アルブレヒト・アダム(Albrecht Adam、1786年4月16日 - 1862年8月28日)はドイツの画家である。ナポレオン戦争の戦争画などを描いたことで知られる。

アルブレヒト・アダム
Albrecht Adam
Franz Hanfstaengl撮影による1850年の写真
誕生日 1786年4月16日
出生地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領
ネルトリンゲン
死没年 1862年8月28日
死没地 バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン
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略歴

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バイエルンネルトリンゲンにパティシエの息子に生まれた[1]。絵を描くのが好きで、パティシエの見習いをしていた1800年にはフランス革命のモロー将軍の軍隊の絵を描いていたとされる。パティシエの修行で1803年にニュルンベルクに移り、そこの美術学校に入学した。アウクスブルクの歴史画家ルゲンダス(Johann Lorenz Rugendas)の影響を受けて戦争画を描いた。1809年に従軍画家として、フランスとバイエルン公国の軍のウィーン攻略作戦に参加した。ナポレオンの養子でヴェネツィア公であったウジェーヌ・ド・ボアルネに気に入られ宮廷画家として招かれた[1]。その後もフランスの同盟軍のために働いて、ウジェーヌ・ド・ボアルネがイタリア副王を放棄した後、1815年にミュンヘンに戻った。

1827年から1833年の間に、120枚にもなる版画を製作、出版し、ミュンヘンの王宮にモスクワの戦いを描いた作品を製作した[2]。1848年からイタリアの独立運動の鎮圧に向かったラデツキー将軍の軍隊に同行し、ノヴァーラの戦いなどの描いた作品を製作した。

ミュンヘンで亡くなった。

4人の息子、ベンノ・アダム(1812-1892)、フランツ・アダム(Franz Adam:1815–1886)、オイゲン・アダム(Eugen Adam:1817–1880)、ユリウス・アダム(Julius I Adam:1821–1874)も画家や版画家になり、孫のエミール・アダム(Emil Adam:1843-1924)やユリウス・アダム(Julius II Adam:1852–1913)も画家になった。

作品

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ノヴァーラの戦い(1858)
ミンチョ川の戦いのベレガルデ将軍(Heinrich von Bellegarde)と幕僚 (1815)
テメシュヴァールの戦い(1855)

脚注

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  1. ^ a b La campagne de Russie vue par Albrecht Adam et Von Faber du Faur, Tradition Magazine, Hors série n° 3, 1997 p.5.
  2. ^ Albrecht Adam: Voyage pittoresque et militaire de Willenberg en Prusse jusqu'à Moscou ; Fait en 1812, pris sur le terrain même et lithographiéMunich, Hermann & Barth, 1828.

参考文献

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  • Schmidt, W. (1875). "Adam: Malerfamilie" . Allgemeine Deutsche Biographie (in German). 1. Duncker & Humblot. pp. 44–45.