アーバーダーン危機(アーバーダーンきき、英語: Abadan Crisisペルシア語: بحران آبادانBohrân-e Âbâdân)は、1951年から1954年イランアングロ・イラニアン石油会社英語版(AIOC)のイラン国内の資産国有化し、アーバーダーンにある石油生産設備から西側諸国を追い出したことにより発生した。イギリスの当時の外相ハーバート・モリソンはイランの政権転覆のための策略を検討し、戦争に近づく状況となった。

アメリカ合衆国は当初静観し、イギリスとイランの仲介を試みた。これが変化したのが1953年ドワイト・D・アイゼンハワー大統領となった際のことである。彼は、東側陣営との対立(冷戦)の遂行を考えており、CIAにイランの政権転覆を命じた。その結果、民族主義者として知られたイラン首相モハンマド・モサッデクアジャックス作戦: TPAJAX Project[1])で失脚し、CIAとMI6皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーに国の実権を握らせた。

1954年8月に、アングロ・イラニアン石油会社は、国際コンソーシアムの配下に置かれ、その株式のうち40%を5つのアメリカ系メジャーが8%ずつ等分した。残りの株式は、イギリスの英国石油が40%、ロイヤル・ダッチ・シェルが14%、フランス石油が6%を保有した。

脚注 編集

  1. ^ 作戦名はギリシア神話の英雄アイアースを意味する

関連項目 編集

外部リンク・参考文献 編集