アーデルハイト・フォン・ヴァイマル=オーラミュンデ

アーデルハイト・フォン・ヴァイマル=オーラミュンデ(Adelheid von Weimar-Orlamünde, 1055年ごろ - 1100年3月28日)は、ヴァイマル=オーラミュンデ伯オットー1世の娘である。アスカニア家のバレンシュテット伯アーダルベルト2世、エッツォ家ロートリンゲン宮中伯ヘルマン2世アルデンヌ=ルクセンブルク家ライン宮中伯ハインリヒ2世と3度結婚した。

アーデルハイト・フォン・ヴァイマル=オーラミュンデ
Adelheid von Weimar-Orlamünde

出生 1055年ごろ
死去 1100年3月28日
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
シュプリンギールスバッハ修道院英語版
配偶者 バレンシュテット伯アーダルベルト2世
  ロートリンゲン宮中伯ヘルマン2世
  ライン宮中伯ハインリヒ2世
子女 オットー
ジークフリート1世
家名 ヴァイマール家
父親 マイセン辺境伯オットー1世
母親 アデール・ド・ルーヴァン
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アーデルハイトはマイセン辺境伯オットー1世とアデール・ド・ルーヴァンの間の娘で女子相続人であった[1]。姉妹のオーダはマイセン辺境伯エクベルト2世と結婚し、クニグンデはヴォルィーニ公ヤロポルククーノ・フォン・ノルトハイム、グロイチュ伯ヴィプレヒト2世と結婚した。

最初の結婚編集

アーデルハイトは、最初にアスカニア家のバレンシュテット伯アーダルベルト2世と結婚した[1]。1079年ごろ、アーダルベルト2世はエゲノ2世・フォン・コンラーツブルク英語版に殺害された[2]。アーダルベルトとの間に2人の息子をもうけた。

  • オットー(1070年ごろ - 1123年) - バレンシュテット伯[3]
  • ジークフリート1世(1075年ごろ - 1113年) - ヴァイマル=オーラミュンデ伯、ライン宮中伯[3]

2度目の結婚編集

アーダルベルト2世の死後、1080年ごろにアーデルハイトはエッツォ家ロートリンゲン宮中伯ヘルマン2世と結婚した[4]。ヘルマンは1085年9月20日にダレム近くでナミュール伯アルベール3世と決闘して殺害された。ヘルマン2世との間にアーデルハイトは2人の子があったが、いずれも1085年以前に早世し、その名はどちらも不詳である。

3度目の結婚編集

1085年にヘルマン2世が死去した後、アーデルハイトはアルデンヌ=ルクセンブルク家ハインリヒ・フォン・ラーハと結婚した[5]。1097年より前には、ハインリヒはアーデルハイトの前夫ヘルマン2世の領地および宮中伯位を継承し、自らをライン宮中伯と名乗った。ハインリヒとの間に子はいなかった。そこでハインリヒはアーデルハイトと最初の夫との間の次男ジークフリートを養子とし、後継者とした。1099年にハインリヒが死去した後、ジークフリートがライン宮中伯位を継承した[6]

マリア・ラーハ修道院の創設編集

1093年、アーデルハイトとハインリヒは、アーデルハイトが父オットーから継承した遺産を使ってマリア・ラーハ修道院を創設した[7]。この修道院は聖母マリア聖ニコラオスにささげられた。修道院の建設は1100年にアーデルハイトが死去したことにより一旦中断されたが、1112年に息子ジークフリートが再開し、修道院を完成させた。

印章編集

現存する女性の印章として最も古いものの一つが、1097年にアーデルハイトが発行した特許状に押されたものである[8]。この印章には、「アデライード、宮中伯妃(Adelheit palatina comitizsa)と記されている。この印章に描かれている肖像はヴェールを被った女性の胸像で、開いた本とフルール・ド・リスをかたどった王笏を手にしている[9]

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アーデルハイトは、1100年にローマへの巡礼の途中に死去した。

脚注編集

  1. ^ a b Jackman 2012, p. 33.
  2. ^ Reuter 2010, p. 364.
  3. ^ a b Loud & Schenk 2017, p. xxvi.
  4. ^ Thiele, Erzählende genealogische Stammtafeln, table 167.
  5. ^ Bixton 2001, p. 653.
  6. ^ Arnold, p. 139.
  7. ^ Beyer, Elester, and Goerz, Urkundenbuch zur Geschichte, no. 388, p. 444.
  8. ^ Heino Struck, Quellen zur Geschichte, no. 9, p. 9.
  9. ^ Vogelsang, Herrscherin, p. 51; Stieldorf, Frauensiegel, pp. 75-6.

参考文献編集

  • Wolf Heino Struck, Quellen zur Geschichte der Klöster und Stifte im Gebeit der mittleren Lahn bis zum Ausgang des Mittelalters 1 (1956).
  • H Beyer, L Elester, A Goerz, Urkundenbuch zur Geschichte der jetzt die preußischen Regierungsbezirke Coblenz und Trier bildenden mittelrheinischen Territorien 1 (1860).
  • T. Vogelsang, Die Frau als Herrscherin im hohen Mittelalter (1950).
  • A. Stieldorf, Rheinische Frauensiegel. Studien zur rechtlichen und sozialen Stellung weltlicher Frauen im 13. und 14. Jahrhundert (Cologne, 1999).
  • A. Thiele, Erzählende genealogische Stammtafeln zur europäischen Geschichte" Band I, Teilband 1 Deutsche Kaiser-, Königs-, Herzogs- und Grafenhäuser I
  • Loud, Graham A.; Schenk, Jochen, eds. (2017). The Origins of the German Principalities, 1100-1350: Essays by German Historians. Routledge.
  • Reuter, Timothy (2010). Nelson, Janet L.. ed. Medieval Polities and Modern Mentalities. Cambridge University Press 
  • Arnold, Benjamin (1991). Princes and Territories in Medieval Germany. Cambridge University Press 
  • Jackman, Donald C. (2012). The Kleeberg Fragment of the Gleiberg County. Editions Enlaplage 
  • Bixton, Paul B. (2001). "Rhenish Palatinate". In Jeep, John M. (ed.). Medieval Germany: An Encyclopedia. Routledge.