アルシオン
歴史編集
1997年、元全日本女子プロレス企画広報部長の小川宏(現:ロッシー小川)が全日本女子の経営難による方針の不満から退社した後に設立。所属選手として小川と同じ理由で全日本女子を退団したアジャ・コング、吉田万里子、玉田りえ(現:玉田凛映)、府川由美(現:府川唯未)、レジー・ベネットが入団。さらにLLPW(現:LLPW-X)から二上美紀子(現:GAMI)、大向美智子を引き抜いて引退していた元JWP女子プロレスのキャンディー奥津をスカウト。またアジャに関しては所属選手ではなく取締役兼ファイティングプロデューサーの肩書きで専属フリー契約を結んで元全日本女子の長谷川咲恵が広報として参加。
当時の女子プロレスにおいては団体同士で選手の引き抜きを行うことは無かったため二上と大向をLLPWから引き抜いたことでLLPWとの間に大きな遺恨を残すことになる(後に一応和解は成立している)。
1998年2月18日、後楽園ホールで旗揚げ戦を開催。同興行はファッションブランド「バッド・ボーイ」とのタイアップで華々しく開催して札止めの観衆で溢れかえった。所属選手には野球の背番号ばりにライセンスナンバーが用いられていて所属選手は自身の番号をイメージナンバーとしていた。外国人選手が所属しているのがアルシオンの海外戦略の1つでアメリカからジェシー・ベネット、デビー・マレンコ、テイラー・マティーニ、メリッサ、メキシコからマリー・アパッチェ、ファビー・アパッチェ、エステル・モレノ、アルダ・モレノ、プリンセサ・スヘイ、グラン・アパッチェ、レディ・アパッチェ、レディ・ペンタゴン、レディ・メタル、リンダ・スターらが次々に来日。またディレクTVと独占放映契約を結んだ。
総合格闘技を意識したサブミッションの習得でパンクラスや格闘探偵団バトラーツの出稽古でスキルアップする一方その反面に早くから闘龍門MEXICOと業務提携を結んでルチャリブレを取り入れるなど女子プロレスにおける技術革命を掲げていた。この姿勢は「ハイパー・ビジュアル・ファイティング」と称されてアルシオンの売り物となった。新人選手としてAKINO、藤田愛、グラン浜田の娘である浜田文子が入団するなど注目される。特に文子はデビュー前から専門誌「レディース・ゴング」の表紙に起用されて週刊プロレスはビデオ撮影だけのためにメキシコやハワイに連れて行ったほどで、その逸材の売り出しに一役買っていた。
また旗揚げした年より年間2大トーナメントを実施して1998年、トーナメントARS優勝の奥津とトーナメントZION優勝の吉田で初代クイーン・オブ・アルシオン王座を争って吉田が初代王者に輝いた。翌年には大向美智子が2大トーナメントを制覇してトーナメント女の称号をものにした。タッグ王座をツイン・スター・オブ・アルシオン王座、空中殺法の王座をスカイ・ハイ・オブ・アルシオン王座と命名。他団体との差別化を図っていたがグラウンドを中心とした試合内容は次第に観客が伸び悩み、そのコンセプトとは正反対のラス・カチョーラス・オリエンタレスが参戦してAKINOと文子がアルシオン史上初の流血戦を行った。旗揚げ以来約1年10か月間は流血戦がなかったため所属選手の流血戦は、それだけで話題になった。
1999年3月31日、所属選手の門恵美子が試合中、吉田に後頭部から落とされて昏睡状態に陥り4月9日に23歳の若さで死去してしまう。その後、ディレクTVの試合中継が打ち切られた。
2001年2月、取締役兼ファイティングプロデューサーのアジャが個人的な問題で専属フリー契約を解消。
2002年、ライオネス飛鳥が助っ人として参戦したり東京ベイNKホールや有明コロシアムでビッグマッチを開催して難関を逃れてきたが5月11日、有明コロシアムで開催した興行でスポンサーが数百万の未払いをしてから経営的に資金繰りが悪化。同じ頃から観客動員数も伸び悩み下降の一途を辿ることになった。
2003年6月22日、後楽園ホール大会を最後に活動停止。6月24日、フリーの堀田祐美子が率いるユニット「Z-SPIRITS」がアルシオンを吸収合併してメジャー女子プロレスAtoZを設立。
タイトル編集
所属選手のGAMIが本名である二上美紀子の名義でチャンピオンシップ実行委員長に就任して以下のタイトルの管理、認定を行っていた。
- アルシオン、みちのくプロレス、格闘探偵団バトラーツが認定していた男女混合タッグ王座。2000年、初代王座決定トーナメント「P☆MIX GRAND PRIX」で優勝したグラン浜田&浜田文子組が獲得。2002年、文子のアルシオン退団により管理権を失う。チャンピオンベルトはグランの個人事務所が管理しており稀に防衛戦を行うこともある。
所属選手 / フリー、他団体参戦選手 / 来日外国人選手編集
アルシオンのリングに上がるにはライセンスナンバーが必要となる。
- 0 : アジャ・コング(旧ライセンスナンバー1)(専属フリー契約)
- 1 : 浜田文子(旧ライセンスナンバー14)
- 2 : 吉田万里子
- 3 : GAMI
- 4 : 玉田凛映
- 5 : 大向美智子
- 6 : 府川唯未
- 7 : キャンディー奥津
- 8 : レジー・ベネット
- 9 : ジェシー・ベネット
- 10 : マリー・アパッチェ
- 11 : ファビー・アパッチェ
- 12 : レディ・メタル
- 13 : 秋野美佳(現:AKINO)
- 15 : タイガードリーム(現:キャンディー奥津)
- 16 : 矢樹広弓(フリー)
- 17 : エステル・モレノ
- 18 : 門恵美子
- 19 : ラ・ギャラクティカ2000
- 20 : 福岡晶(JWP女子プロレス)
- 21 : 藤田愛
- 22 : チャパリータASARI(フリー)
- 23 : リンダ・スター
- 24 : プリンセサ・スヘイ
- 25 : 下田美馬(フリー)
- 26 : 三田英津子(フリー)
- 27 : 仮面天使ロゼッタ(フリー)
- 28 : 高瀬玲奈(現:Leon)
- 29 : バイオニックJ
- 30 : グラン浜田(みちのくプロレス)
- 31 : グラン・アパッチェ
- 32 : ソチ浜田(フリー)
- 33 : 田中稔(格闘探偵団バトラーツ)
- 34 : 小野武志(格闘探偵団バトラーツ)
- 35 : 石川雄規(格闘探偵団バトラーツ)
- 36 : 坂井澄江(吉本女子プロレスJd’)
- 37 : レッド・リンクス(現:キャンディー奥津)
- 38 : リッキー・マルビン(CMLL)
- 39 : PIKO
- 40 : 日向あずみ(JWP女子プロレス)
- 41 : ミステル・カカオ(フリー)
- 42 : 山縣優
- 43 : 美幸涼(現:前田美幸)
- 44 : PIKA
- 45 : レディ・アパッチェ
- 46 : 白鳥智香子(フリー)
- 47 : POKO
- 48 : 元川恵美(FMW)
- 49 : タイガーマスク(みちのくプロレス)
- 50 : ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス)
- 51 : 元気美佐恵(NEO女子プロレス)
- 52 : 椎名由香(NEO女子プロレス)
- 53 : 中山香里(FMW)
- 54 : 倉垣翼(JWP女子プロレス)
- 55 : noki-A(現:AKINO)
- 56 : 和田部美穂(現:Baby-M)
- 57 : アルダ・モレノ
- 58 : 米山香織(JWP女子プロレス)
- 59 : Baby-A(現:Baby-M)
- 60 : デビー・マレンコ
- 61 : MEN'S noki-A(大日本プロレス)
- 62 : レディ・ペンタゴン
- 63 : マッチョ・パンプ(フリー)
- 65 : 輝優優(JWP女子プロレス)
- 69 : つぼ原人(フリー)
- 72 : スモー"ダンディ"フジ(闘龍門JAPAN)
- 77 : 中西百重(全日本女子プロレス)
- 99 : 長谷川咲恵
- 100 : ライオネス飛鳥(フリー)
- 110 : ペンタゴン・ブラック(AAA)
- 119 : 外道(FMW)
- 200 : ガミ・メタル(現:GAMI)
- 240 : 西尾美香(全日本女子プロレス)
- 241 : 藤井巳幸(全日本女子プロレス)
- 296 : 神風(大日本プロレス)
- 777 : 豊田真奈美(全日本女子プロレス)
- 1910 : 日高郁人(フリー)
- 2500 : タイガーハニー(JWP女子プロレス)
- A09 : アレクサンダー大塚(AO/DC)
- GO : マグナムTOKYO(闘龍門JAPAN)
スタッフ編集
裁判編集
2001年2月のアルシオン後楽園ホール大会でアジャ・コングが試合放棄・退団したのをきっかけに興行のキャンセルが相次ぎ、アルシオンはアジャを債務不履行を理由に損害賠償を求めて提訴した。アジャは反訴し、2003年8月25日に東京地裁で「試合放棄は興行会社の社長が演出し、指示した」と認定。 試合後、社長がアジャを侮辱したことなどへの慰謝料50万円と、 未払い報酬約670万円の支払いを同社に命じた。