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アルサブAlsab, 1939年 - 1963年)とは、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬、および種牡馬である。プリークネスステークスなどの競走に優勝し、マッチレースアメリカクラシック三冠馬ワーラウェイを破るなど活躍した。コリンから3代先の子孫にあたり、同馬も種牡馬としてヒムヤー系の存続に貢献した。1976年アメリカ競馬殿堂入りを果たしている。

アルサブ
Narragansett Park, R.I., Championship Match Race, Alsab winning over Whirlaway. September 19, 1942 (74630).jpg
1942年9月19日のナガランセット・パークでのマッチレース(絵葉書)
欧字表記 Alsab
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1939年4月28日
死没 1963年3月26日
Good Goods
Winds Chant
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 Tom Piatt
馬主 Albert Sabath
調教師 August "Sarge" Swenke(アメリカ
競走成績
生涯成績 51戦25勝
獲得賞金 350,015ドル
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経歴編集

出生編集

父グッドグッズはステークス競走で4勝するも、大競走ではベルモントステークス3着が関の山であった一流半の種牡馬で、アルサブはその初年度産駒であった。母ウィンズチャントは生産者のトム・ピアットが90ドルで手に入れた牝馬で、8戦して2着が1回だけと大した戦績を残さなかった馬である。父母ともにピアットのもとに繋養されており、アルサブは1939年4月28日にその牧場で生まれた。

アルサブは1歳のときにサラトガのイヤリングセールに出品された。これに調教師のオーガスト・シェンクが注目し、シカゴ在住の弁護士アルバート・サバスに購入させた。父母の低評価もあってか、アルサブはそのセールの平均取引額1763ドルを大きく下回る700ドルという破格の安値で購入されている。アルバートは自身の姓名それぞれの頭音節(Albert Sabath)を取って、この馬にアルサブと名付けた。

2歳時編集

アルサブはシェンクの調教のもとで競走馬となり、1941年2月にハイアリアパーク競馬場でデビューして14着、3戦目で初勝利を挙げた。2歳ながら22戦もの競走に出走し、ワシントンパークフューチュリティなどのステークス競走を含む15勝の活躍により、同年のアメリカ最優秀2歳牡馬に選出された。同年のフリーハンデキャップにおいては、同世代を大きく突き放す130ポンド(約59キログラム)が与えられている。

また、この2歳時に後のライバルの1頭となるリクエステッドと出会っている。2歳でのトップホースであったこの両頭の陣営に、マッチレースの企画が持ち込まれ、これが9月23日のベルモントパーク競馬場6.5ハロン(約1107メートル)で実現した。10000ドルの賞金が懸けられたこの競走は22381人の観衆が詰めかけるなかで行われ、両者ともに122ポンド(約55.3キログラム)を積んで競走が始まった。スタートからリクエステッドが先行しての競走となったが、鞍上のボビー・ヴェッダーが合図を入れるとアルサブはエンジンをかけ、すぐさまリクエステッドを追い抜き、1分09秒80のトラックレコードをつけての完勝劇を演じた。リクエステッドは遅れること3馬身半差でのゴールであった。アメリカのスポーツ記者ジョン・ハーヴェイは、この競走を自著中で「当年のスポーツイベントにおける最高のものである」と評している。

三冠路線編集

3歳になったアルサブは三冠路線に向けて年初から始動するが、年明け初戦を6着に落とすなど、出だしは好調ではなかった。年明け3戦目のフラミンゴステークスではリクエステッドと再戦し、3着に敗れている。その後もチェサピークステークス2着、ダービートライアルステークス3着と惜敗ばかりで、結局ケンタッキーダービーまでに7戦を費やしたが、まだ勝利を挙げることができずにいた。戦時下のチャーチルダウンズ競馬場で開催されたケンタッキーダービーには15頭の競走馬が集まり、アルサブはその実績から単勝5.1倍の2番人気支持された。しかしレース中は大きく外を回らされたこともあり、最後の直線で1番人気のシャットアウトを捉えきれず、2馬身1/4差の2着に敗れてしまった。

翌週、アルサブはピムリコ競馬場で開催されたプリークネスステークスに出走、前走2着ながらも10頭立ての1番人気[1]に支持された。スタートすると後方待機策をとり、後ろから2頭目につけて道中を進んだ。最後の直線に向き合うまでその位置を保っていたが、鞍上のバジル・ジェームズの鞭が入ると弾けるように加速し、見る見るうちに前を行く馬を追い抜いていった。シャットアウトやデヴィルダイヴァーらを着外に突き放し、リクエステッドとサンアゲインの2頭を2着(同着)に抑えて1馬身差で優勝、クラシックホースの称号を獲得した。アルサブはこの勝利に際して、ニューヨークの競馬ファンから「もう一頭のシービスケットだ」と称えられたとされる。

ウィザーズステークスを挟んで出走したベルモントステークスでは再びシャットアウトとの対戦となった。しかし、ここでは前を行くシャットアウトを捉えきれず、またしても2馬身差の2着に破れた。この競走中に怪我を負ったため、アルサブとしては珍しい2ヶ月ほどの休養期間が充てられた。

その後編集

休養からの復帰後は再び過密なスケジュールを組んで、ローレンスリアライゼーションステークスアメリカンダービー、など多数の競走に出走した。

そのうちの1戦に、ナラガンセットパーク競馬場の良馬場9.5ハロンで行われた、前年のアメリカ三冠馬であるワーラウェイとのマッチレースがある。アルサブはこれをハナ差で制し、三冠馬を破る快挙を成し遂げた。なお、翌月のジョッキークラブゴールドカップステークスでも両者は対戦しており、ここではワーラウェイが優勝している。この戦績が評価され、同年のアメリカ最優秀3歳牡馬に選出された。

しかし、4歳シーズンに入る直前から故障してしまい、その影響によりアルサブの競走能力は大きく失われた。8月までを休養に充ててからの復帰を果たしたが、以降のアルサブの勝鞍は一般戦の1勝があるのみであった。5歳時も競走を続ける試みがなされたが、1944年5月の一般戦で4着になったのを最後に引退した。

種牡馬編集

サバスの死後、アルサブはフロリダ州のボニーヒースファームに売却され、ここで種牡馬として活動した。100頭以上の産駒を出している。あまり成功したとは言えないが、その中からメイトロンステークスなどに勝って最優秀2歳牝馬に選ばれたマートルチャームシャンペンステークスなどに勝って4歳まで活躍したアルマゲドンメキシコダービーに優勝したドンリベルデなどの活躍馬も出ている。

特にアルマゲドンは種牡馬入り後にバトルジョインドを出し、後にアックアックにまで繋がるドミノ系のか細いサイヤーラインを遺すことに成功した。

1963年3月26日、アルサブは深刻な体調不良に陥ったため、安楽死の処置が取られた。後の1976年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はアルサブの競走成績を評価して、同馬の殿堂入りを発表した。

評価編集

主な勝鞍編集

1941年(2歳) 22戦15勝
ワシントンパークフューチュリティ、メイフラワーステークス、シャンペンステークスマッチレース(対リクエステッド)、ジョリエットステークス、プリマーステークス、ハイドパークステークス、プレーリーステートステークス、ジュヴェナイルステークス、イースタンショアハンデキャップ、ロウジェンキンスステークス、ウォルデンステークス
2着 - マイルズスタンディッシュステークス
1942年(3歳) 23戦9勝
プリークネスステークスアメリカンダービーローレンスリアライゼーションステークス、ニューヨークハンデキャップ、ウィザーズステークス、マッチレース(対ワーラウェイ)
2着 - ケンタッキーダービーベルモントステークスジョッキークラブゴールドカップ、チェサピークステークス、チェサピークトライアルステークス、ワシントンパークハンデキャップ、ギャラントフォックスハンデキャップ
1943年(4歳) 5戦1勝
2着 - ブライアンアンドオハラハンデキャップ
1944年(5歳) 1戦0勝

年度代表馬編集

  • 1941年 - アメリカ最優秀2歳牡馬
  • 1942年 - アメリカ優秀3歳牡馬

表彰編集

血統表編集

アルサブ血統ヒムヤー系/Fair Play 3x5=13.63%、 Pastorella 4x4=12.50%、 Commando 4x5=9.38%、 Bend Or 4x5=9.38%、 St. Simon 4x5=9.38%、 Springfield 5x5=6.25%) (血統表の出典)

Good Goods
1931 鹿毛
父の父
Neddie
1926 青毛
Colin Commando
Pastorella
Black Flag Light Brigade
Misplay
父の母
Brocatelle
1915 鹿毛
Radium Bend Or
Taia
Pietra Pietermaritzburg
Briar-root

Winds Chant
1931 青鹿毛
Wildair
1917 鹿毛
Broomstick Ben Brush
Elf
Verdure Peter Pan
Pastorella
母の母
Eulogy
1913 鹿毛
Fair Play Hastings
Fairy Gold
St. Eudora St. Simon
Dorothea F-No.27-a


備考編集

  1. ^ ケンタッキーダービー馬を押しのけて1番人気に支持された要因として、競走の当日に配布されていた謎のビラが原因ともされている。そのビラは「Alsah Can't Lose.(Alsahは負けない)」と読めるものであった。「Alsah」はAlsabの誤記と考えられる。

外部リンク編集