アルヒープ・クインジ

ロシア、ウクライナの画家

アルヒープ・イヴァノヴィチ・クインジАрхип Иванович Куинджи, 1842年(?)1月27日ユリウス暦1月15日) – 1910年7月24日(ユリウス暦7月11日))は19世紀後半のロシアを代表する、ウクライナ出身の風景画家である。

アルヒープ・クインジの肖像 ヴィクトル・ヴァスネツォフ画(1869年

来歴・人物編集

ギリシャ系の靴職人イヴァン・フリストフォロヴィチ・クインジ(についてはエメンジ説あり)を父親にマリウポリに生まれるが、6歳で両親に先立たれたため、幼くして自活を余儀なくされた。タガンログに出て、建築現場や穀物小売商に勤め、牧童として働くなどした。

1860年から1865年までの5年間に、タガンログのイサコヴィチ撮影所に写真の修正係として勤め、その後は自分の写真店を開こうとするが果たせなかった。それからタガンログを離れてサンクトペテルブルクに上京する。

もっぱら我流で絵を学ぶが、イワン・アイワゾフスキーにつき、また、1868年からペテルブルク美術アカデミーにも学んでいる。1870年に結成された「移動派」こと巡廻美術展協会の組合員となる。1872年にアカデミーを退学し、フリーの画家として働き始める。最初の作品は、パヴェル・トレチャコフが自分の画廊に展示するため買い入れた「ワラーム列島にて (На острове Валаам)」であった。

初期のクインジはイワン・アイワゾフスキーの影響を受け、に関連する題材を選んでいたが、やがてそこから離れ、1870年代の半ばに、自然界をモチーフとした数々の風景画を生み出すようになった(その一例が、1874年の「忘れられた村」である)。1873年に「雪」を発表し、翌1874年にロンドン国際美術展で銅メダルを受賞した。

成熟期のクインジは、最も奥深い情感を、自然界のありさまの輝きに置き換えようと熱望した。(高い地平線など)複合的な知覚を応用して、パノラマ的な全景を作り出し、濃淡をつけるのにの効果や濃密な色を用いて、錯覚の光を描いている(たとえば「ウクライナの夜」[1876年]、「白樺林」と「雷雨の後」[1879年]、「ドニェプル川にかかる月明かり」[1880年]など)。後年の画風は、色彩の層を用いた装飾効果が顕著である。

1892年にペテルブルク美術アカデミーの教授に就任し、1893年には正会員に迎えられ、1894年には風景画のワークショップの講師も兼務した。だが1897年に、学生の抗議を支持した廉で、解任されている。門人には、アルカーディ・ルィコフニコライ・レーリヒコンスタンチン・ボガイェフスキーらがいる。

1909年にA.I.クインジ美術協会を発足させた。

作品編集

脚注編集

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  1. ^ モスクワ、トレチャコフ美術”. 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター. 2020年3月22日閲覧。
  2. ^ “ロシア絵画でキリストはどのように描かれたか”. ロシア・ビヨンド. (2019年10月31日). https://jp.rbth.com/arts/82755-roshia-de-kirisuto-dou-egakareta 2020年4月26日閲覧。 
  3. ^ “10枚のロシアの素晴らしい風景画(絵画特集)”. ロシア・ビヨンド. (2019年11月4日). https://jp.rbth.com/arts/82793-roshia-subarashii-fuukeiga-10-mai 2020年4月26日閲覧。 
  4. ^ “ロシア人画家が描いた冬”. ロシア・ビヨンド. (2019年12月9日). https://jp.rbth.com/arts/82955-roshijin-gaka-ga-egaita-fuyu 2020年4月26日閲覧。 
  5. ^ “春の気配:一年で最良の季節を描いたロシア人芸術家たちの絵画と文学作品の抜粋”. ロシア・ビヨンド. (2018年3月14日). https://jp.rbth.com/arts/79863-haru-kehai 2020年4月26日閲覧。 

参考文献・外部リンク編集