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アロウズ・A20は、アロウズ1999年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはマイク・コフラン。F1デビューとなるペドロ・デ・ラ・ロサと、ティレルから移籍した高木虎之介がドライブした。

アロウズ・A20
Arrows A20 Historacing Festival Lédenon 2012.jpg
カテゴリー F1
コンストラクター アロウズ
デザイナー マイク・コフラン
エグーバル・ハミディ
先代 アロウズ・A19
後継 アロウズ・A21
主要諸元
シャシー カーボンファイバー コンポジット
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
エンジン アロウズ 72度 V10
トランスミッション アロウズカーボンファイバー 6速 縦置き セミAT
燃料 レプソル
タイヤ ブリヂストン
主要成績
チーム アロウズ
ドライバー 14. ペドロ・デ・ラ・ロサ
15. 高木虎之介
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1999年オーストラリアグランプリ
出走
回数
優勝
回数
ポール
ポジション
ファステスト
ラップ
16 0 0 0
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目次

開発の経緯編集

A20はジョン・バーナード作によるA19をベースとして、バーナード門下にいたコフランが改良を手掛けた。特徴的なサイドポンツーンなどは変わっておらず、マシン前部がデ・ラ・ロサの持ち込みスポンサーであるレプソルのオレンジ色に塗られたこと以外、外観の大きな変化は見られなかった。

エンジンはブライアン・ハートによる自社製エンジンが搭載されたが、現代のF1で競争するにはリソースが小さく、力不足であった。ハートはトム・ウォーキンショーと自社の所有権に関する論争の後に開発から離脱した。

1999年シーズンは惨憺たる結果であった。A20は遅く、信頼性に欠け、グリッド後方をミナルディと争った。獲得ポイントはデ・ラ・ロサがデビュー戦で得た1ポイントのみであり、アロウズよりも下位のチームは新規参入のBARのみであった。デ・ラ・ロサはポイントを獲得したことで有望であるとみられたが、高木はチームとのコミュニケーション問題と苦闘し、シーズン後にチームを去った。彼に代わって2000年ヨス・フェルスタッペンがドライブした。

ブランド宣伝編集

チームはメインスポンサーを持たず、資金不足であった。シーズン開幕前にはナイジェリアのマリク王子とイギリスの投資銀行がチーム株式を取得し、A20のボディはマリクが提唱する「t-minus(ティーマイナス)」ブランドの広告板になった。開幕前テストからA20のサイドポンツーンに描かれた日数がカウントダウンされていき、数字が0になった第3戦サンマリノGPにてブランド発表会が行われた。マーケティング担当者のダニエル・オーデットが中心となり、アパレル、エナジードリンク、マウンテンバイク、オートバイやスーパーカーなどのコラボレート商品を展開すると発表していたが、結局進展が見られないまま、マリクはチームを離脱してしまった。

F1における全成績編集

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1999年 アロウズ アロウズ V10 B AUS
 
BRA
 
SMR
 
MON
 
ESP
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
AUT
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
EUR
 
MAL
 
JPN
 
1 =9位
ペドロ・デ・ラ・ロサ 6 Ret Ret Ret 11 Ret 12 Ret Ret Ret 15 Ret Ret Ret Ret 13
高木虎之介 7 8 Ret Ret 12 Ret DSQ 16 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret

参照編集