アルメリア
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アルメリア(Almería)は、スペイン・アンダルシア州アルメリア県のムニシピオ(基礎自治体)。アルメリア県の県都である。
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州 | ![]() |
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県 | ![]() |
面積 | 296.21 km² |
標高 | 23m |
人口 | 193,351 人 (2014年) |
人口密度 | 652.75 人/km² |
北緯36度50分0秒 西経2度27分0秒 / 北緯36.83333度 西経2.45000度座標: 北緯36度50分0秒 西経2度27分0秒 / 北緯36.83333度 西経2.45000度
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地勢・産業編集
地中海のアルメリア湾に面する港湾都市。缶詰などの産業が発展している。白アルメリアブドウの生産で有名で、その他製塩、美しい大理石の切り出しでも知られる。コスタ・デ・アルメリアに位置しており、多くの観光客が訪れる。
降水量は年間で200 mm程度であり、ヨーロッパで最も少ないとされる[1]。
近隣の都市としては、約100キロ北西のグラナダ、50キロ西のアドラなどが挙げられる。シエラ・ネバダ国立公園にも近い。
歴史編集
フェニキア人が設けた拠点ウルキ(Urci)が街の起源である。その後、ローマ帝国、西ゴート王国の支配を経て、イスラーム勢力によって征服された。10世紀、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世によって大規模な街の開発が行われた。当時チュニジアに建国され、後ウマイヤ朝と対立していたファーティマ朝に備える必要があったことが背景とされる。15世紀後半、レコンキスタ(再征服運動)を推進していたスペイン王国によって征服され、再度キリスト教化された。
スペイン内戦中の1937年5月31日にアルメリアはドイツ海軍による砲撃を受けた。これは当時スペイン東岸部の不介入的哨戒活動のために派遣されていたドイッチュラント級装甲艦「ドイッチュラント」が、5月29日に共和派空軍の爆撃に遭って96名の死傷者を出し、それに激怒したアドルフ・ヒトラーが、ドイッチュラントの同型艦で当時ドイッチュラントと共に派遣されていた「アドミラル・シェーア」に報復として共和派海軍の根拠地だったアルメリアを攻撃するよう命令したからである。「アドミラル・シェーア」は駆逐艦4隻を伴ってアルメリアを攻撃し、この攻撃によって市民側に死傷者が出た他建物が破壊されるなどの被害が発生した(アルメリア砲撃)。
交通編集
高速道路(オートビア、Autovía)のA-7号線とA-92号線が利用可能である。市の中心部にはアルメリア港があり、モロッコやアルジェリアなどへ向かう多くの船が行き交っている。また、郊外にはアルメリア空港があり、マドリード、ロンドン、ブリュッセルなどに定期便が就航している。
観光地編集
スポーツ編集
サッカークラブのUDアルメリアはアルメリアに本拠地を置いている。
姉妹都市編集
脚注編集
参考文献編集
- 山本隆太 著「自然環境」、加賀美雅弘 編 編 『ヨーロッパ』朝倉書店〈世界地誌シリーズ〉、2019年、10-27頁。ISBN 978-4-254-16931-7。
外部リンク編集
- 公式ウェブサイト (スペイン語)