イエローキャブ (芸能プロダクション)
イエローキャブ (Yellow Cab) は、かつて存在した日本の芸能事務所である。
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 |
イエキャブ キャブ |
本社所在地 |
![]() 〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1-20-8 松ビル2F |
設立 | 1980年(昭和55年) |
業種 | サービス業 |
法人番号 |
4010401057824 ![]() |
事業内容 | タレントマネージメント |
代表者 | 破産管財人:佐々木奏[1] |
関係する人物 |
黒澤久雄(創設者) 野田義治(二代目社長) 佐藤紳司(三代目社長) 帯刀孝則(前社長) 岡村信善(イエローキャブプラス) |
外部リンク | http://www.yellow-cab.co.jp/ (日本語) |
概要編集
元々は、映画監督・黒澤明の長男である黒澤久雄が黒澤フィルムスタジオの芸能事務所部門として「黒澤プロモーション」という名称で1980年(昭和55年)に設立。黒澤が、父・明監督の映画『乱』の制作を手伝うことになるなど多忙を極めたため、遊び仲間で、かつていしだあゆみや朝丘雪路などのマネージャーを務めたこともある野田義治に実質的な経営をバトンタッチする。所属タレント第1号は山咲千里だったが、芸能活動の方向性を巡って事務所と山咲の家族との意見が合わず、山咲は程なく事務所を去ってしまう。
1983年(昭和58年)、野田が自ら運営に携わったクラリオンガールコンテストから、堀江しのぶを発掘する。堀江はグラビアページやテレビ番組のアシスタント、テレビドラマ出演などで成功するが、事務所自体は苦しい経営が続いた。更に堀江は人気絶頂の1988年(昭和63年)にスキルス性胃癌のため23歳という若さで逝去し、事務所は堀江という大黒柱を失ってしまう。この年に現在の社名へ変更し、野田が社長に就任した。
堀江の死の直前、野田社長は堀江に続いてかとうれいこを発掘した[注釈 1][2]。1989年(平成元年)に第16代クラリオンガールに選ばれたかとうはグラビアで人気爆発、多くの雑誌の表紙や巻頭カラーを飾った。かとうは数年にわたり、高価な写真集の新作がまるで雑誌のごとく毎月のように本屋に並べられ売れ続けるという「写真集クイーン」となり大成功をおさめた[注釈 2][3]。その利益がイエローキャブの経営の基礎を作り、TV局に強いコネを持つ大手プロダクションの隙間を狙ってバストの豊かな女性を雑誌のグラビアで顔や名前を売る戦略を軌道に乗せた。その後も細川ふみえや雛形あきこらがテレビで人気者となっていった。また別会社として有限会社サンズ(後のサンズエンタテイメント)も設立したが、一方で野田社長のワンマン経営から資金繰りが悪化し、東洋コンツェルングループの傘下となった。 多くの所属タレントがTVで活躍するようになっていた2004年(平成16年)末、経営上のトラブルで野田社長が辞任し、会社を去った。野田元社長が進めた多角経営が軌道に乗らなかった上に、野田元社長が親会社に無断で所属タレントに株を交付したことで裁判沙汰に発展。その結果、取締役会で野田元社長を代表取締役から解任する決議が了承された。野田元社長の後任には佐藤紳司が就任した[4]。
佐藤江梨子、根本はるみらは留まり、小池栄子がサンズエンタテインメントから移籍したが雛形やMEGUMIを筆頭に所属タレントの大半が野田元社長に追随し、野田元社長が社長を務めるサンズエンタテインメント(サンズから社名変更)へと移籍したことでイエローキャブの所属タレント数は大幅に減少し、規模も縮小した。
ただ、有力タレントである小池・佐藤・根本が残留したことや、また野田元社長が社長時代に培った「イエローキャブ」の名称が持つブランドバリューもあり、その後も大手芸能事務所としての体を保っていた。野田元社長が去った後は、グラビアアイドル路線ではなく女優などを所属させるようになった。
なお、サンズエンタテインメントはイエローキャブの子会社ではなく、資本及び人的関係はない。
佐藤社長が2006年に辞任し、帯刀孝則社長が引き継ぐが2012年6月に58歳で急死したため[5]、長らく役員を務めてきた松山弘志取締役[6](演歌歌手の五木ひろしの兄)が社長となった[1]。
2013年3月にライセンスの商標利用により「株式会社イエローキャブプラス」を設立し岡村信善代表取締役が就任した。当該事務所では、イエローキャブ本体にて長く途絶えていたグラビアアイドル路線を復活させている。
2014年に入り、イエローキャブの経営危機及び小池・佐藤の新事務所移籍の噂が報道された[6]。この報道についてイエローキャブからのコメントは一切なかったが、4月に入り、京都のIT企業フェイスが立ち上げた新会社「ドリームキャブ」およびイエローキャブより、業務提携のアナウンスが行われた。内容は「ドリームキャブがイエローキャブの芸能マネジメント業務を受託する」というものである。これにより、事実上イエローキャブの業務はドリームキャブに移行し、フェイスが関連会社で行っていたアーティストのマネージメント部門と統合して再スタートすることとなった。後にドリームキャブは2016年4月1日にて「株式会社Faith Artists Music Entertainment」に変更し、正式にフェイスグループの一員として活動することになった。
ドリームキャブの営業開始後も法人としてのイエローキャブは存続していたが、2015年2月10日[7]と13日[8]と立て続けに東京スポーツが事務所消滅の方向へ向かっているとの記事を掲載した。
2015年1月末で小池・佐藤が契約満了となった事から事業を停止し、事後処理を弁護士に一任、自己破産申請の準備を始め、2015年2月3日に東京地裁に破産を申請、2015年2月12日に東京地裁から破産手続開始決定を受け、ここに同社は倒産(=経営破綻)となった[1]。負債は約4億円にのぼった[9][1]。2015年11月12日にイエローキャブ自体の法人格が消滅した[10]。
なお、ライセンス契約に基づく商標使用により設立したイエローキャブプラスは別資本で経営されており、この自己破産とは一切無関係である。
旧所属タレント編集
- 山咲千里
- 堀江しのぶ(在籍中に死去)
- 羽田美智子(現:レプロエンターテイメント)
- かとうれいこ(サンズエンタテインメントで復帰)
- 高橋祐月
- マイサ
- 草場恵
- 小林恵美
- 三井麻由(アーティストハウスピラミッドへ移籍)
- 佐藤聖羅(元SKE48、サンズエンタテインメントへ移籍後、ピタゴラスプロモーションを経てAKS→エイジアプロモーション)
- 斉藤ますみ
- 安部佳央里
- 別府あゆみ(2005年(平成17年)9月所属)→(よしもとクリエイティブ・エージェシー)
- 秦みずほ(エヴォルトへ移籍)
- 詩織
- 根本はるみ
- 松浦真理子
- 松島麻依
- 塩谷華奈
- 佐藤江梨子(2015年2月ノックアウトへ移籍)[11]
- 雛形あきこ
- 小池栄子(現:イープロダクション)
- 仲村瑠璃亜(現:ドリームキャブ)
- 菊川史織(現:ドリームキャブ)
- 細川ふみえ(現:ウエルメイド)
- 森えいみ
- MEGUMI
- 堀口綾子 イエローキャブとの仕事の方針の違いを理由に自殺。
脚注編集
注釈編集
出典編集
- ^ a b c d 芸能プロダクション経営(株)イエローキャブ~有名女性タレントを多数輩出~ 東京商工リサーチ 2015年2月13日
- ^ “かとうれいこを今も惹きつける野田義治会長の「グラビア愛」”. "日刊ゲンダイ". (2016年2月22日) 2018年6月12日閲覧。
- ^ 『巨乳をビジネスにした男 野田義治の流儀』大下英治 2008年 講談社 ISBN 9784062146586、102~103頁
- ^ イエローキャブ新旧社長会見…巨乳ビジネス行方は? 夕刊フジ 2004年12月3日
- ^ イエローキャブ社長急死 58歳 日刊スポーツ 2012年6月29日
- ^ a b 小池栄子&佐藤江梨子どうなる? 「イエローキャブ」消滅へ 日刊ゲンダイ 2014年3月20日
- ^ 所属事務所経営悪化の噂も…小池栄子がそれでも生き残れる理由
- ^ スクープ!「巨乳事務所」イエローキャブが消滅 小池栄子は独立へ
- ^ 芸能プロダクション 株式会社イエローキャブ 事業停止、自己破産申請へ 負債4億円,帝国データバンク,2015年2月13日
- ^ 株式会社イエローキャブ国税庁法人番号公表サイト
- ^ 株式会社ノックアウト、2015年2月11日閲覧。
関連項目編集
- サンズエンタテインメント
- イエローハウス
- トラフィックジャパン
- イエローキャブプラス
- フェイス