アンドレイ・エベルガールト

アンドレイ・アーヴグストヴィチ・エベルガールトロシア語: Андре́й А́вгустович Эберга́рд1856年11月9日 - 1919年4月9日)は、ロシア帝国軍人海軍大将第一次世界大戦初期の黒海艦隊司令官。

アンドレイ・エベルガールト
Андрей Эбергард
エベルガールト海軍大将
生誕 1856年11月9日
パトラ
死没 1919年4月19日
ペトログラード
所属組織 ロシア帝国海軍
軍歴 1878 - 1916
最終階級 海軍大将
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経歴 編集

領事の息子で、ギリシアで生まれる。

軍歴 編集

 
エベルガールト海軍大佐(1907年)

第一次世界大戦 編集

第一次世界大戦勃発時、黒海艦隊は、戦列艦旅団、水雷大隊、潜水艦大隊、掃海艇部隊等から成り、主要基地としてセヴァストポリオデッサバトゥーミ、後方修理基地としてニコラーエフを有した。10月14日までに動員が概ね完了した。オデッサ防衛とドニエプル・ブーフ潟への進出のために、特殊支隊(砲艦「ドネーツ」、「クバーネツ」、機雷敷設艦「ベシタウ」、「ドゥナーイ」)が編成された。

最高司令部は、オスマン帝国の参戦を可能な限り引き伸ばすために、遠洋航海と戦域南部の偵察を行う権限をエベルガールトに与えなかった。しかしながら、ドイツ帝国の巡洋戦艦「ゲーベン」と軽巡洋艦「ブレスラウ」がオスマン帝国に譲渡され、10月29日にオスマン海軍艦艇がロシア沿岸各地を砲撃したため、ロシアはオスマン帝国に宣戦布告した。エベルガールトは、オスマン帝国海軍に対して積極的な戦闘行動を開始した。エベルガールト指揮下の艦隊は、1914年11月5日1915年4月27日の海戦で活躍し、「ゲーベン」を損傷させた。その外、黒海艦隊は、カフカース軍の沿岸部隊を支援し、沿岸要塞を砲撃し、ボスポラス海峡を封鎖した。

1916年6月28日、アレクサンドル・コルチャークと交代し、ロシア帝国国家評議会議員に任命された。1917年1月、海軍省会議議員を兼任。1917年12月13日、退役。

その後 編集

1918年、チェーカーに逮捕されるが、間もなく釈放された。

参考文献 編集

  • "Кто был кто в первой мировой войне. Биографический энциклопедический словарь.", Залесский К.А., М., 2003

関連項目 編集