アンリ・ベルクソン
アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson [bɛʁksɔn]発音例、1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。出身はパリ[2]。日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている [注釈 1] [7][8][9]。
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生誕 |
1859年10月18日[1][2]![]() |
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死没 |
1941年1月4日(81歳没)[2][3]![]() |
時代 |
19世紀の哲学 20世紀の哲学 |
地域 | 西洋哲学 |
両親 |
父:ミハウ・ベルクソン 母:ケイト・レビンソン(Kate Levinson)[4][5] |
学派 |
大陸哲学 フランス・スピリチュアリスム |
研究分野 |
形而上学、認識論 言語哲学 数学の哲学 |
主な概念 | 「持続」など |
署名 |
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生涯
編集幼少期
編集アンリ・ベルグソンは1859年に作曲家でピアニストのミハウ・ベルクソンと、ヨークシャー地方ドンカスターの医師の娘であるケイト・レビンソン(Kate Levinson)子として[4][10]、パリのオペラ座からそう遠くないラマルティーヌ通り (現在のパリ9区 ) で生まれた[11]。
父ミハウはポーランド系ユダヤ人で母ケイトはイギリス系ユダヤ人だった[10][12]。4男3女の7人兄弟でアンリは次男であった[11][12][13]。
妹のミナはイギリスのオカルティストのマグレガー・メイザースと結婚し、モイナ・メイザースと名乗った[14]。母親のケイトは子供たちに英語で会話したり英文の手紙を書くなどして英語を学ばせた[5]。
1863年アンリと家族はスイスのジュネーブに移住した[11]。父のミハウはジュネーヴ音楽院の教師となり後に校長になった[13]。しかし、ミハウは音楽院で同僚と良好な関係が築けなかったため[5]、1866年に家族とともにパリに戻った[13][15][16]。
学生時代
編集1868年パリ9区のリセであるリセ・コンドルセ(当時はリセ・フォンターヌと呼ばれていた[5]。)に入学した[10][15]。アンリの入学後に家族はロンドンに移り住んだが、アンリは単身でフランスに残り寄宿舎で生活をした[注釈 2][16][17]。アンリはスイスの小学校時代と同様にリセ・コンドルセでもラテン語、ギリシャ語、数学などで1等賞を取り優秀な成績を修めた[15]。また、1875年に修辞学名誉賞を受賞し[10]、最終学年では数学においてパスカルが1654年にフェルマーに宛てた手紙の中で提起した問題の解答についての考察で全国数学コンクールで優勝した[18][19]
。
1878年にパリ高等師範学校(仏: École normale supérieure、略称 ENS、エコール・ノルマン・シュペリウール)の文学部に入学した[20][21]。
そこでハーバート・スペンサーの著作を熟読して、実証主義、社会進化論への理解を深めるとともに自己の哲学大系を形成していった[22]。また、成績も優秀でのちに政治家となるジャン・ジョレスと首席を争っていた[9]。
1881年に受けたアグレガシオンでは、審査員の不興を買ったにも関わらずベルクソンは2位での合格となった[23]。(1位はアンドレ・スアレス(フランス語: André Suarès)、3位はジャン・ジョレスであった[21]。)
『意識に直接与えられたものについての試論』
編集アグレガシオン合格後の10月5日にリセ教師となったベルクソンは[10]、アンジェのリセ・ダビッド=ダンジェ(フランス語: Lycée David-d'Angers)、クレルモン=フェランのリセ・ブレーズ=パスカル(フランス語: Lycée Blaise-Pascal (Clermont-Ferrand))などで教師として教えるかたわら学位論文の執筆に力を注ぐ。 そして1888年に ベルクソンは、ソルボンヌ大学に学位論文『意識に直接与えられたものについての試論(Essai sur les données immédiates de la conscience)』(以下特にことわりのない限り『試論』と略す。)後に英訳された際の題名は『時間と自由意志(Time and Free Will)』を提出し、1889年に文学博士号を授与される[24]。
この著作の中で、ベルクソンは、これまで「時間」と呼ばれてきたものは、空間的な認識を用いることで、本来分割できないはずのものを分節化することによって生じたものであると批判した[25]。そして、ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続」("durée")と呼び、この考えに基づいて人間の自由意志の問題について論じた[26][27]。この「持続」は、時間/意識の考え方として人称的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる[28]。
『物質と記憶』
編集1896年には、ベルクソンは、哲学上の大問題である心身問題を扱った『物質と記憶(Matière et Mémoire)』を発表した[29][30]。この本は、ベルクソンにとって第二の主著であり、失語症についての研究を手がかりとして[31]、物質と表象の中間的存在として「イマージュ("image")」という概念を用いつつ、心身問題に取り組んでいる[32]。
すなわち、ベルクソンは、実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を「持続の緊張と弛緩の両極に位置するもの」として捉えた。そして、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証した[33]。
コレージュ・ド・フランスへ
編集1894年にソルボンヌ大学の哲学教授に立候補したが落選した[30]。1898年に高等師範学校の助教授に任命され、同年に再度ソルボンヌ大学の教授に立候補したが落選した[30]。
1900年にコレージュ・ド・フランス教授に立候補したがガブリエル・タルドに敗れ一旦は落選した。しかしシャルル・レヴェック(フランス語: Charles Lévêque)の急逝(1900年1月4日)により、ギリシア・ラテン哲学教授職に就任した[2][9][34]、1904年にはタルドの後任として近代哲学の教授に就任する[34][35]。1914年に休講[36](1920年正式に辞意を表明[36])するまで講義は好評で学生から社交界の人々まで大勢の聴講生が押しかけるとともに名声は海外にまで広がり、文学界や芸術界にも影響を与えた[37]。
主にこの時期におこなった講演がベースとなる『思想と動くもの(La pensée et le mouvant)1943年発行』という著作で「持続の中に身を置く(se replacer dans la durée réelle)」から「持続の相の下に(au fond de la durée)」というベルクソン的直観が提示されることとなる[38]。
『創造的進化』
編集1907年に第三の主著『創造的進化(Évolution créatrice)』を発表する[39]。この本の中で、ベルクソンはスペンサーの社会進化論から出発し[40]、『試論』で意識の流れとしての「持続」を提唱した。 そして、『物質と記憶』で論じた意識と身体についての考察を生命論の方向へとさらに押し進めた。これは、ベルクソンにおける意識の持続の考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで推し進めたものといえる。ダーウィンの進化論における自然淘汰の考え方では、淘汰の原理に素朴な功利主義しか反映されていない[41]。 しかし実際に起こっている事態は異なる。それよりはるかに複雑かつ不可思議な、生を肯定し、生をさらに輝かせ進化させるような力、種と種のあいだを飛び越える「タテの力」、「上に向かう力」が働き、突然変異が起こるのである。 そこで生命の進化を推し進める根源的な力として想定されたのが、"élan vital"「エラン・ヴィタール 生命の飛躍(生の飛躍)」である[42]。ベルクソンはここで、普遍的なものが実在するという大胆かつ前科学的な立場を肯定しており、経験論、唯名論に対する少数派、中世的な実在論に身を置いている[42]。
国際舞台での活躍
編集ベルクソンは国の内外で名声が高まっていき、公の場に登場することが多くなった。第一次世界大戦下の1917年から1918年にはフランス政府の依頼で、非常にデリケートかつ困難な任務であるアメリカのウィルソン大統領を説得する外交特務使節で派遣され職責を果たした[43]。大戦後の1922年には、国際連盟の諮問機関として設立された国際知的協力委員会(ユネスコの源流)委員に任命された[43]。ちなみに、当時の国際連盟事務次長であった新渡戸稲造とも面識があった[44]。1930年にフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される[43]。
ベルクソンの文章は思想の表現技法の高さを評価されており[6]、1914年には、スコットランドのエディンバラ大学で、ギフォード講義を行った[36]。1927年にはノーベル文学賞を受賞している[6]。
『道徳と宗教の二源泉』
編集こうした公的活動の激務のなかでも、ベルクソンの著作を書く意欲は衰えず、1932年に最後の主著として発表されたのが『道徳と宗教の二源泉』である[45]。 この著作では、社会進化論・意識論・自由意志論・生命論といったこれまでのベルクソンの議論を踏まえたうえで、人間が社会を構成する上での根本問題である道徳と宗教について「開かれた社会/閉じた社会」「静的宗教/動的宗教」「愛の飛躍("élan d'amour")[42]」といった言葉を用いつつ、独自の考察を加えている。 人間の知的営為に伴うように、創造的な(想像的な)働き「創話機能(function fabulatrice)」という営為がなされており、現実と未来、期待、希望とのバランスが回復されている。それが宗教と道徳の起源となっており、社会発展の原動力となってきたのである[46]。 ここには生命の進化の原理であるエラン・ヴィタールの人間社会版とも言える内容が展開されていて、大哲学者が晩年に人類に託した希望の書と呼べる内容になっている[47]。 また「創話機能」は、20世紀初期にフロイトにより発見された無意識の働きと同時代的に繋がっており[48]、後にはベルクソン研究も行ったジル・ドゥルーズ[注釈 3]によって、著作の中で結びあわされる[49]。
晩年
編集晩年はカトリック信仰に傾きながら、進行性の関節リウマチを病み苦しんでいた[50]。 1939年に第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍の進撃を避け田舎へと疎開するが、しばらくしてパリの自宅へ戻っている。これは、反ユダヤ主義の猛威が吹き荒れる中、同胞を見棄てることができなかったからだといわれている[45]。 清貧の生活を続けるも、1941年の初頭に凍てつく寒さの中、ドイツ軍占領下のパリの自宅にて脳充血[51]により世を去った。ドイツ軍占領下ということもあって参列者の少ない寂しい葬儀を終えた後、パリ近郊のガルシュ墓地に埋葬された[52]。
葬儀に参加したポール・ヴァレリーは、
「 | アンリ・ベルクソンは大哲学者、大文筆家であったが、それとともに、偉大な人間の友であった | 」 |
と弔辞を述べて、ベルクソンを讃えている[53]。
ベルクソンの死から26年を過ぎた1967年、その功績が讃えられ、パンテオンにベルクソンの名が刻まれ、祀られることとなった。
その著作と生涯によって、フランスおよび人類の思想に栄誉をもたらした哲学者 ── アンリ・ベルクソン — パンテオンに刻まれた碑文
思想
編集生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメルなどの「生の哲学」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることもある。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタインが相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。
一方で、ベルクソンは新プラトン主義のプロティノスから大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある[54]。また、ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている[55]。
因みに、1913年英国心霊現象研究協会の会長に就任している[36]。
こうした点から、ベルクソンの哲学は、しばしば実証主義的形而上学、経験主義的形而上学とも称される[9]。
影響
編集ベルクソンの哲学は、当時の人々だけでなく、後の世代にも大きい影響を与えた。その影響は、弟子のガブリエル・マルセル[56]、
ハイデッガー[57][58]、
ジャンケレヴィッチ[注釈 4][59][60][61]、
ウィリアム・ジェームズ[62]、
サルトル[58]、
バシュラール[63]、
レヴィナス[64]、
メルロ=ポンティ[注釈 5][58]、
アルフレッド・シュッツ[65]、
エティエンヌ・ジルソン[66]、
ジャック・マリタン[67]、
ドゥルーズ[68]、
西田幾多郎[69][70]、
九鬼周造[71][70]、
篠原資明[72]
といった哲学者たちのみならず、政治哲学者の
ジョルジュ・ソレル[73]や、
人類学者のレヴィ=ストロース[74]、
作家のプルースト[75]、
稲垣足穂[76]、
遠藤周作[77]など幅広くに及んでいる。
小林秀雄は[70]、1958年から1963年に〈ベルクソン論〉「感想」を『新潮』に連載したが未完に終わり、生前は未刊行であった。新版の『小林秀雄全集 別巻1』(各・新潮社、2002年、ISBN 978-4106435355)、および『小林秀雄全作品 別巻1・2』(現行かなづかい・語注入り、2005年、ISBN 978-4106435690、ISBN 978-4106435706)で刊行された。
著作
編集- Essai sur les données immédiates de la conscience, 1889
- Matière et Mémoire, 1896
- Le rire, 1900
- L'evolution créatrice, 1907
- 『創造的進化』 真方敬道訳、岩波文庫 - 旧訳は2分冊
- 『創造的進化』 合田正人ほか訳、ちくま学芸文庫 2010年9月
- L'energie spirituelle, 1919 - ※論文・講演集
- Durée et simultanéité, 1922
- 『持続と同時性』 アルベルト・アインシュタインについての論考
- Les deux sources de la morale et de la religion, 1932
- La pensée et le mouvant, 1934 - ※論文・講演集(1903〜23)
- Ecrits et palores, 1957-59 - ※論文集
- 下記の旧版『全集』第8・9巻に一部収録
- OEuvres, 1959(全集)
- Mélanges, 1972(全集補巻)
- 以下は刊行著作以外
- Correspondances, 2002 - ※書簡集
- 『ベルクソン書簡集Ⅰ 1865-1913』 合田正人監修/ボアグリオ治子訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、2012年
- 『ベルクソン書簡集II 1914-1924』 松井久訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、2024年7月
- 『ベルクソン書簡集III 1925-1940』 平賀裕貴訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、2025年3月。最終巻(人名索引付き)
- 『ベルクソン講義録』全4巻、合田正人・江川隆男ほか訳、法政大学出版局、1999-2001年。1880-90年代に行われた講義
- 1 心理学講義/形而上学講義、2 美学講義/道徳学・心理学・形而上学講義
- 3 近代哲学史講義/霊魂論講義、4 ギリシャ哲学講義
- 『時間観念の歴史』 書肆心水、2019年。藤田尚志・平井靖史・岡嶋隆佑・木山裕登訳
- ※1902-1903年度コレージュ・ド・フランス講義
- 『記憶理論の歴史』 書肆心水、2023年。藤田尚志・平井靖史・天野恵美理・岡嶋隆佑・木山裕登訳
- ※1903-1904年度コレージュ・ド・フランス講義
脚注
編集注釈
編集- ^ 1971年発行の平凡社『哲学事典』では「ベルグソン」と表記されており、1998年発行の岩波書店『岩波 哲学・思想辞典 』では「ベルクソン」と表記されている。
改訂新版(1998年初版発行。2007年改訂新版発行)の『世界大百科事典』では記事名「ベルグソン」と表記されているが、記事の本文中では『正しくは「ベルクソン」』との記載もある。 - ^ アンリはイスラエル学院の給費生として、その寄宿舎から通学していた。(久米博著『ベルクソン―時間と創造』77頁13行目)
- ^ 『ベルクソニズム 新訳』ジル・ドゥルーズ(檜垣立哉・小林卓也訳、叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局、2017年)がある。
- ^ 論考訳書にベルクソンの思想の到達点を表した『アンリ・ベルクソン』(V.ジャンケレヴィッチ著、阿部一智・桑田礼彰訳、新評論、増補新版1997年、ISBN 4-7948-0339-7)がある。
なお弟子のジャック・シュヴァリエによる『ベルクソンとの対話』(仲沢紀雄訳、みすず書房、新版1997年、2008年、ISBN 978-4-622-07426-7)がある。 - ^ 関連論考『心身の合一 マールブランシュとビランとベルクソンにおける』(滝浦静雄・中村文郎・砂原陽一訳、ちくま学芸文庫、2007年)がある。
- ^ 「哲学的直観」、「道徳と宗教の二源泉」の元版は『世界の名著 ベルクソン』(中央公論社、澤瀉久敬責任編集、1969年)、のち中公バックス
- ^ 訳者は平井・鈴木の他に、矢内原伊作・田島節夫・松浪信三郎・中村雄二郎・仲沢紀雄・渡辺秀など
- ^ 著作の全訳(全7巻予定)だったが「6 道徳と宗教の二源泉」は未刊。なお旧版は中村雄二郎訳で単行版も刊。
出典
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- 宮山昌治「大正期におけるベルクソン哲学の受容」(PDF)『学習院大学文学部人文紀要論文』第4号、学習院大学人文科学研究所、日本、2006年3月25日、83-104頁、hdl:10959/1289、ISSN 18817920、2025年6月15日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 中田光雄「ベルクソン」(Yahoo!百科事典) - ウェイバックマシン →『日本大百科全書(ニッポニカ)』コトバンク
- プロジェクト・グーテンベルク
- ウィキソース:Henri Bergson
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アカデミー・フランセーズ 席次7 第13代:1914年 - 1941年 |
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