アレクサンドリア港攻撃

アレクサンドリア港攻撃英語Raid on Alexandria)は、第二次世界大戦地中海攻防戦英語版において、1941年(昭和16年)12月18日から12月19日にかけて地中海戦域でおこなわれたコマンド作戦[2]アレクサンドリア港に停泊するイギリス地中海艦隊に、イタリア王立海軍潜水艦1隻と人間魚雷3隻が特殊作戦を敢行する[3]。人間魚雷SLC(マイアーレ)を操縦して港内に潜入したフロッグマンが、停泊中の軍艦の艦底に爆薬を仕掛けるという作戦であった[4]。 暗号名はEA-3作戦[5]。攻撃の結果、イギリス海軍の戦艦ヴァリアント (HMS Valiant) と戦艦クイーン・エリザベス (HMS Queen Elizabeth, 00) の2隻が大破着底した[6]。このほかにタンカー1隻と駆逐艦ジャーヴィス (HMS Jervis, G00) も大破した[7]

アレクサンドリア港攻撃
HMS Valiant-2.jpg
戦艦ヴァリアント
戦争第二次世界大戦
年月日1941年12月19日
場所:地中海、アレクサンドリア
結果:イタリア海軍の作戦成功
交戦勢力
イタリア王国の旗 イタリア海軍 イギリスの旗 イギリス海軍
指導者・指揮官
ユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼ(潜水艦長)
ルイージ・デュランド・デッラ・ペンネ他(特殊部隊)
チャールズ・モーガン(ヴァリアント艦長)
戦力
潜水艦1
人間魚雷3
港内の艦隊
損害
捕虜6名 戦艦2隻大破着底
油送船1隻大破
駆逐艦1隻大破
戦死8名[1]

地中海におけるイギリス海軍の主力艦2隻が長期にわたり使用不能となり、また同時期に英海軍の艦艇が次々に撃沈された事も重なって[8]マルタ島への増援輸送作戦英語版北アフリカ戦線にも影響を及ぼした[9]

背景編集

 
人間魚雷マイアーレ

1940年(昭和15年)6月10日イタリア王国は枢軸側にたって第二次世界大戦に参戦した[10]。だがマルタには手をつけず、ギリシャに侵攻して大敗北した[10]。弱体化したイタリア軍を支援するため、ナチス・ドイツが地中海や北アフリカに介入せざるを得なくなった[11]

1941年(昭和16年)後半の時点においても、エジプトアレクサンドリアイギリス海軍地中海艦隊(司令長官アンドルー・カニンガム提督)の根拠地であった[12][注釈 1]。イタリア海軍にとって、地中海艦隊に配備されていたクイーン・エリザベス級戦艦 (Queen Elizabeth class Battleship) は強敵であった[14]。イタリア海軍は1940年(昭和15年)8月の時点で人間魚雷によるアレクサンドリア奇襲を敢行したが、母艦の潜水艦が撃沈されて失敗していた[15]

また地中海の中央部に位置するマルタ島は、スエズ運河を擁するアレクサンドリアと[15]、地中海と大西洋の境界に位置するジブラルタルの中間にあり、連合国にとって最重要拠点の一つだった[16]。同時に枢軸国にとってもマルタは見過ごせない要所であった[17]。マルタを拠点に行動する連合国軍の水雷戦隊[注釈 2]・潜水艦部隊[注釈 3]・航空機が、北アフリカ戦線の枢軸軍に対する補給路を攻撃していた[18][19]。地中海を南下して北アフリカに向かう枢軸側の補給船団は[20]、マルタを大きく迂回せねばならなかった[21]。1941年11月のリビアへの軍需品到達率は38パーセントとなっていた[22]。このためロンメル将軍のドイツアフリカ軍団は常に物資と燃料不足に悩まされ、11月中旬以降はイギリス軍が発動したクルセイダー作戦により苦戦していた[23]

枢軸側も事態を静観していたわけではない[24]ドイツ空軍イタリア空軍がマルタに対する空襲を繰り返し、イギリス空軍を弱体化させた[25]。また1941年11月からUボートも地中海で作戦を開始、英空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) や英戦艦バーラム (HMS Barham) を撃沈し[20]、さらに連合軍輸送船団を攻撃して存在感を示した[26]マルタ攻囲戦)。

また、イタリアは状況打開策の一つとしてSLCによるアレクサンドリア攻撃を計画した[22]

作戦経過編集

 
マイアーレによる攻撃イメージ

1941年12月3日に訓練を装ってラ・スペツィアより出航したイタリア潜水艦シィーレ英語版イタリア語版[注釈 4]は沖合で艀よりSLC3隻を移載し[22]、6日後にエーゲ海レロス島に着いた[29]。一方、SLCの要員は空路でレロス島へ向かい、そこで乗艦となった[30]。SLC要員が別行動となったのは、潜水艦での長期航海が彼らに悪影響を与えることが分かっていたからである[31]

SLC要員と各組の攻撃目標は以下の通りであった[32]

他に予備要員2名も乗艦した[29]。12月14日、「シィーレ」は出撃しアレクサンドリアへ向かった[31]。気象条件の問題で攻撃は1日延期され、12月18日決行となった[29]

12月18日の日没後「シィーレ」は浮上し、アレクサンドリアの商港の沖で3隻のSLCは発進した[33]。イギリス海軍では、クイーン・エリザベス級戦艦のバーラム (HMS Barham) が前月25日U-331に撃沈されたこともあり、その姉妹艦2隻(エリザベス、ヴァリアント)をアレクサンドリアで温存していた[34]。SLCはRas el Tin半島、次いで防波堤に沿って進み、真夜中に軍港入り口の防御材と防潜網に着いた[35]。この夜は帰投する巡洋艦「ナイアド」、「ユーライアラス」および駆逐艦4隻のために0時24分に港の入口は開かれていた[36]。3隻の駆逐艦が入港するのを見たペンネは、その機に他の2隻と共に港内への侵入を果たした[37]

ペンネのSLCは「ヴァリアント」のもとにたどり着き潜水した際に海底に沈下してしまった[38]。また、ビアンキは気絶した[39]。モーターの起動に失敗したペンネは40分かけて爆薬を戦艦の真下まで移動させた[40]。その後浮上したペンネはビアンキ共々捕らえられた[41]。二人はまず陸上に移されて尋問されたが、氏名、階級および識別番号のみしか答えなかった[42]。その後二人は「ヴァリアント」に戻された[43]アンドルー・カニンガムによれば、彼は二人を「ヴァリアント」に戻し、艦内下部に閉じ込めるよう命じたという[43]。捕虜を危険な状況に置くことで情報を入手しようとしたものであった[42]。閉じ込められた二人であったが、何もしゃべらなかった[44]。二人が閉じ込められていた場所は偶然ではあるが爆薬設置場所の近くであった[44]

マルチェリア組は「クイーン・エリザベス」への爆薬設置に成功し、4時30分に岸にたどり着いた[45]。空母はおらず、マルテロッタは3隻目の戦艦と思しきものを発見して攻撃しようとしたものの、その後それは巡洋艦であると判断[46]。ノルウェーのタンカー「サゴナ (Sagona)」(7,554 GRT) のもとにたどり着き、呼吸装置の不具合で潜水できなかったことから、その船尾に爆薬を取り付けた[46]

爆発予定時刻の10分前になってペンネは艦長への面会を求め、もうすぐこの艦は沈むと述べた[43]。その後、ペンネは元の監禁場所に戻された[44]。5時45分、「サゴナ」の爆薬が爆発。続いて6時6分に「ヴァリアント」で、6時10分に「クイーン・エリザベス」で爆発が起きた[43]。ペンネは脱出でき、またビアンキも助かっている[47]

マルテロッタ組は上陸後エジプト警察に逮捕された[46]。マルチェリア組は列車でロゼッタへ向かった[48]。ロゼッタ沖では潜水艦「ザフィロ (Zaffiro)」が待機していた[48]。二人はロゼッタで他の組を待っていたが、12月23日にエジプト警察に逮捕された[49]

結果と影響編集

「ヴァリアント」はA弾庫やその周辺が浸水[50]。「クイーン・エリザベス」はA、B、X、Y缶室などが浸水した[43]。「サゴナ」はプロペラ軸や舵が破壊され、その横に停泊していた駆逐艦「ジャーヴィス」も被害を受けた[50]

2隻の戦艦はすぐに引上げ作業が行われたが、修理が完了して戦列に復帰するまで1年半以上もの月日を浪費する事になった[27][注釈 5]。イギリス軍は2隻の戦艦が重大な損傷を受けていないよう見せる工作を必死に行ったが、当時のイギリスの防諜技術の限界から、ドイツ軍の空中偵察により作戦の成功は知られてしまった[52]。イギリス政府は英戦艦2隻が戦闘不能になったことを隠蔽していたが、1942年(昭和17年)4月23日にイギリス議会で損害を公表した[52]

アレクサンドリアにおけるイタリア海軍の勝利と、Uボートの活躍で、イギリス海軍は大損害を受けた[53]地中海パワーバランスは枢軸側に大きく傾むいた[25]。半年間にわたって北アフリカ戦線で戦う陸上部隊、特にロンメル将軍のドイツアフリカ軍団に安定した補給が行われる事になった[54]

この奇襲作戦によるイタリア海軍の大勝利は、被害を受けたイギリス側にも大きな刺激となった[51]。イギリスの脅威であったドイツ海軍の巨大戦艦ティルピッツ (Tirpitz) 攻撃計画にも、ヒントを与える[52]ウィンストン・チャーチル英首相の指導により[注釈 6]、特殊潜航艇チャリオットX艇が完成した。1943年(昭和18年)9月22日、X艇により実施されたソース作戦英語版により[56]、ティルピッツは大破して数ヶ月間行動不能となった[57]

1958年、本作戦を題材に「静かな敵」(ローレンス・ハーヴェイ主演、邦題「潜航電撃隊」)という映画が公開された。1962年にはロイ・ウォード・ベイカー監督の「巨艦いまだ沈まず英語版The Valiant)」も公開された。

出典編集

注釈編集

  1. ^ イギリス地中海艦隊はマルタを本拠地としていたが、イタリア参戦を見越して第二次世界大戦前にアレクサンドリアへ移転していた[13]
  2. ^ K部隊Force K)、B部隊英語版など。
  3. ^ 第10潜水戦隊など。
  4. ^ 艦名「Scirè」を日本語で「シーレ」または「シレ」と表記する[27]。イタリア参戦時の人間魚雷母艦潜水艦は3隻(シィーレ、ゴンダール、イレーデ)だったが、ゴンダールイレーデは既に沈没していた[28]
  5. ^ ヴァリアントは仮修理のあと南アフリカのダーバンで本格的修理をおこない、1942年(昭和17年)7月頃に工事を終えた[51]。クイーン・エリザベスが離礁したのは1942年(昭和17年)4月5日で、そこからドックで修理をおこなった[52]。さらにアメリカ合衆国ノーフォーク海軍造船所で本格的修理をおこない、1943年(昭和18年)6月に工事を終えた[51]
  6. ^ チャーチル首相は1942年1月18日にイスメイ将軍に書簡をおくり、この中でアレクサンドリア港奇襲とイギリス陸軍の将校が開発中の豆潜水艦について触れた上で「科学の進歩を攻撃戦に応用するという点で、われわれがイタリア人に遅れをとるほどの理由があるのか? むしろその反対の方が頷ける。この点について正確な情報をお知らせ願いたい」と述べた[55]

脚注編集

  1. ^ Naval-History.net
  2. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 72-73(3)地中海における十大海戦とその概略 六、1942年12月18日~19日のアレクサンドリア港襲撃
  3. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 128-130思わぬ敵 ― イタリア人間魚雷
  4. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 299-308(8)豚と二輪戦車
  5. ^ 潜水艦の死闘、271ページ
  6. ^ 潜水艦戦争 1973, pp. 130a-136イタリアの人間魚雷の武勲/一九四一年一二月一八日
  7. ^ 撃沈戦記 1988, p. 375.
  8. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 130-131イギリス海軍悪夢の二ヵ月間
  9. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 153a-154第四期/1942年1月~6月の年表
  10. ^ a b 呪われた海 1973, pp. 228-229.
  11. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 86-89イタリアのギリシャ侵攻
  12. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 302.
  13. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 127.
  14. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 368-370水中特攻兵器"豚"
  15. ^ a b 撃沈戦記 1988, p. 371.
  16. ^ 呪われた海 1973, p. 232.
  17. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117-120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
  18. ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 6-7イタリア軍、北アフリカで惨敗
  19. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 358-359北アフリカ戦線と補給戦
  20. ^ a b 潜水艦戦争 1973, p. 129.
  21. ^ 呪われた海 1973, p. 226地図8、地中海航路図と各基地攻撃圏
  22. ^ a b c Frogmen against a Fleet, p. 124
  23. ^ ロンメル戦車軍団 1984, pp. 52-55英第8軍とアフリカ装甲集団の誕生
  24. ^ 潜水艦戦争 1973, p. 128.
  25. ^ a b 呪われた海 1973, p. 234.
  26. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 125-128思わぬ敵 ― ドイツUボート
  27. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 303.
  28. ^ 撃沈戦記 1988, p. 370.
  29. ^ a b c 『潜水艦の死闘』272ページ
  30. ^ 『潜水艦の死闘』272ページ、Frogmen against a Fleet, p. 125
  31. ^ a b Frogmen against a Fleet, p. 125
  32. ^ 『潜水艦戦争』131ページ、『潜水艦の死闘』272ページ、『海戦』212ページ、Frogmen against a Fleet, p. 127
  33. ^ 『潜水艦の死闘』272ページ、Frogmen against a Fleet, p. 125
  34. ^ 撃沈戦記 1988, p. 372.
  35. ^ 潜水艦の死闘』272ページ、Frogmen against a Fleet, pp. 125, 127
  36. ^ Frogmen against a Fleet, p. 127
  37. ^ 『潜水艦の死闘』273ページ、Frogmen against a Fleet, p. 127
  38. ^ 『潜水艦の死闘』274ページ、Frogmen against a Fleet, p. 128
  39. ^ Frogmen against a Fleet, p. 128
  40. ^ 『潜水艦の死闘』274ページ
  41. ^ 『潜水艦の死闘』274-275ページ
  42. ^ a b 『潜水艦の死闘』275ページ
  43. ^ a b c d e Frogmen against a Fleet, p. 130
  44. ^ a b c 『潜水艦の死闘』276ページ
  45. ^ 『潜水艦戦争』124ページ、Frogmen against a Fleet, p. 128
  46. ^ a b c Frogmen against a Fleet, p. 129
  47. ^ 『潜水艦の死闘』276ページ、Frogmen against a Fleet, p. 130
  48. ^ a b 『潜水艦の死闘』277ページ
  49. ^ 『潜水艦の死闘』277ページ、Frogmen against a Fleet, p. 129
  50. ^ a b Frogmen against a Fleet, p. 131
  51. ^ a b c 撃沈戦記 1988, p. 376.
  52. ^ a b c d 潜水艦戦争 1973, p. 135.
  53. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 134-135第三期/1941年7月~12月/B.イギリス海軍の艦艇の損失
  54. ^ 実録 第二次世界大戦2 日本の参戦、409ページ
  55. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, pp. 16-18.
  56. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, p. 263ソース作戦/1943年9月22日、X豆潜航艇による「ティルピッツ」攻撃
  57. ^ ティルピッツを撃沈せよ 1980, pp. 356-358.

参考文献編集

  • レイモン・カルチェ、『実録 第二次世界大戦2 日本の参戦』、伊藤守男 訳、小学館、1990年
  • エドウィン・グレイ、『潜水艦の死闘 彼らは海面下で戦った』、秋山信雄 訳、光人社、1997年、ISBN 4-7698-0830-5
  • 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8
    • 第3部 第二次大戦 ― 外国編/9.イタリア軽巡洋艦「バルビアーノ」「ギュッサーノ」/10.イギリス戦艦「バリアント」「クイーン・エリザベス」
  • レオンス・ペイヤール 著、長塚隆二 訳「7.地中海の潜水艦 一九四〇年~一九四二年」『潜水艦戦争 1939-1945』早川書房、1973年12月。
  • レオンス・ペイヤール 著、長塚隆二 訳『戦艦ティルピッツを撃沈せよ』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1980年2月。ISBN 4-15-050055-X
  • カーユス・ベッカー、松谷健二 訳「第4部 地中海の戦い」『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』フジ出版社、1973年7月。
  • ケネス・J・マクセイ、加登川幸太郎 訳『ロンメル戦車軍団 独英、砂漠の対決』株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫3〉、1984年12月。ISBN 4-383-02355-X
  • 三野正洋『地中海の戦い』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1993年6月。ISBN 4-257-17254-1
  • ドナルド・マッキンタイア、関野英夫(訳)、福島勉(訳)『海戦 連合軍対ヒトラー』早川書房、1973年、ISBN 4-15-205095-0
  • Vincent P. O’Hara, Enrico Cernuschi, "Frogmen against a Fleet: The Italian Attack on Alexandria 18/19 December 1941", "Naval War College Review" Vol. 68, No. 3, Article 8, 2015

資料編集

  • "Frogmen First Battles" by retired U.S Captain William Schofield's book. ISBN 0-8283-2088-8
  • "The Black Prince and the Sea Devils: The Story of Valerio Borghese and the Elite Units of the Decima Mas", by Jack Greene and Alessandro Massignani, Cambridge, Mass.: Da *Capo Press, 2004, 284 pages, hardcover. ISBN 0-306-81311-4
  • "Sea Devils" by J. Valerio Borghese, translated into English by James Cleugh, with introduction by the United States Naval Institute ISBN 1-55750-072-X
  • The Italian Navy in World War II by Marc'Antonio Bragadin, United States Naval Institute, Annapolis, 1957. ISBN 0405130317
  • The Italian Navy in World War II by Sadkovich, James, Greenwood Press, Westport, 1994. ISBN 031328797X

関連項目編集