アマーリエ・フォン・ヘッセン=ホンブルク

アマーリエ・フォン・ヘッセン=ホンブルクドイツ語: Amalie von Hessen-Homburg, 1774年6月29日 - 1846年2月3日)は、ドイツヘッセン=ホンブルク家の公女で、アンハルト=デッサウ公世子フリードリヒの妻。

アマーリエ
Amalie
アンハルト=デッサウ公世子妃
アマーリエの肖像画(ヨハン・ハインリヒ・アウグスト・ティシュバイン画、1797年頃)

全名
出生 (1774-06-29) 1774年6月29日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ホンブルク方伯領ホンブルク
死去 (1846-02-03) 1846年2月3日(71歳没)
アンハルト=デッサウ公国デッサウ
配偶者 フリードリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ
子女 一覧参照
家名 ヘッセン=ホンブルク家
父親 フリードリヒ5世
母親 カロリーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
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生涯 編集

ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ5世とその妻でヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘であるカロリーネの間の第5子、三女として生まれた。1792年6月12日、ホンブルクでアンハルト=デッサウ公世子フリードリヒと結婚。アマーリエは自分の子供たちの育児・教育を徹底的に自分自身で行った。1797年2月6日、営林長官ハインリヒ・オットー・フォン・ゲルシェン(Heinrich Otto von Görschen)よりプリオーラウドイツ語版の荘園を購入した。

ホンブルク宮廷に仕えていた詩人フリードリヒ・ヘルダーリンは1800年頃、「静けさに包まれた家から出て デッサウ侯妃にあてて(Aus stillem Hauße senden – An eine Fürstin von Dessau)」という詩をアマーリエに献呈している。

子女 編集

夫との間に7人の子をもうけた。

参考文献 編集

外部リンク 編集

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