アントーン・ハフナーAnton Hafner1918年 - 1944年)は第二次世界大戦で敵機を204機撃墜したドイツ空軍エース・パイロット。第二次大戦での最終階級は少尉騎士鉄十字章柏葉付騎士鉄十字章受章。ハインツ・ベーア(途中転籍)を除けば、JG51のトップエースであった。

1918年6月2日ヴュルテンベルクエルバッハ生まれ。1941年2月23日JG51に配属。初戦果は同年6月24日東部戦線で記録し年末までに14機を撃墜。1942年3月25日には25機、7月5日に7機を落とし43機、7月11日には50機に達する。そして8月23日の60機撃墜が評価され騎士鉄十字章を授与、軍曹に昇進した。1942年11月~1943年4月にはチュニジアに派遣され、そこで20機を墜し82機となった。1943年8月に再び東部戦線に配属され10月15日に100機に到達、1944年1月12日には120機目、2月23日には7機を固め撃ちし131機、4月11日に134機となり柏葉騎士鉄十字章を授与され少尉に昇進。1944年10月15日に11人目の200機目(当日203機目まで到達)を撃墜したが、2日後の10月17日Yak-9との空戦最中に被弾、そのまま地上に落下し戦死した。生涯出撃回数795回のうち175回は対地支援任務だったと言う。