アルマ橋(アルマきょう、フランス語: Le Pont de l'Alma)は、フランスの首都パリセーヌ川に架かる橋である。クリミア戦争アルマの戦いにちなんで命名された。セーヌ左岸(南岸)7区と、同右岸(北岸)8区及び16区との間に架かる。

アルマ橋

アルマ橋

地図
基本情報
フランス
所在地 パリ
交差物件 セーヌ川
建設 1970-1974年
座標 北緯48度51分51秒 東経2度18分06秒 / 北緯48.86417度 東経2.30167度 / 48.86417; 2.30167座標: 北緯48度51分51秒 東経2度18分06秒 / 北緯48.86417度 東経2.30167度 / 48.86417; 2.30167
構造諸元
形式 桁橋
材料 鋼鉄
全長 141m
42m
地図
アルマ橋の位置(パリ内)
アルマ橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

1997年ダイアナ元英国皇太子妃事故死したのはこの橋の近くである。

アルジェリア歩兵とセーヌ川 編集

橋中央の橋脚の上流側にはズアーブ兵アルジェリア歩兵)の全身像が立っている。この像はセーヌ川の増水を見るためのちょっとした測りになっている。水位がズアーブ兵の足まで来ているとセーヌの堤の道路は水没してしまっていて通行できない。水位がズアーブ兵の腿まで来ているとセーヌ川は航行できない。1910年の大増水の時には水位はズアーブ兵のあご髭まで達していた。

歴史 編集

アルマ橋は1854年から1856年にかけてガリエルの指揮の下で建設された3径間石造アーチ橋で、1856年4月2日ナポレオン3世により除幕された。このときには橋は4体の像で飾られていた。ディーボルトによるズアーブ兵と擲弾兵、アルノーによる猟兵と砲兵である。現在残っているのはズアーブ兵だけである。猟兵はパリの警察学校の向かいに、擲弾兵はディジョンに、砲兵はラ・フェレに移された。

1970年から1974年にかけてアルマ橋は鋼製の新しい橋に架け替えられた。橋が狭かったのと、沈下して船の航行の邪魔になっていたからである。

自由の炎 編集

橋の北側には「自由の炎」というオブジェがある。これは1989年にニューヨーク自由の女神の修復作業に対する礼としてアメリカからフランスに送られたものである。しかし1997年にダイアナ元妃が自由の炎の直下にあるトンネルで事故死して以後は、事実上彼女を追悼するためのモニュメントとして位置づけられている。

交通 編集

隣の橋 編集

(上流)アレクサンドル3世橋アンヴァリッド橋アルマ橋ドゥビリ橋イエナ橋(下流)