アルゴスアーピスギリシア語: Ἄπις、Apis)は、古代ギリシア語において「遠く離れている」ないし「梨の木の」を意味した「apios」に由来する名[1][2]の、ギリシア神話に登場するアルゴスの王。英語読みでは、エイピス ([ˈpɪs]) となる。

家族 編集

アーピスは、ポローネウスニュンペーのテーレディケー (Teledice)[3]かキンナ (Cinna)[4]、あるいはケルド (Cerdo) に産ませた子で[5]ニオベーの兄弟にあたる。一説には、ポローネウスとその第一夫人ペイトー(「説得」の意)の息子であり、シキュオーンアイギアロス英語版の兄弟であったともいう[6]。さらにアーピスの母であった可能性がある女性として、ラーオディケー (Laodice)[7]ペリメーデー (Perimede) がいる[8]

統治 編集

諸家の伝えるところでは、アーピスは紀元前1600年ころまで35年間にわたってアルゴスを統治したとされる。

アーピスは、統治においては独裁をおこない、ペロポネソスに自身の名をつけてアーピアー (Apia) と称したが、遂には息子のスパルタ王テルクシオーン英語版が、テルキース英語版と結んだ策謀によって殺された[3]アテナイアポロドーロスによるとされる『ビブリオテーケー』は、このように述べる個所の前で、ポローネウスの子のアーピスがアイトーロスによって殺されたと記しているが、これは、このアーピスと、それとは別の、ヤソン (Jason) の子アーピスを混同したものであり、後者はアザーンの死後に行われた葬礼競技祭に参加して事故でアイトーロスに殺された[9]

アーピスの女きょうだいであったニオベーは、復讐し、テルクシオーンとテルキースを死に追いやった[10]

セラーピス 編集

ポローネウスの子のアーピスは、死後にセラーピス (ギリシア語: Σάραπις) という名で神として崇拝された。この混同は、その後の伝統の中でより強固なものとなっていき、やがてアーピスがアルゴス王国を弟に譲り、エジプトへ赴いて、エジプトを数年間統治したという話が生まれた[11][12]。アーピスは、古代ギリシアにおける最初期の立法者のひとりとされている[13]。これらの逸話は、エジプト神話における牛の姿で表象される神アピスの要素がアーピスの話に混入していることを示している。

脚注 編集

  1. ^ "Apis is the noun formed from apios, a Homeric adjective usually meaning ‘far off’ but, when applied to the Peloponnese (Aeschylus: Suppliants), ‘of the pear-tree’" as cited in Robert Graves' The Greek Myths
  2. ^ Robert Graves (1960). The Greek Myths. Harmondsworth, London, England: Penguin Books. pp. s.v. Endymion. ISBN 978-0143106715 
  3. ^ a b Pseudo-Apollodorus, Bibliotheca 2.1.1
  4. ^ Hyginus, Fabulae 145
  5. ^ Pausanias, Description of Greece, 2. 21. 1
  6. ^ Scholiast on Euripides, Orestes 920
  7. ^ Tzetzes on Lycophron 177
  8. ^ Scholia on Pindar, Olympian Ode 3. 28
  9. ^ Pausanias, Graeciae Descriptio 5.50.6
  10. ^ Pseudo-Apollodorus, Bibliotheca 2.1.2
  11. ^ Eusebius, Chronicle, n. 271
  12. ^ Augustine, De Civitate Dei, 18. 5
  13. ^ Theodoret. Graec. Affect. Cur. vol. iv. p. 927, ed. Schulz.

参考文献 編集

爵位・家督
先代
ポローネウス
アルゴス王
紀元前1622年/紀元前1625年ころ - 紀元前1600年ころ
次代
Argus