは直ちに飛行士たちにも伝えられた。これらの警報は「実行オーバーフロー ("executive overflows")」を表示し、誘導コンピュータがその全てのタスクの処理をリアルタイムで完了できず、そのうちのいくつかを遅延させなければならない状態にあることを意味していた[47]。着陸の際、司令船とのランデブー用のレーダーは必要ではなくなるが、万が一着陸を中止して緊急脱出する事態に備えて、スイッチがオンになっていた。そのため、コンピュータには高度測定用レーダーからのものとランデブー用レーダーからのものの2系統のデータが同時に入ってきてしまい、演算処理が追いつかなくなったのである。

チェックリストのマニュアルに誤りがあったため、ランデブーレーダーのスイッチが間違った場所に置かれていました。これによって、誤った信号がコンピュータに送信されたのです。その結果、コンピュータは、その時間の15%を費やす余分な負荷となるスプリアスデータを受信しつつ、着陸のためのすべての通常の機能を実行するように求められていました。コンピュータ(というより、その中に入っているソフトウェア)は、十分に賢かったので、実行しなければならない命令以上に多くのことを頼まれているということを認識していました。それで、宇宙飛行士に分かるように警告を発して「今しなければならないこと以上に多くの命令が入ってきて手が回らない。だから遂行するのは重要な命令だけにするよ」と知らせました。すなわち、着陸に必要な命令を……。実際、コンピュータはエラー状態を認識する以上のことをするようにプログラムされていました。ソフトウェアには回復プログラム一式が組み込まれていたのです。ソフトウェアの動作としては、この場合、優先度の低い仕事を除外して、重要なものを再構築することでした。……もしコンピュータがこの問題を認識できずに回復動作をとらなかったら、アポロ11号の月への着陸が上手くいったかどうか、疑わしいと思います。[48][注 3]

マーガレット・H・ハミルトン (Director of Apollo Flight Computer Programming MIT Draper Laboratory, Cambridge, Massachusetts) [52]からの手紙、"Computer Got Loaded" の題で、1971年3月1日刊『Datamation英語版』誌上にて発表。

着陸編集

1969年7月20日、月面に着陸。
 
静かの海 (Sea of Tranquility) 上のアポロ11号の着陸地点 (Landing)
LROから撮影された写真とステレオ画像数値標高モデルを用いて三次元画像化されたアポロ11号の着陸地点

アームストロングが再び窓の外に目をやると、コンピュータがはじき出した着陸目標が、直径300メートル (980 ft)ほどもあるクレーター[注 4]のすぐ北と東の大きな岩がいくつも転がっている地帯にあるのが見えた。アームストロングは操縦を半自動に切り替え[53]、オルドリンに高度と速度のデータを読み上げてもらいながら、およそ25秒分の燃料を残して、7月20日日曜日20:17:40 (UTC) に月面に着陸した[4][54]

アポロ11号は他のミッションよりも少ない残燃料量で着陸し、飛行士たちはかなり早い段階から燃料残量警告表示に直面することになった。これは後に、燃料タンク内で推進剤が想定以上に大きく揺れ動き(スロッシング)、燃料計の値が実際よりも少なく表示されていた結果であることが分かった。そのため、次回以降のミッションでは、これを抑える抑流板がタンク内に追加設置されることになった[4]

降下している間、オルドリンはずっと、着陸船の操縦で多忙なアームストロングの横で、航法データを読み上げ続けた。着陸の直前、「イーグル」の脚部から垂れ下がっていた、長さ67インチ (170 cm)の探針のうちの少なくとも1本が月面に接地したことを示すライトが点灯した。それを知ったオルドリンは「接触灯点灯! ("Contact Light!")」と言葉を発して、3秒後に「イーグル」が着陸し、アームストロングは「(エンジンを)切るぞ。 ("Shutdown.")」と言った。すぐにオルドリンは「オーケー、エンジン停止。ACA (Attitude Controller Assembly) 解放。 ("Okay, engine stop. ACA – out of detent.")」と確認した。アームストロングは「ACA解放了解。自動に ("Out of detent. Auto")」と復唱し、オルドリンは「モード制御、両方とも自動。下降段エンジンの司令重複、オフ。エンジンアーム、オフ。413接続。 ("Mode control – both auto. Descent engine command override off. Engine arm – off. 413 is in.")」と続けた。

着陸段階にあった間、CAPCOM(通信担当官)だったチャールズ・デュークは「イーグル、君たちの着陸を確認した。 ("We copy you down, Eagle.")」と応えて、彼らの着陸を承認した。

アームストロングは、オルドリンが「エンジンアーム、オフ。 ("Engine arm is off")」と言って、着陸後のチェックリストを付ける作業が一通り完了したのを確認すると、デュークに「ヒューストン、こちら静かの基地。イーグルは舞い降りた。 ("Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.")」[55]と応答した。アームストロングがコールサインを「イーグル」から、予行演習にはなかった[56]静かの基地」 (Tranquility Base) に変更したことで、着陸が完全に成功したことが強調され、聴取者たちに伝えられた。それを聞いたデュークは、ミッション管制センターで安堵の気持ちを表し、それに応答する際に「了解、しず……静か、月面上の君たちを確認した。君らのおかげで沢山の奴らが真っ青になっているよ。これでやっと一息つける。本当にありがとう。 ("Roger, Twan— Tranquility, we copy you on the ground. You got a bunch of guys about to turn blue. We're breathing again. Thanks a lot.")」[4][57]と、一瞬言い淀みながらも応えた。

着陸から2時間半後、船外活動の準備を始める前に、オルドリンは次のように地球に無線連絡した。

こちらは月着陸船操縦士です。この機会を借りて、私はこの放送を聞いている人々に対し、誰であろうと、またどこにいようと、しばらくの間手を止めて、この数時間に起こったできごとについて熟慮し、それぞれの方法で感謝をしてほしいと願います。[58][59]

そのあと彼は、私的に聖餐式を行なった[60]。この当時NASAは、アポロ8号の宇宙飛行士が月を周回中に聖書の創世記の一節を朗読したこと英語版に反対していた無神論者マダリン・マレー・オヘア英語版と目下係争中であり、オヘアはNASAに対し、「宇宙飛行士は、宇宙にいる間は宗教的活動を放送することを控えるべきだ」と要求していた。それゆえ、オルドリンは月で聖餐式を行うことに直接言及することを差し控える選択をした。オルドリンはテキサス州ウェブスター英語版にある長老派教会の長老で、聖餐用具は同教会の牧師であるディーン・ウッドラフ師が用意していた。オルドリンは月での聖餐式と教会及び牧師を巻き込んだことについて、『ガイドポスツ』誌の1970年10月号と自叙伝『地球への帰還』(原題:"Return to Earth")の中で説明している。ウェブスターの長老派教会は、このとき月で使用された聖餐杯を所有しており、毎年7月20日に最も近い日曜日を「月の晩餐の日」として記念行事を行なっている[61]

この任務のスケジュールでは、宇宙飛行士たちが朝早くから起きていたことに表れているように、5時間の睡眠時間で着陸を履行することが求められていた。しかし、飛行士たちは睡眠時間を割愛することに決め、早期に船外活動の準備を始め、睡眠することはできないだろうと考えていた。

月面での活動編集

 
着陸船に搭載された低速度走査テレビカメラがとらえた、月面に下りるはしごを下るアームストロング
 
月面上のオルドリンが撮影した、着陸船近くのアームストロングの写真。月面滞在中はほとんどアームストロングがカメラを持っていたので、月面上のアームストロング自身の姿が写ったものとしては、数少ない写真の一つ。

飛行士たちは、まず60度の視界がある着陸船の2つの三角窓から外の様子をよく観察し、初期アポロ科学実験装置 (Early Apollo Scientific Experiment Package, EASEP) と呼ばれる科学観測機器[62]星条旗(アメリカ国旗)をどこに設置するか計画を立てた。船外活動の準備は予定よりも2時間余計にかかってしまった。アームストロングは船外活動用の生命維持装置英語版 (PLSS) を身に着けたまま最初にハッチを通り抜けようとする際に大変な苦労を要した。2度の月飛行を経験したベテランのジョン・ヤング飛行士によると、着陸船のハッチは開発の途中で再設計されてサイズが小さく変更されていたのだが、宇宙服の背面に装備される生命維持装置の再設計にはそれが反映されていなかったため、アポロ宇宙飛行士たちの心拍数は月着陸船のハッチを出入りする時に最高値を記録することがよくあったそうである[63][64]

初期のミッション日程表では、最初に月に降り立つ人物として、ニール・アームストロングではなくバズ・オルドリンを挙げている書籍も複数ある[65]

1969年7月21日月曜日02:39:35 (UTC) に[66]、アームストロングはハッチを開け、02:51 (UTC) に月面へと降り始めた。胸の位置にある遠隔操作ユニット (Remote Control Unit) のせいで、アームストロングは自分の足元が見えなかった。9段のはしごを降りながら、アームストロングはDの字型のリングを引いて、「イーグル」の側面に折り畳まれていたモジュール装置積込アセンブリ (Modular Equipment Stowage Assembly, MESA) を展開してテレビカメラを起動した後、02:56:15 (UTC) にアームストロングは左足を月面に下ろした[67][68]。一歩目の着地は低速度走査テレビジョンに映し出されたが、この映像はテレビ中継の際に使用される商用のテレビジョン規格と互換性がなかった。そのため、一度特殊なモニタに映像を表示させておき、そのモニタの映像を従来型のテレビカメラで撮影することで本放送されたのだが、その画質は著しく低減されることとなった[69]。信号はアメリカのゴールドストーンで受信されていたが、オーストラリアのハニーサックル・クリーク追跡基地英語版が受信した信号のほうが忠実度が高くて鮮明だった。数分後、通信の中継基地は感度が良好なオーストラリアのパークス電波望遠鏡に切り替えられた[70]。幾多の技術的困難と天候不順を乗り越え、月面からの史上初の船外活動をとらえた、ぼんやりとした白黒の映像が地球上で受信され、世界中の少なくとも6億人以上の人々がテレビ放送を通してこの映像を見ていたといわれている[71]。この放送形式のビデオの複製物は保存されており、広く入手することが可能だが、低速度走査テレビカメラで撮影されて月から伝送された元の高画質の録画映像英語版は、NASAの日常業務で磁気テープを繰り返し利用しているうちに誤って破損されてしまった。

 
着陸船「イーグル」のはしごに残された銘板

アームストロングは、はしごに掛けたまま、着陸船下降段に載せられていた、(西半球と東半球の)2つの地球の図と銘刻、及び3名の宇宙飛行士とニクソン大統領の署名が描かれている銘板英語版を除幕した。銘板には次の文章が刻印されていた。

Here men from the planet Earth first set foot upon the Moon, July 1969 A.D. We came in peace for all mankind.(西暦紀元1969年7月、惑星地球より来る我ら、ここに月面への第一歩をしるす。我ら全人類を代表して平和のうちに来れり。)

月面の塵について「とてもきめの細かい (very fine-grained)」「ほとんど粉のよう (almost like a powder)」と説明した後[68]、着陸から6時間半が経とうとした頃に[3]、アームストロングは「イーグル」の脚の上に降り立ち、次のように宣言した。

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。 ("That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.")[注 5][72][73][74][75]

アームストロングは「一人の男にとっては小さな一歩 ("That's one small step for a man")」と言うつもりでいたが、通信音声では "a" という単語は聞き取りにくく、最初、単語 "a" は生放送を見ていた大多数の人には伝えられていなかった。後にこの名文句について尋ねられたとき、アームストロングは「一人の男にとっては ("for a man")」と言ったと思っていたと述べており、後年発行されたこの句の活字版には、角括弧付きで "a" が含まれていた。ある解釈では、 "a" は欠落していたと主張され、彼は訛りによって "for a" の2単語を連続して不明瞭に発音したのだと説明されている。別の解釈では、パークス天文台付近の嵐をその一因とする、地球に繋いだ映像と音声の断続的性質で "a" の欠落を説明している。より最近のテープ音声のデジタル解析では、 "a" は発言されたかもしれないが、空電[注 6]のせいでよく聞き取れなかったことが明らかになったと主張されている[76][77]


この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

月面に足を踏み入れて7分後、アームストロングは細長い棒で土壌サンプルを採取して試料袋に詰め、袋を畳み、右腿のポケットに押し込んだ。これは、万が一緊急時に飛行士たちが船外活動を断念して着陸船に戻らなければならなくなった場合でも、多少なりとも月の土壌を地球に持ち帰れるよう保証するための作戦行動(緊急採集[78])だった[79]

土壌サンプルの採取が完了して12分後[3]、オルドリンはアームストロングに続いて月に降り立ち、月面の風景について、簡潔な言い方で「荘厳にして荒涼 ("Magnificent desolation")」と表現した[68]

 
アームストロングが撮影したオルドリン。ヘルメットにはアームストロング自身の姿が映っている。

アポロ11号は、1960年代の終わりまでに人間を月に着陸させるというケネディ大統領の指令を達成したばかりでなく[80]、アポロシステムの工学技術試験でもあった。そのため、技師たちはアームストロングが撮った月着陸船のスナップ写真からその着陸後の状態を判断することが可能だった。アームストロングはMESA(着陸船の器具収納部)からテレビカメラを取り外して月面のパノラマ映像を撮影し、着陸船から68フィート (21 m)離れたところに設置した三脚の上にカメラを載せた。テレビカメラのケーブルには一部に巻きつけられていたときの癖が残っていたため、船外活動中はずっと、その曲がりくねった所に足を引っかけてつまづくおそれがあった。

アームストロングは、地球の6分の1しかない月の重力の中を移動するのは「ひょっとしたら模擬訓練よりもよほど楽かもしれない……歩き回るのに何の苦労もない。 ("even perhaps easier than the simulations ... It's absolutely no trouble to walk around.")」と言った[68]。そこにオルドリンも参加して、両足で踏み切るカンガルー跳びなど、様々な歩行法を試みた。すると、背中に生命維持装置を背負っているために上体が後ろに反る傾向はあるものの、バランスを取るには大した問題もなく、慣れてくると、むしろ大股で歩くのがよいことが分かった。ただし、移動する際は常に六、七歩先のことを予想して歩く必要があったり、粒の細かい土の部分はかなり滑りやすかったりしたので、注意を要した。また、太陽の照っている所から着陸船の影に入ったときには、宇宙服の中の温度は全く変化がなかったが、ヘルメットの内部では明白な温度差が感じられたとオルドリンは報告した[68]

飛行士たちは特別にデザインされた星条旗英語版をテレビカメラにはっきりと写る所に立てた。しばらくすると突然、電話無線伝送を通じてリチャード・ニクソン大統領が飛行士たちに話しかけてきた。後にニクソンはこの交信を「かつてホワイトハウスからかけられた電話の中で最も歴史的な通話 ("the most historic phone call ever made from the White House.")」と呼んだ[81]。ニクソンは当初、通話中に読み上げる長い演説文を用意していたが、当時NASAの連絡担当官でホワイトハウスにいたフランク・ボーマンは、故ケネディ大統領の遺産である月面着陸に敬意を表しつつも、飛行士たちのスケジュールがぎっしりと詰まっていることを大統領に説明し、通話を手短に済ませるよう説得した[注 7]。アームストロングは大統領に謝辞を伝えた上で、この一瞬の重大さに簡潔に反応して次のような会話を交わした。

 
月に滞在中のアームストロングおよびオルドリン両飛行士と話すニクソン大統領

ニクソン: こんにちは、ニールとバズ。私はホワイトハウスの執務室から電話で君たちに話しかけています。そして、これはきっとこれまでにかけられた電話の中で最も歴史的な通話になるでしょう。君たちの成し遂げたことがどれほど国民皆の誇りに思うことか、言葉では言い表せないほどです。すべてのアメリカ人にとって、今日は生涯で最も誇るべき日となることでしょう。そして、世界中の人々もアメリカ人とともに、これが何と素晴らしい偉業であることかを認めるだろうと私は確信しています。君たちが成し遂げたことで、天上は人間世界の一部になりました。そして、君たちが静かの海から私たちに呼びかけてくれたことで、私たちは励まされ、地球に平和と静寂をもたらすための努力を倍加します。全人類史の中でかけがえのないこの一瞬に、この地球上のすべての人々は真に一つです。君たちが成し遂げたことに対する誇りと、そして君たちが無事に地球に帰還するようにとの祈りとで、私たちは一つです。

アームストロング: ありがとうございます、大統領閣下。アメリカ合衆国のみならず、平和を愛するすべての国の人々を代表して、興味と好奇心、未来への展望を持って、私たちがここにいることは誠に光栄かつ名誉なことです。私たちが今日ここに与ることができて光栄に存じます。

 
月のレゴリスを試験する実験の一環で付けられたオルドリンの靴跡

MESAは安定した作業プラットフォームを提供することができず、飛行士は着陸船の影で活動することを余儀なくされたため、作業はいくぶん遅れることになった。作業しているうち、月面を歩行して灰色の塵を巻き上げ、宇宙服の外皮 (Integrated Thermal Meteoroid Garment, ITMG) を汚してしまった。

飛行士たちは、受動月震計月測距再帰反射器 (Lunar Ranging Retroreflector, LRRR) を含めた、科学観測機器 (EASEP) を展開した。その際、オルドリンが2本の試料採取用のコアチューブを集めている間に、アームストロングは着陸船から196フィート (60 m)歩いて、リトル・ウェスト・クレーター英語版の周縁部でスナップ写真を撮った。アームストロングは岩石ハンマー英語版を使用してそれらのチューブを打ったのだが、アポロ11号でハンマーが使われたのはこの時だけである。そして、飛行士たちはスコップや伸張式の鋏を使って岩石試料を採集した。月面での活動の多くは想定よりも長引いたため、彼らは割り当てられていた34分間の活動時間の中頃で、採集した試料について文書に記載する手を止めなくてはならなかった。

 
着陸場所と写真の撮影場所を示した地図

この時に飛行士たちが採集した岩石試料からは、新種の鉱物としてアーマルコライトトランキリティアイト英語版パイロクスフェロアイト英語版の3種が発見された。このうち、アーマルコライト (Armalcolite) はアームストロング (Arm)、オルドリン (al)、コリンズ (col) の3名の宇宙飛行士の名に因んでいる。

月面で活動している間、ミッション管制センターは、アームストロングの代謝率がやや高めだったので、少しペースを落とすように伝えていた。彼は時間内に任務をやり遂げようとして、あまりにも急ピッチに仕事をこなしていた。しかし、月面を歩行している間は二人の飛行士の代謝率は予想されていた値よりも低かったため、管制センターは両飛行士に15分間の活動延長を許可した[82][83]。2010年のインタビューで、着陸船から最大で196フィート (60 m)歩いたアームストロングは、当時NASAが最初の月面歩行の時間と距離に制限をかけていたことを明かした。その理由は、月面で作業する間に飛行士たちの発する熱を下げるために、背中に備えられた生命維持装置がどの程度の量の冷却水を消費するかについて、経験に基づく裏付けが取れていなかったことによるものだった[84]

月面からの上昇と帰還編集

 
受動月震実験装置群(写真中央)の隣に立つオルドリン(同左)と「イーグル」(同右)

予定されていた月面での活動をすべて消化すると、まずオルドリンが先に着陸船「イーグル」に戻った。採集した岩石や撮影したフィルムなどを収めた箱は重量が21.55キログラム (47.5 lb)に上り、月面機材運搬機 (Lunar Equipment Conveyor) と呼ばれるフラットケーブル滑車装置で引っぱり上げたが、ハッチから船内に入れるのには若干苦労した。アームストロングは宇宙服のポケットの袖に入っている記念品の袋を忘れないようにとオルドリンに念を押し、オルドリンは袋を放り投げた。それから、アームストロングははしごの3段目まで一気にジャンプして飛び乗り、はしごを上って船内に入った。船内の生命維持システムに移った後、月周回軌道まで帰るための着陸船上昇段の明かりをつけ、宇宙服の船外活動用生命維持装置、月面靴、ハッセルブラッド製カメラなど、不要になった機材を放り捨てると、ハッチを閉め、船内を与圧し、2人はようやく月面での初めての睡眠についた[85]

ニクソン大統領のスピーチライターだったウィリアム・セイファイア英語版は、最悪の事態として、万一アポロ11号の宇宙飛行士たちが月で遭難した場合を想定して、大統領がテレビ演説で読み上げる In Event of Moon Disaster (月で災難の場合)と題した追悼文を用意していた[86]。その不測の事態に対応するための計画は、セイファイアからニクソンの大統領首席補佐官だったH・R・ハルデマンに渡されたメモが発端だった。そのメモには、もしアポロ11号が不慮の事態に見舞われ、ニクソン政権がそれに対する反応を求められるかもしれなかった状況で、セイファイアが作成した追悼の言葉の原案が示されていた[87][88]。その計画によれば、ミッション管制センターが月着陸船との「交信を絶つ ("close down communications")」と、聖職者が海葬英語版になぞらえた公的儀式で「彼らの魂を深い淵の底に委ね ("commend their souls to the deepest of the deep")」る手はずだった。用意された原稿の最後の一行では、ルパート・ブルックが第一次世界大戦期に詠んだ詩『兵士英語版』にそれとなく言及している[88]。また、宇宙飛行士たちの妻らに大統領が見舞いの電話を入れることも計画されていた。

オルドリンは船内で作業しているとき、月面から離陸するために使用する上昇用エンジンを作動させる回路ブレーカーのスイッチを誤って壊してしまった。このことで、船のエンジンの点火が妨げられ、彼らは月面に取り残されてしまう懸念があった。幸いにも、フェルトペンの先でスイッチを作動させることができたが[85]、もしもそれがうまくいかなければ、上昇用エンジンを点火するために着陸船の電気回路は構成し直されていたかもしれなかった。

およそ7時間の睡眠の後、アームストロングとオルドリンはヒューストンからの目覚ましによって起こされ、帰還飛行の準備を始めるよう指示された。2時間半後の21日17:54:01 (UTC)[89] に「イーグル」は上昇段のエンジンを点火して月から離陸し、コリンズが乗っている月周回軌道上の司令船「コロンビア」を目指した。

21時間36分21秒を月面で過ごした[89]2人は、月レーザー測距実験に使用される再帰反射器アレイや、月震の観測に使用される受動月震実験装置群などの科学観測機器を月面に残してきた。また、飛行士3人が火災事故で犠牲になったアポロ1号のミッションパッチや、古くから平和の象徴とされてきたオリーブの枝を模した金のレプリカ及び地球からのメッセージを収めたシリコンディスクを入れた記念袋も置いてきた。ディスクには、アメリカのアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの歴代大統領及び世界73か国のリーダーたちの親善のメッセージ英語版が収録されているほか、アメリカ合衆国議会の代表者たち、NASAの設立に尽力した上下両院の4つの委員会のメンバー、及びNASAの歴代長官の名前の一覧も記録されている[90]。オルドリンは1989年に出版した自著『地球から来た男』(原題:Men from Earth[注 8])で、その中にはソビエト連邦の宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフユーリイ・ガガーリンを記念したメダルも入っていたことを明かした[29]。さらに、NASAの宇宙飛行士訓練担当官ドナルド・スレイトンの著書『ムーンショット』 (Moonshot) によると、アームストロングにダイヤモンドの入った特製の飛行士の階級章を月面に置いてくるよう託していたそうである。

 
司令船「コロンビア」に接近してくる「イーグル」の上昇段

離陸時に「イーグル」の上昇段から撮影された映像には、月面の下降段から25フィート (8 m)ほど離れた場所に立てられた星条旗が、上昇段エンジンの噴射で激しくはためく様子がとらえられていた。オルドリンはちょうど旗がぐらついて倒れるのを目撃し[3]、「上昇を始めた時、私はコンピュータの操作に集中し、ニールは姿勢指示器を注視していたが、旗が倒れるのを長い間見ていられた」と報告した[41]。このため、以後のアポロミッションでは、上昇段エンジンの噴射で吹き飛ばされることのないように、星条旗は着陸船から少なくとも100フィート (30 m)以上離れた場所に立てられることになった。

21日21:35 (UTC)[89] に「イーグル」の上昇段は、月軌道上で待機していた司令船「コロンビア」とのランデブーとドッキングに成功し、約28時間ぶりに3人が再会した後[89]、「イーグル」の上昇段は1969年7月21日23:41 (UTC) に月周回軌道上に投棄された。アポロ12号の飛行の直前には、「イーグル」は依然として軌道上に留まっているようであることが確認されたが、後に出されたNASAの報告書には、「イーグル」は軌道が次第に減衰した結果、月面の「不確かな場所」 ("uncertain location") に衝突したのだろうと記されている[91]。場所が不確かである理由は、「イーグル」上昇段は投棄された後に追跡されていなかったこと、そして月の重力場が十分に一様ではないために、少々時間を置いた後では宇宙船の軌道が予測不可能になってしまうことによる。NASAは「イーグル」の軌道は投棄から数か月以内に減衰し、月面に衝突したのだろうと推定している。

7月22日04:56 (UTC) にアポロ11号は機械船の主エンジンを噴射して月周回軌道を離れ[89]、同日05:30 (UTC) に月の裏側でエンジンを噴射して地球帰還軌道に乗り[92]、地球への帰路に就いた。

7月23日、着水前の最後の夜に、3名の宇宙飛行士はテレビ放送で次のようにコメントした[93]。最初にコリンズが、

……我々を軌道に乗せたサターンV型ロケットは信じられないほど複雑な機械ですが、すべての部品は完璧に動作してくれました……我々は常に、この装備が正しく作動してくれることを確信していました。これはすべて、多くの人々が流した血と汗と涙によってのみ、可能になったことです……今皆様が目にしているのは私たち3人だけですが、水面下では何千、何万もの人たちによって支えられているのです。そして私は、それらすべての人々に申し上げたいです。『心からありがとう』と。

と述べ、続いてオルドリンが、

この飛行は、月に送られる使命を帯びた3人の男の奮闘以上に、政府と企業のチームの努力にとどまらず、さらには一国のすべての国民の努力さえも超えて、非常に大勢の方々のご尽力によって成し遂げられました。これは、未知なるものを探求する全人類の飽くなき好奇心を象徴しているのだと、私たちは感じています……個人的には、ここ数日のあの月での出来事を回想するとき、聖歌の一節が心に浮かんで参ります。『私はあなたの指の業なる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これを御心にとめられるのですか』

と加え、最後にアームストロングが、

この飛行に対して責任を担ってきたのは、まず第一に、この取り組みに先立つ科学の歴史とそれを築き上げてきた偉人たち、次いで、自らの意思を通じてこれを成し遂げたいという願いを表明したアメリカ国民、そして、国民の意思に従い、それを履行した4代にわたる政権と連邦議会、さらに、我々の宇宙船やサターンロケット、司令船コロンビア、着陸船イーグル、船外活動ユニット英語版、月面における小さな宇宙船とも言うべき宇宙服などを作り上げた政府機関や企業のチームなどです。我々は、この宇宙船を設計し、試験し、建造し、飛行させるために心血を注ぎ、持てる限りの能力を発揮してくれたすべてのアメリカ人に対し、特別の感謝を捧げたく存じます。我々は今夜それらの方々に対して特別の感謝の言葉を申し上げ、また、今夜この放送を見聞きしている人々に神の祝福があらんことを祈ります。アポロ11号より、おやすみなさい[41]

と結んだ。

地球への帰還に際して、グアムの追跡基地で装置の軸受が故障したことで、もしかすると地球帰還時の連絡に関して最後の一部分の受信が妨げられていた可能性があった。通常の修復作業では与えられた時間内に作業を終えるのは無理だったが、基地の主任だったチャールズ・フォースは、自身の10歳の息子グレッグに、軸受箱の中にその小さな手を入れてグリスを塗ってもらって急場をしのいだ。お手柄のグレッグは後にアームストロングから感謝された[94]

着水と検疫編集

 
洋上に浮かぶ「コロンビア」と飛行士たちの下船を助ける海軍のダイバーら
 
ホーネット艦上で生物学隔離服に身を包む宇宙飛行士たち

7月24日、宇宙飛行士たちは司令船「コロンビア」に乗って地球に帰還し、太平洋のウェーク島の東方2,660 km (1,440 nmi)、ジョンストン環礁の南方380 km (210 nmi)、司令船と飛行士たちの回収任務を担う航空母艦ホーネットからの距離わずか24 km (13 nmi)の北緯13度19分 西経169度9分 / 北緯13.317度 西経169.150度 / 13.317; -169.150 (アポロ11号の着水地点)の海上に着水した[3][注 9]。現地時間のちょうど夜明け前 (16:51 UTC[3]) のことだった。そこはアメリカ領サモアヴァティア村英語版の近辺だった[95]。アポロ11号によって月に持ち込まれたアメリカ領サモアの旗は、アメリカ領サモアの首都パゴパゴにあるジーン・P・ヘイドン博物館英語版に展示されている[96]

16:44 (UTC) に減速用パラシュート英語版が開き、7分後に司令船は船体を力強く水面に叩きつけられた。着水英語版時に司令船は上下逆さまに落下したが、浮力袋によって10分以内に立て直された。「すべて順調。チェックリストは完全だ。スイマーらを待つ。 ("Everything's okay. Our checklist is complete. Awaiting swimmers")」が、公式な通信記録に残る、アームストロングの「コロンビア」から最後に発した言葉だった。上空でホバリングする海軍のヘリコプターから下りてきたダイバーが、船が漂流することのないように、司令船に海錨英語版を取り付けた。別のダイバーらは船を安定させるために司令船に浮揚環管を取り付け、宇宙飛行士たちを下船させるためのボートを船の横につけた。月面から病原体を持ち帰る可能性がわずかに懸念されたが、たとえわずかでも起こりうることだとして、NASAは念のため回収現場で慎重な予防措置を取った。ダイバーらは宇宙飛行士たちに、ホーネット艦上の隔離施設に到着するまでの間ずっと、生物学隔離服 (Biological Isolation Garment, BIG) を着用させた。さらに、宇宙飛行士たちは次亜塩素酸ナトリウム製剤を使用して身体を擦り拭かれ、司令船は船体に付着しているかもしれない月の塵をベタダインを使って拭き取られた。その後、除染物質を積んだボートは故意に沈められた[97]

もう一機のヘリコプター、シーキングヘリコプター66英語版— は、宇宙飛行士たちを一人ずつ吊り上げ、ホーネットに帰艦するまでの0.5海里 (930 m)の移動中に機内ではNASAの航空医官英語版が各飛行士に簡単な健康診断を施した。

 
地球に帰還した後、検疫のために隔離施設に収容されるアポロ11号の搭乗員と、彼らを訪問するニクソン大統領。

ホーネット艦上に着地した後、宇宙飛行士たちはヘリコプターを降り、航空医官及び3人の乗組員と別れた。そのあと、ヘリコプターは格納庫ベイ2号へと入っていった。宇宙飛行士たちはそのベイの中を移動式隔離施設英語版 (Mobile Quarantine Facility, MQF) まで30フィート (9.1 m)歩いて施設内に入り、地球ベースで21日分の検疫期間が開始された[98]。この措置は、続くアポロ12号アポロ14号の2つのアポロミッションでも実施されたが、後に月に生命が存在しないことが証明されると、検疫措置は取り止めになった[97][99]

リチャード・ニクソン大統領は個人的に、地球に帰還した宇宙飛行士たちを歓迎するために、ホーネットに乗艦していた。ニクソンは宇宙飛行士たちに「君たちが成し遂げたことのおかげで、世界はこれまでになく一層親密になった。 ("As a result of what you've done, the world has never been closer together before.")[100]」と祝福の言葉を伝えた。ニクソンが出発した後、ホーネットは重量5トンの司令船に近づいて舷側に寄せ、艦のクレーンを使って船を引き揚げ、台車に載せてMQFの隣まで運び込んだ。ホーネットはハワイの真珠湾基地に向けて航行し、基地に到着すると「コロンビア」とMQFは有人宇宙船センターまで空輸された[97]

7月16日にNASAが発布した一連の規定[101]地球外暴露法英語版に従い、検疫試験計画が成文化され、月には未発見の病原体が存在するかもしれず、月面滞在中に宇宙飛行士たちがそれに曝されたかもしれないとの懸念から、宇宙飛行士たちの検疫が続けられた。しかし、3週間の隔離[注 10]を経て、宇宙飛行士たちに完全健康証明書が与えられた[102]。1969年8月10日にアトランタで、逆汚染に関する庁間委員会 (Interagency Committee on Back Contamination) の会合が開かれ、宇宙飛行士たち、飛行士の検疫に従事した者たち(NASAの医官ウィリアム・カーペンティア英語版とMQFプロジェクト技師ジョン・ヒラサキ英語版[103])、及び「コロンビア」自体の隔離がようやく解かれた[104]。宇宙船から取り外せる備品は、月試料が研究用に公開されるまでの間、隔離されたままだった[104]

祝賀編集

 
ニューヨーク市での祝賀パレードの様子

8月13日、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスで盛大なパレードが行われ、3人は歓迎と祝福を受けた[105][106]。同日の晩にはロサンゼルスのセンチュリー・プラザ・ホテル英語版で、連邦議会議員、44州の知事、合衆国最高裁判所長官、83か国の大使らが主宰する公式晩餐会が開かれた[106]。その席上で、リチャード・ニクソン大統領とスピロ・アグニュー副大統領から各宇宙飛行士の栄誉を称えて大統領自由勲章が授与された[106]。この祝賀会は以後45日間に及ぶ「偉大な飛躍 ("Giant Leap") ツアー」の始まりにすぎなかった。このツアーで3人の宇宙飛行士は25か国を歴訪し、イギリスの女王エリザベス2世など、世界の著名なリーダーたちを表敬訪問した。多くの国では、人類史上初の月面着陸を称える雑誌の特集が組まれたり、アポロ11号の記念切手や記念硬貨が発行されたりした[107][108]

1969年9月16日、3人の飛行士はキャピトル・ヒル英語版での合衆国議会両院合同会議の開会前にスピーチし、月面に持って行った2枚の星条旗のうちの一方を下院に、もう一方を上院に渡した[109]

月着陸競争編集

 
ルナ15号の完成想像図

ソビエト連邦は月面に人間を着陸させることにおいてアメリカ合衆国と競争していたが、アメリカのサターンVに匹敵するN-1ロケットの開発の度重なる失敗により、勝利への道は阻まれた[110]。それでも、ソ連は何とかアメリカに勝とうとして、無人探査機英語版を用いて月物質を地球に持ち帰る計画を立てた。アポロ11号が打ち上げられる3日前の7月13日に、ソ連はルナ15号を打ち上げ、アポロ11号よりも先に月周回軌道に到達させた[111]。しかし、月面への降下中にルナ15号は機能不全に陥り、月面の危難の海に落下、衝突した。これは、アームストロングとオルドリンが月面を離陸して地球への帰路につく約2時間前のことだった。後に、イギリスにあるジョドレルバンク天文台の電波望遠鏡は、月面へ降下中のルナ15号から受信した通信記録を発見したことを、アポロ11号の40周年記念となる2009年7月に発表した[112]

遺産編集

宇宙船の所在編集

国立航空宇宙博物館に展示されていた司令船「コロンビア」
2012年に月周回衛星LROが撮影したアポロ11号月着陸船の着陸地点

司令船「コロンビア」は、首都ワシントンD.C.にある国立航空宇宙博物館 (National Air and Space Museum, NASM) に展示されていた。「コロンビア」が展示されていた場所は同博物館のジェファーソン・ドライブ入り口正面の中央展示ホール内の Milestones of Flight コーナーで、同ホールには他に、ライトフライヤー号スピリットオブセントルイス号ベルX-1ノースアメリカンX-15マーキュリー宇宙船フレンドシップ7号ジェミニ4号など、アメリカの航空宇宙史を開拓してきた機体が展示されている。アームストロングとオルドリンの宇宙服は同博物館内の Apollo to the Moon コーナーに展示されている。隔離施設、浮揚環管、転覆した船体の立て直しに用いられた浮力球は、バージニア州シャンティリーのワシントン・ダレス国際空港に近い、NASMの別館である、スミソニアン協会のスティーブン・F・ウドバー=ハジー・センター英語版に展示されている。

月着陸船「イーグル」の下降段は月面に残されたままである。2009年、ルナー・リコネサンス・オービター (Lunar Reconnaissance Orbiter, LRO) が、月の表面のあちこちに位置するかつてのアポロ宇宙船の着陸地点を、月着陸船、科学観測機器、宇宙飛行士が月面歩行時につけた足跡を見分けられるほど十分に解像度の高い画像として、初めて画像化することに成功した。上昇段の遺物は、投棄されて月に再衝突した後、月の表面の不明な場所にあると推定されている。

2012年3月、Amazonの創設者ジェフ・ベゾスから資金提供を受けた専門家チームは、アポロ11号を宇宙へと打ち上げたF-1ロケットエンジンの場所を特定した。エンジンは先進的な走査型超音波探知機を用いて大西洋の海底で発見された[113]。専門家チームは5基のエンジンのうちの2基の部品を海面まで引き揚げた。2013年7月、その大西洋から引き揚げられたエンジンのうちの1基の錆びついた表面の下にシリアルナンバーが記載されているのを管理人が発見し、NASAはそれがアポロ11号の打ち上げで使われたものであることを確認した[114][115]

 
メアリー・ベイカー・エンゲン修復用格納庫で修復中の司令船「コロンビア」

「コロンビア」は2017年にバージニア州シャンティリーにあるスティーブン・F・ウドバー=ハジー・センター英語版内の国立航空宇宙博物館メアリー・ベイカー・エンゲン修復用格納庫 (NASM Mary Baker Engen Restoration Hangar) に移され、アポロ11号の月面着陸50周年を記念して4都市で開催される Destination Moon: The Apollo 11 Mission (デスティネーションムーン:アポロ11号のミッション)と題した巡回展に向けて準備が進められている。この巡回展は、2017年10月14日から2018年3月18日までスペースセンター・ヒューストンにて、2018年4月14日から同年9月3日までセントルイス科学センター英語版にて、2018年9月29日から2019年2月18日までピッツバーグのハインツ歴史センター英語版にて、そして2019年3月16日から同年9月2日までシアトルの航空博物館英語版にて、開催される予定である[116][117]

アポロ11号の月遷移投入に能力を発揮したサターンVの第三段S-IVBは、地球の公転軌道に近い、太陽周回軌道上に留まっている[118]

40周年記念行事編集

 
ニュージアムでの展示用にアポロテレビカメラを組み立てる国立電子技術博物館英語版のマイク・シモンズ館長

2009年7月15日にLife.comは、同誌の写真家だったラルフ・モース英語版がアポロ11号の打ち上げに先立って撮影した宇宙飛行士の未公表写真をウェブ上の写真ギャラリーで公開した[119]。2009年7月16日から同24日まで、NASAはアポロ11号ミッションで流れた本物の音声を40年前の月飛行の実時間に合わせてストリーミング配信した[120]。さらに、当時のビデオフィルムの復元作業が進められており、重要な場面を集めた予告編が公開されている[121]。2010年7月、アポロ11号が月へ降下して着陸するまでの間に宇宙から地球に伝送されたミッション管制センターの音声録音とフィルム映像が再同調され、初めて公開された[122]ジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館英語版は、アポロ11号が打ち上げられてから月に着陸するまでの交信記録を再放送するFlashウェブサイトを立ち上げた[123]

 
(左から)オルドリン、コリンズ、アームストロング、オバマ(2009年7月20日、ホワイトハウスにて)

2009年7月20日、アポロ11号の搭乗員だったアームストロング、オルドリン、コリンズの3名は、ホワイトハウスでバラク・オバマ大統領と面会した[124]。オバマは「私たちが話しているように、向こうで空を見上げる別世代の子供たちが、次なるアームストロング、コリンズ、オルドリンになろうとすることを期待しています」と述べ、「彼らが(月への)旅路に就きたいとき、彼らのためにNASAがそこを目指していることを確実にしておきたい」と加えた[125]。2009年8月7日、合衆国議会の法令により、アメリカで文民に贈られる最高位の賞である議会黄金勲章が3名の宇宙飛行士に授与された。この法案はフロリダ州選出の上院議員ビル・ネルソンと同州選出の下院議員アラン・グレイソン英語版に支持されたものだった[126][127]

イギリスの科学者グループは、40周年記念行事の一環として行われたインタビューで、月面着陸の重要性に反応して、次のように答えた。

(月面着陸は)危険を冒しながらも、技術的に素晴らしい方法で実行されました……今日のリスク回避的世界[128]にあっては、あれは想像もつかないことだったように思います……アポロ計画は今までに人類が達成した中で最も偉大な技術的業績だと言ってよいでしょう……アポロ以後、アームストロング、オルドリンと彼らの後に続いた他の10名の宇宙飛行士たちが生み出したような興奮に近いものがありません[129]

ギャラリー編集

注釈編集

  1. ^ 3人を指名した時点では、NASAは「Gミッション」と呼んでいた[16]
  2. ^ 徽章内には宇宙飛行士名を入れるのが以前からの通例となっており、これはその後のアポロやスカイラブスペースシャトル計画等でも行われているため、今回は異例の措置となった。
  3. ^ 手紙に記述されている通り、ミッション中に原因はランデブーレーダーのスイッチが間違った場所にあったことにあると診断され、その結果、ランデブーレーダーと着陸レーダーの両方から同時に送られてきたデータをコンピュータに処理させようとしたのだった[1][49]。しかし、ソフトウェア技師のドン・アイルズ (Don Eyles) は、2005年の誘導制御会議 (Guidance and Control Conference) の論文で、実はこの問題は以前アポロ5号のために最初の無人月着陸船をテストしている最中に見られたハードウェア設計の欠陥が原因であると結論づけた。(緊急時着陸中止という万が一の事態に備えて)ランデブーレーダーをオンにしておくことはコンピュータとは関係ないはずだったが、無作為なハードウェアの電源の入れ方次第では、ランデブーレーダーシステムの2つの部品の間に生じる電気的位相の不整合により、コンピュータに対して固定型アンテナが2つのポジションの間を前後にディザリングするように見えることがある。ランデブーレーダーがインボランタリ・カウンタを更新すると、余分な疑似サイクルスチールにより、コンピュータは警告を発する[50]。アポロ宇宙船の司令船と着陸船の両方に搭載されているフライトソフトウェアは非同期実行を使って開発されたので、優先度の高い仕事が優先度の低い仕事に割り込めるようにできていた。アポロ11号の着陸過程で発生した一連の出来事は、そのグローバルエラー検出及び回復システムのおかげで、上手くいったのだった。これには、「強制終了してやり直し」する再起動能力及び再計算能力、そして、万が一の緊急事態に、通常の画面表示に優先度の高い警告表示を割り込ませる能力を提供する、表示インターフェースルーティン(「優先表示」)も含まれていた。このマルチプログラミング環境を利用した解決策を生み出すために以前より講じられていた措置としては、マルチプロセッシングのための解決策が提案された。マルチプログラミング環境では、ある一定の時刻でアクティブに実行されているのは1つのプロセスのみであるが、同じシステム内の他のプロセス(スリープ中または待機中)が実行中のプロセスと並行して存在している。これを背景にして、優先表示機構が生み出され、宇宙飛行士と搭載されるフライトソフトウェアとのマンマシンインタフェースを本質的に同期表示方式から非同期表示方式へと変えることで、ミッションをリアルタイムで再構成する必要が生じた場合にそのような再構成を可能にした[51]
  4. ^ 当初計画されていた着陸楕円の西部に位置していることに因み、後にウェスト英語版と命名された。
  5. ^ NASAの録音の写しには、実際に言ったか否かにかかわらず、冠詞の "a" が意図されたと説明されており[68]、そこには、個人の行為としての a man と種としての mankind を対比する意図があった。
  6. ^ 空電とは、雷などの大気中の放電によって生じる電磁波で、ラジオなどの受信機の雑音の原因となる。
  7. ^ この逸話はフランク・ボーマンが関わったドキュメンタリー番組『When We Left Earth: The NASA Missions (英語版』のパート2で紹介されている。
  8. ^ 鈴木健次古賀林幸訳による和訳書が1992年に角川書店から出版されている(ISBN 4-04-703233-6)。
  9. ^ このとき、日本航空の国際線旅客機の運行乗務員が、ミッドウェー諸島付近にて大気圏内を2000km/hで落下中のアポロ11号を目撃した。撮影に夢中で、客室への放送は忘れたという。[要出典]
  10. ^ 最初はアポロ宇宙船内、次にホーネット艦上のMQF、最後に有人宇宙船センターの月試料研究所 (Lunar Receiving Laboratory, LRL) 内にて。

出典編集

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参考文献編集

洋書編集

和書編集

外部リンク編集