アーバーダーン包囲戦

アーバーダーン包囲戦(アーバーダーンほういせん)は、イラン・イラク戦争中、フーゼスターン州に侵攻したイラク軍による戦闘である。

アーバーダーン包囲戦
Exploded tank, remains in Abadan as symbol of Iran–Iraq War.jpg
包囲戦で破壊された戦車
戦争イラン・イラク戦争
年月日1980年11月2日1981年9月18日
場所:イラン・フーゼスターン州
結果:イランの勝利
交戦勢力
イラクの旗 イラク イランの旗 イラン
指導者・指揮官
不明 モスタファー・チャムラーン
戦力
約20,000
戦車約600輌
国軍
革命防衛隊など
約4,500
戦車約200輌
損害
不明 不明
イラン・イラク戦争

概要編集

イランに侵攻したイラク軍にとりフーゼスターン州の交通の要衝アーバーダーンの占領は重要な事項であった。当時、平時のイランの石油生産の2/3(610,000日量/バーレル)を産出し、イラン経済にとって最重要拠点であり、それだけにイラク側は攻略、そしてイラン側は死守するだけの価値があったので、革命防衛隊は優勢なイラク軍相手に奮戦した。包囲中、アーバーダーンへの補給・補充は夜間にボートを使用して数ヶ月間継続された。頑強に抵抗する守備隊に対し数次に渡る攻撃が加えられたが、占領することはできず、1981年9月に解囲することとなったが、市街地や付近の製油所の多くは破壊された。

攻撃編集

アーバーダーン島を攻撃するイラクの最初の作戦は戦車500輌・20,000人からなる2個機甲師団を、カールーン川バマンシャール川の白昼強行渡河をもって攻略を開始した。やがて3方向から町を包囲するにいたったが、川を越えて補給せざるを得ないため、衝力不足であり攻撃は頓挫した。

イラン軍の抵抗は当初混乱していたが[要出典]9月28日にはイラン軍の対戦車ヘリが行軍中のイラク軍機甲部隊を攻撃し、イラク軍に大きな損害を与えた[1]。さらに、守備隊はアーバーダーン市街に突入したイラク軍機甲部隊に対して対戦車兵器を使用し、イラク軍は3週間で数百両の戦車や装甲車を失った。このような状況にあり、イラク軍によるアーバーダーン攻撃はいったん中止され、イラク軍は増援を待つことになった[2]規模縮小型機甲師団を北東方向から迂回させ一挙に攻略する企図であったが、これも途中で有力なイラン軍と接触、迂回攻撃も頓挫する結果となった[要出典]

解囲編集

包囲していたイラク軍はデズフールの戦いで2個大隊を失い、兵達の士気は低下する傾向にあった。イラン軍秋季攻勢(サーメノル=アエンメ作戦)において遂に包囲網は突破された。イラク軍は一部を残し撤退した。

影響編集

イラク軍はこの戦闘で機甲部隊に多くの損害を出したが、結局のところアーバーダーンを攻略できなかった。松井 (1991)によると、これによってイラク軍のフーゼスターン州制圧は大幅に遅れ、イランの逆転をもたらすことになったという[2]

脚注編集

  1. ^ 松井 1991, p. 127.
  2. ^ a b 松井 1991, p. 128.

参考文献編集

  • 松井茂 『イラク 知られざる軍事大国』中央公論社中公文庫〉、1991年。ISBN 4-12-201791-2 

関連項目編集