アンティオコス6世ディオニュソス
セレウコス朝の君主
アンティオコス6世ディオニュソス(ギリシア語: Αντίοχος ΣΤ΄ Διόνυσος, 紀元前148年 - 紀元前142年1月)は、セレウコス朝の王。アレクサンドロス1世と、プトレマイオス朝の王プトレマイオス6世の娘クレオパトラ・テアの子。
アンティオコス6世ディオニュソス | |
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セレウコス朝の王 シリアの王 | |
アンティオコス6世の硬貨 アパメアで鋳造された | |
在位 | 紀元前145年または紀元前144年 - 紀元前142年1月 |
戴冠式 | デメトリオス2世の対立王のため、正式に戴冠していない |
出生 |
紀元前148年 |
死去 |
紀元前142年1月 |
次代 | ディオドトス・トリュフォン |
父親 | アレクサンドロス1世 |
母親 | クレオパトラ・テア |
生涯
編集アンティオコス6世は実際にセレウコス朝の王として統治することはなかった。紀元前145年または紀元前144年に、デメトリオス2世の対立王としてディオドトス・トリュフォンによって擁立された。アンティオコス6世はディオドトス・トリュフォンの操り人形に過ぎなかった[1]。紀元前142年または紀元前141年に幼い王は死んだ[2]。死因については、ディオドトス・トリュフォンによって暗殺されたという記録や[3]、手術中に死んだという記録もある[4]。
脚注
編集- ^ The first coins of the king are dated to the year 144 BC Houghton, Arthur (1992). “The Revolt of Tryphon and the accession of Antiochos VI at Apamea”. SNR 71: 119–41.
- ^ The last coinage of Antiochos VI is dated to the year 142/141 BC, see Houghton, Arthur, Lorber, Catherine C, Hoover, Oliver D. (2008), Seleucid Coins: A comprehensive catalogue, Part II: Seleucus IV to Antiochus XIII, 2 Vols, New York/Lancaster PA, Nr. 2020; 2022.3; 2026.
- ^ Makk. 13.31; Diod. Sic. 33.28; App. Syr. 68. 357; Iust. 36.1.7.; Oros. 5.4.18.
- ^ Ios. Ant. 13. 218; Liv. per. 55.
参考文献
編集Schürer, E. (1973). A History of the Jewish People in the Age of Jesus Christ (175 BC- AD 135) (Revised and Edited by G. Vermes and F. Millar ed.). Edinburgh. pp. 183–197
関連項目
編集外部リンク
編集- Antiochus VI entry in historical sourcebook by Mahlon H. Smith
アンティオコス6世ディオニュソス
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先代 アレクサンドロス1世 |
セレウコス朝の王 (シリア王) 紀元前145年 - 紀元前142年 共同統治者 デメトリオス2世 (145–138 BC) ディオドトス・トリュフォン (co-regent) |
次代 ディオドトス・トリュフォン |