アルバカーキ (哨戒フリゲート)

アルバカーキ (USS Albuquerque, PF-7) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はニューメキシコ州アルバカーキに因む。

アルバカーキ
基本情報
建造所 カイザー・カーゴ社
艦歴
起工 1943年7月20日
進水 1943年9月14日
就役 1943年12月20日
1950年10月3日
退役 1945年8月16日
1953年2月28日
除籍 1961年12月1日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
全長 92.6m
最大幅 11.4m
吃水 4.1m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
Mk.9爆雷投下軌条×2条
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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艦歴 編集

アルバカーキは海事委任契約(船体番号1425)の下1943年7月20日にカリフォルニア州リッチモンドのカイザー・カーゴ社で起工する。1943年9月14日にB・L・リヴィングストン夫人によって命名、進水し、1943年12月20日に艦長ウェイン・L・ゴフ沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。

艤装および整調訓練後、アルバカーキはカリフォルニア州トレジャー・アイランドを1944年3月24日に出航しワシントン州シアトルに向かう。2日後に到着、そのまま同地に留まり、4月5日にアラスカ行きの船団護衛任務で出航する。船団は4月16日にアラスカ州ダッチハーバーに到着し、アルバカーキは第27護衛分艦隊に配属される。1944年の残りおよび1945年前半をアルバカーキはアラスカ州各地の港における船団護衛、アリューシャン列島ベーリング海での偵察任務に費やした。1945年6月5日から7月14日までダッチハーバーとシアトル間の往復巡航任務を行い、その後も船団護衛と偵察任務を継続、8月16日にコールド・ベイで退役し、翌日レンドリース法に基づきソ連海軍に貸与された。

ソ連海軍で EK-16 として4年以上勤務した後、アルバカーキは1949年11月15日に横須賀でアメリカ海軍に返還された。修理および更新作業の後、1950年10月3日に艦長クロード・O・ロウ少佐の指揮下横須賀で再就役した。続く10ヶ月間をアルバカーキは横須賀と香港シンガポール間の船団護衛および偵察任務に費やした。1951年8月には横須賀とフィリピンスービック湾の間で作戦活動に従事し、9月10日に横須賀を出航、佐世保を経由して15日に朝鮮半島東部での護衛および偵察任務に入る。太平洋艦隊駆逐艦小艦隊、第5護衛分艦隊の1隻としてアルバカーキは9月の残りと10月の大半を韓国沿岸で活動した。

アルバカーキは任務を継続し、1951年10月26日に佐世保を出航、香港に向かった。香港には9月30日に到着し、翌年3月までステーション艦としての任務に従事した。1952年3月6日、香港を出港しフィリピンに向かう。ルソン島のスービック湾から日本に向かい、5月16日に佐世保に帰還した。佐世保を拠点としてアルバカーキは韓国の東海岸沿いに偵察および船団護衛任務を再開した。任務は6週間継続し、7月に再びスービック湾を訪れ、26日に香港に戻る。その後11月中旬に最後の香港への巡航を行い、スービック湾を訪れた後12月3日に佐世保に帰還、再び韓国東海岸での任務を再開した。

1953年2月28日にアルバカーキは横須賀で退役した。1953年11月30日、日米船舶貸与協定に基づき第10回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「とち (PF-16)」として就役し、横須賀地方隊に編入された。同年12月23日、「けやき」、「しい」、「まき」とともに第3船隊を新編。1954年4月10日、第3船隊は第2船隊群(後の第2護衛隊群)に編入された。1957年9月1日に艦籍番号がPF-296に変更された。1962年3月15日舞鶴地方隊に編入された。なお、「とち」は1961年12月1日にアメリカ海軍から除籍、1962年8月28日には貸与から供与に変更された。1965年3月31日、保管船(YAC-15)に区分変更され舞鶴教育隊の実習艦として使用された。1971年7月9日、アメリカ海軍に返還。なお、返還後、実艦標的として使用されることとなり、1972年8月22日、23日の両日、舞鶴北方海面で護衛艦による艦砲射撃、航空機による攻撃の後、潜水艦による魚雷攻撃により撃沈されている[1]

アルバカーキは朝鮮戦争の戦功で3個の従軍星章を受章した。

脚注 編集

  1. ^ 「貸供与護衛艦顛末記」『世界の艦船』1987年6月号、海人社、134頁。 

外部リンク 編集