メインメニューを開く

イアン・ダンカン・スミス(Rt Hon Iain Duncan Smith MP、1954年4月9日 - )は、イギリス政治家軍人。「ダンカン・スミス」が姓である。下院議員で現在5期目。保守党所属で、2001年から2003年まで党首を務めた。前は労働・年金大臣(2010年5月12日 - 2016年3月18日)。軍人時代の最終階級陸軍大尉。エリザベス元夫人との間に4人の子供がいる。宗教カトリックである。

イアン・ダンカン・スミス
Iain Duncan Smith
Iain Duncan-Smith Official.jpg
生年月日 (1954-04-09) 1954年4月9日(65歳)
出生地 スコットランドの旗 スコットランドエディンバラ
出身校 サンドハースト王立陸軍士官学校
所属政党 保守党

内閣 第1次キャメロン内閣
第1次キャメロン第1次改造内閣
第1次キャメロン第2次改造内閣
第2次キャメロン内閣
在任期間 2010年5月11日 - 2016年3月18日

イギリスの旗 影の国防大臣
在任期間 1999年6月15日 - 2001年9月18日

イギリスの旗 影の社会保障大臣
在任期間 1997年6月2日 - 1999年6月15日

選挙区 チングフォード選挙区
チングフォード・ウッドフォードグリーン選挙区
当選回数 5回
在任期間 1992年4月9日 -

その他の職歴
保守党党首
2001年9月13日 - 2003年11月6日
テンプレートを表示

経歴編集

スコットランドエディンバラ生まれ。母方の曾祖母は日本人で、8分の1だけ日本人の血を引いている。また劇作家のジョージ・バーナード・ショーは曾祖父にあたる。青年時はイギリス陸軍スコットランド近衛連隊に所属し、陸軍大尉を最後に退役した。

政治キャリアのスタートは1992年以降で、元首相マーガレット・サッチャーの側近ノーマン・テビット元貿易産業相の引退に伴い同年の総選挙に出馬、下院議員に当選を果たし、以来現職である。当選後は、ジョン・レッドウッドマイケル・ポーティロらと党内右派として立ち回り、当時のジョン・メージャー首相と政策的にたびたび対立した。

2001年の総選挙での惨敗を受け、ウィリアム・ヘイグ党首が辞任した後に行われた党首選挙で勝利し、2001年9月に党首に就任するが、トニー・ブレア首相の個性の前に埋没、党内ではブレアに対抗できないとの声が相次ぎ、2003年10月には党内から党首不信任決議案が提出、可決され辞任を余儀なくされた。後任には論争に強いマイケル・ハワードが就任した。

イラク戦争に対しては一貫して積極論者で、2002年9月の『デイリー・テレグラフ』への寄稿でサッダーム・フセイン政権打倒の旨をこの時点で表明している。2003年3月の同戦争開戦前には、持論に基づきブレア首相と党首会談を行い、イラクに対する武力行使容認決議可決・イギリス軍参戦への流れを決定付ける。ただ、同戦争でブレア政権全面擁護の立場に立ったことは、同政権と保守党との政策的相違を曖昧にし、自身の失脚の一因ともなった。

2005年12月より、保守党社会正義調査会の座長を務める。

2010年5月、第1次キャメロン内閣の発足に伴い、労働・年金大臣に指名された。

イアン・ダンカン・スミスは第2次キャメロン内閣では最も経験のある保守党政治家の一人であり、イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票におけるEU離脱派の急先鋒の一人であった[1]デーヴィッド・キャメロン首相とジョージ・オズボーン財務大臣が「EU離脱は闇への跳躍であり経済へ大きなショックである」と脅していることに対し、イアン・ダンカン・スミスは何故そのようなお粗末な意見をもたねばならないのかと疑問を呈した。

脚注編集

外部リンク編集

公職
先代:
イヴェット・クーパー
  労働・年金大臣
2010年 - 2016年
次代:
ステファン・クラッブ
先代:
ウィリアム・ヘイグ
  野党第一党党首
2001年 - 2003年
次代:
マイケル・ハワード
先代:
ジョン・メイプル英語版
  影の国防大臣
1999年 - 2001年
次代:
バーナード・ジェンキン英語版
先代:
ハリエット・ハーマン
  影の社会保障大臣
1997年 - 1999年
次代:
デイヴィッド・ウィレッツ英語版
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代:
(選挙区創設)
チングフォード・ウッドフォードグリーン選出
下院議員

1997年 -
次代:
(現職)
先代:
ノーマン・テビット英語版
チングフォード選出下院議員
1992年 - 1997年
次代:
(選挙区廃止)
党職
先代:
ウィリアム・ヘイグ
保守党党首
第12代:2001年 - 2003年
次代:
マイケル・ハワード