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アムトヒル男爵(アムトヒルだんしゃく、: Baron Ampthill)は、連合王国貴族男爵位。

ベッドフォード公爵ラッセル家の分流で外交官のオード・ラッセル1881年に叙されたのに始まる。

歴史編集

第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセル(1766–1839)の次男ジョージ・ラッセル卿英語版(1790–1846)の三男であり、1871年から1884年にかけて駐ドイツ大使英語版を務めた外交官オード・ラッセルは、1881年3月11日勅許状により連合王国貴族爵位ベッドフォード州におけるアムトヒルのアムトヒル男爵(Baron Ampthill, of Ampthill in the County of Bedford)に叙せられた[1][2]

2代男爵オリヴァー・ラッセル英語版(1869–1935)は、植民地インドの行政官としてマドラス総督英語版(在職1900年-1906年)やインド総督代理(在職1904年)を務めた。またフリーメイソンの連合グランドロッジのグランドマスター代理を務めた[1][3]

3代男爵ジョン・ヒューゴ・ラッセル英語版(1896–1973)は、1922年に最初の妻クリスタベルが不貞を働いたとして離婚訴訟を行い、クリスタベルが1921年10月15日に産んだ男子(後の4代男爵ジェフリー・ラッセル英語版(1921–2011))の認知も拒否した。しかし1924年の貴族院上訴判決は、ジェフリーの嫡出性を訴えるクリスタベルの主張を認めている(ラッセル事件英語版[1]

この結果、3代男爵の死後、ジェフリーが4代男爵を継承した。4代男爵が2011年に死去した後、その長男のデイヴィッド・ラッセル英語版(1947-)が5代男爵を継承し、現在に至っている[1]

アムトヒル男爵 (1881年)編集

家系図編集

ノート編集

  1. ^ a b c 1922年に3代男爵が最初の妻クリスタベルに対して離婚訴訟を行うも失敗。1923年に再度離婚訴訟を行って成功するも1924年の貴族院判決で覆される。最終的に1935年に離婚が認められたものの、貴族院は3代男爵とクリスタベルの間の息子の嫡出性に支障なしとした(ラッセル事件英語版参照)
  2. ^ 三番目の妻
  3. ^ 4代男爵の男爵位継承に疑義を唱える訴えを起こしたが、貴族院は1976年に彼の訴えを退け、4代男爵の正統性を確認

出典編集

  1. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Ampthill, Baron (UK, 1881)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月27日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Odo William Leopold Russell, 1st Baron Ampthill” (英語). thepeerage.com. 2016年2月27日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Arthur Oliver Villiers Russell, 2nd Baron Ampthill” (英語). thepeerage.com. 2016年2月27日閲覧。

関連項目編集