アントニオ・ファルネーゼ

アントニオ・ファルネーゼAntonio Farnese, 1679年5月29日 - 1731年2月26日)は、ファルネーゼ家最後のパルマ及びピアチェンツァ公ラヌッチョ2世と妃マリーア・デステの3男としてパルマで生まれた。オドアルド2世・ファルネーゼは異母兄、フランチェスコ・ファルネーゼは同母兄。

アントニオ・ファルネーゼ
Antonio Farnese
パルマ公
在位 1727年 - 1731年

出生 (1679-05-29) 1679年5月29日
パルマ
死去 (1731-02-26) 1731年2月26日(51歳没)
配偶者 エンリチェッタ・デステ
家名 ファルネーゼ家
父親 ラヌッチョ2世
母親 マリーア・デステ
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同母兄フランチェスコの死にともなって公位を継承した。1728年、従妹のエンリチェッタ・デステと結婚したが、フランチェスコに続いてアントニオにも子供がなく、彼の死後公国は異母兄オドアルド2世・ファルネーゼの娘エリザベッタ・ファルネーゼの長男カルロ(スペイン王カルロス3世)に継承された。カルロはまだ15歳と若いため、祖母ドロテア・ソフィアと前公妃エンリチェッタが摂政を務めた。

先代
フランチェスコ
パルマ公
1727年 - 1731年
次代
カルロ1世