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イエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)

イエロー・マジック・オーケストラのアルバム

イエロー・マジック・オーケストラ』 (YELLOW MAGIC ORCHESTRA) は、YMOのデビューアルバム[注釈 1]1978年11月25日アルファレコードからリリースされた。

イエロー・マジック・オーケストラ
YMOスタジオ・アルバム
リリース
録音 1978年7月10日 - 9月5日
STUDIO "A"
ジャンル エレクトロニック
テクノポップ
フュージョン
ディスコ
ゲームミュージック
時間
レーベル アルファレコード
プロデュース ハリー細野
専門評論家によるレビュー
  • All Music Guide 星4 / 5 link
チャート最高順位
  • 69位(オリコンチャート
  • YMO アルバム 年表
    イエロー・マジック・オーケストラ
    1978年
    イエロー・マジック・オーケストラ (US版)
    1979年
    EANコード
    細野晴臣 年表
    コチンの月
    (1978年
    フィルハーモニー
     (1982年)
    高橋幸宏 年表
    サラヴァ!
    1978年
    音楽殺人
    1980年
    坂本龍一 年表
    千のナイフ
    1978年
    B-2ユニット
    1980年
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    作詞はクリス・モスデル、作曲は細野晴臣高橋幸宏坂本龍一および3人の共作となっている他、マーティン・デニーの曲「ファイヤー・クラッカー」のカバーを収録、プロデューサーは細野が担当している。後にアメリカ合衆国にてリミックス版がA&Mレコードよりリリースされたが、その際に「アクロバット」が削除されている。

    日本国内では本作からのシングルカットはされていないが、イギリスでは「Yellow Magic (Tong Poo)」、「La Femme Chinoise」、アメリカ合衆国では「Computer Game」、「Cosmic Surfin'」がそれぞれシングルカットされた。

    日本ではオリコンチャートにて最高位69位となった。

    2005年1月26日にといぼっくすがアコースティック楽器で本アルバムを完全カバーしたアルバム『アコースティックYMO』をリリース。「シムーン」と「マッド・ピエロ」ではヴォーカルに細野が参加。「コンピューター・ゲーム」の電子音までも生楽器で再現している。

    背景編集

    1977年村井邦彦と共に温泉旅行に行った細野は、村井からプロデューサーとして契約する事を打診され、その場で快諾しクラウンレコードからアルファレコードへと移籍する事となった[1]。その後、細野プロデュースの下でドラマーの林立夫、歌手のMANNAと共にティン・パン・アレーの曲「イエロー・マジック・カーニバル」をカバーする予定であったが破談となる[1]。さらに、移籍第一弾としてリンダ・キャリエールのアルバム製作を手掛けたものの、そのアルバムは発売中止となった[2]。そのため、その後に手掛けたアルバム『はらいそ』(1978年)が移籍後の初作品となった[2]。この時点ですでに「イエロー・マジック構想」は存在し、細野は林、佐藤博と共にマーティン・デニーの「ファイヤー・クラッカー」をディスコアレンジでカバーするという予定であったがこれも実現しなかった[1]。その後、『はらいそ』の収録曲「ファム・ファタール」のレコーディング時に細野は高橋、坂本と初顔合わせとなり、偶然に近い形で坂本と高橋がメンバーとして選ばれる事となった[2]。また、一部では当時のマネージャーであった日笠雅子の占いによってこの2人に決定したという噂も存在した[2]

    1978年2月19日、細野は自宅に坂本と高橋を呼び、2人に焼きおにぎりを振る舞った上にYMOに関するプランを描いたノートを提示した[2]。YMOに関するプランとは「外人から見た、誤解された東洋イメージ」をテーマとし、戦略としては「マーティン・デニーのエキゾチック・サウンドをジョルジオ・モロダー風のエレクトリック・ディスコ的なアレンジで行う」というものであった[2]。また、この細野のノートには、「『ファイアークラッカー』をアメリカで発売し、売り上げ目標400万枚!」とイラストと共に記されていた[2]

    4月に細野は横尾忠則と共にインドへと旅行した後、アルバム『コチンの月』(1978年)の制作準備を開始、同アルバムには坂本、高橋の他にコンピュータ・プログラマーとして松武秀樹が参加[2]。4月10日には坂本のデビューアルバム『千のナイフ』(1978年)のレコーディングが開始され、同アルバムには細野、渡辺香津美高橋悠治、ペッカー、山下達郎などが参加した他、坂本がジャケットで着用している服のコーディネーターとして高橋が参加[2]。5月には高橋のソロアルバム『サラヴァ!』(1978年)のレコーディングが開始され、細野、坂本、加藤和彦高中正義大村憲司鈴木茂が参加[2]。6月21日には細野が参加した企画アルバム『PACIFIC』(1978年)がリリースされ、収録曲の内の「コズミック・サーフィン」では坂本、高橋、浜口茂外也が参加した[2]

    録音編集

    細野晴臣によるプロデュースで、坂本龍一高橋幸宏と3人で楽曲を提供した。このとき高橋は作曲経験が浅かったため、坂本から作曲の方法を聞いたり、鼻歌を坂本が書き留めて譜面化するなどしていたという。 また、当時細野は本名ではなく「ハリー細野」と名乗っており、プロデューサー名のクレジットも「HARRY HOSONO」となっている。

    1978年7月10日より、STUDIO "A"にて本作のレコーディングが開始された。レコーディングには細野、坂本、高橋の他に松武、高中、橋本俊一が参加した[2]。細野は当初の構想であった「ファイアークラッカー」とドイツのシンセサイザー音楽を融合させる事を目的とし、さらに「イエロー・マジック・オーケストラ」という名称もこの時に名付ける事となった[2]。また、この時点ではあくまで「細野晴臣とイエロー・マジック・オーケストラ」という感覚であり、細野はバンドとしてではなく企画性の高いユニットと位置付けていた[2]

    最初に録音された「ファイヤー・クラッカー」はコンピュータを使用しない人力演奏でのバージョンであったが、単なるスタジオセッションのような仕上がりのためお蔵入りとなった[1]。その後冨田勲のアルバム『月の光』(1974年)を聴き感銘を受けた細野は冨田の下でマニピュレータをしていた松武秀樹と知り合い、松武はアルバム『コチンの月』に参加する事となった[1]。また冨田の音楽に触れた事を切っ掛けに、細野はそれまで興味の湧かなかったシンセサイザーに傾倒する事となり、この時期にコルグのPS-3100を購入している[1]

    同時期にはアーケードゲームサーカス』(1977年)や『スペースインベーダー』(1978年)が登場し、喫茶店などに設置される事が多くなっていた[1]。また、映画においても『スター・ウォーズ』(1977年)や『未知との遭遇』(1977年)などが公開され、これらの影響がアルバム内に音として取り込まれる事となった[1]。しかし、村井には理解されずレコーディング中に「そんなのやめてこれ聴こうよ」と大村憲司のレコードを村井がかける場面もあったという[1]

    8月15日には「インド」という仮タイトルの曲がレコーディングされるも、アルバムには未収録となった(後にPre-YMO名義で発表)。アルバム制作費は当時の一般的な制作費の倍に当たる800万円をかけていた[3]

    音楽性編集

    YMO結成以前の細野はオリジナル・サヴァンナ・バンド英語版の影響により『トロピカル・ダンディー』(1975年)や『泰安洋行』(1976年)などのアルバムを製作したが周囲の理解を得られず、当時流行していたディスコサウンドと融合する事で商業化できるでのはないかと画策する[4]。また、オーガスト・ダーネル英語版が「Dr.バザード」という変名を使用していた事に影響され、細野は「HARRY HOSONO(ハリー細野)」と日系2世を思わせる名義で活動する事となる[4]。さらに、当時の環境としてレコーディングが終わるとメンバーはディスコに行く事が多く、享楽的な部分から本作にディスコの要素が取り入られる事にもなった[4]

    その他にも、スライ&ザ・ファミリー・ストーンがリリースしたアルバム『フレッシュ』(1973年)に影響された細野は、エース電子工業から発売されていたエーストーン英語版ラテン音楽のようなリズムボックスを愛好するようになり、シンセサイザーよりもリズムボックスに強い興味を抱いていた[4]。その頃に街では喫茶店にアーケードゲームが配置されるようになり、喫茶店に入り浸ってゲームをプレイしていた細野は筐体から音を直録りして使用するつもりであったが断念し、あえてコルグのPS-3100を使用してゲームの音を再現する手法を取る事となった[4]

    作曲に関しては細野は他の2人を優先し、間を埋めるような形で自身による作曲を行っていた[1]。細野によれば、「僕だけが熱狂してたわけじゃなくて、他の2人が僕以上に熱中していた」状態であり、特に高橋は本作のコンセプトに強い興味を抱いていたという[1]。細野は当初YMOをインストバンドにする予定であったが、高橋作曲による「中国女」で歌唱した事によってボーカルグループの可能性が出てきたという[1]。またこの曲でミニマル・ミュージックの要素を取り入れており、メンバーはそれを特に気に入っていたと細野は語り、また高橋作曲の曲は細野や坂本が後に肉付けする事になるため「いちばんYMOらしさが出る」とも語っている[1]

    当初の発案として細野は当時「ミーコの『スター・ウォーズ』みたいなレコードを作りたい」と発言しており、その後レコーディングが開始されるとジョルジオ・モロダークラフトワークを意識するようになったという[4]。「東風」以降(LPレコードのB面)のノンストップ構成は、当時ディスコ向けメドレーアルバムをリリースしていた前述のミーコの影響によるものである。また、ジョルジオ・モロダーのアルバム『永遠の願い』からも影響を受けたと細野はコメントしている[3]。またドラム・トラックはテープによるループでなく、高橋が全編にわたり演奏している。

    東風」「中国女」「マッド・ピエロ」の名称は、ジャン=リュック・ゴダールの『ゴダール3部作』と称される映画タイトルから取られている[5][3](「マッド・ピエロ」は邦題「気狂いピエロ」)。映画には関係なく、ゴダール好きの坂本がタイトルを引用したもの[3]

    リリース編集

    1978年11月25日アルファレコードからLPレコードカセットテープの2形態でリリースされた。

    また、1979年にアルファレコードアメリカA&Mレコードと契約。本アルバムをリミックスした『イエロー・マジック・オーケストラ (US版)』がホライズン・レーベルからリリースされる。アメリカでのリミックス版を「米国版」(またはUS版)、オリジナルを「日本版」と呼ぶこともある。アメリカのリミックスは、トミー・リュピーマの長年のコンビのエンジニア、アル・シュミットがキャピタル・スタジオで行っている。「日本版」「米国版」の他、解説などを省略した廉価版として両方が入った2枚1組のCDも発売されたことがある。

    1992年3月21日に初CD化され、その後は1994年6月29日にCDのみ再リリースされ、1998年1月15日には紙ジャケット仕様として再リリースされた。

    1999年9月22日には細野監修によるリマスタリングが施され、ライナーノーツを江口寿史が担当する形で東芝EMIより再リリースされた。

    2003年1月22日には坂本監修により紙ジャケット仕様にてソニー・ミュージックハウスより再リリース、音源は1999年の細野監修によるものが採用された。

    2010年9月29日にはブルースペックCDとして再リリースされ[6][7][8][9]2018年11月28日にはSACDハイブリッドとして再リリースされた[10]

    アートワーク編集

    ジャケットデザインは脇田愛二郎が担当した。本作がリリースされた頃にメンバーは髪型をテクノカットにしているが、これは小澤征爾が北京交響楽団の指揮をしている場面を見た事に影響されて始めたものである[1]。また本来メンバーとして想定していた横尾にも同じ髪型をして記者会見に来るよう依頼したが、横尾は「その日は足が向かなくて、家から出なかった」と述べ記者会見には現れず、結果としてYMOは3人でスタートする事となった[1]

    ツアー編集

    本作リリース後にはライブツアーは開催されていない。単独のライブとしては10月25日、26日に坂本の『千のナイフ』発売記念ライブが六本木のピットインにて開催され、「坂本龍一&イエロー・マジック・オーケストラ」という名義で初ライブが行われた[2]。この時の参加メンバーは渡辺、矢野誠、高中、浜口、松武であった[2]

    12月5日には新宿の紀伊國屋ホールにて開催されたアルファレコード主催のイベントライブ「フュージョン・フェスティバル」に出演し、本作の収録曲以外にもピンクレディの「ウォンテッド (指名手配)」(1977年)、坂本の「千のナイフ」、「プラスチック・バンブー」、「ビハインド・ザ・マスク」などが演奏された[2]。この時期に来日していたA&Mレコードのプロデューサーであったトミー・リピューマは、「私は、この音楽を世界に広めなければならない」と発言し、後に本作がアメリカ合衆国でリリースされる事となった[2]

    批評編集

    専門評論家によるレビュー
    レビュー・スコア
    出典評価
    コンパクトYMO肯定的[11]
    CDジャーナル肯定的[12][13][14]
    • 音楽本『コンパクトYMO』にてライターの佐藤公稔は、「日本語ロック論争からこっち、細野側に付いていたリスナーを始め、ミカ・バンドやクロス・オーヴァー・サウンドを期待していた各メンバーのファンを『とうとうディスコに走ったか』と落胆させてしまう作品であった。アルファ・村井社長の『こんなのやめようよ』の発言も商売人からすれば当然のこと」とリリース当初の境遇はかなり否定的であった事を指摘しているが、「バンドの要素が抑えられ、企画性の高いユニットとしての側面が強く出されている」、「当時のディスコ作品と比較するまでもなくハイ・クオリティに仕上がっているし、演奏、アレンジともに"さすがはアノ3人"と思わせる内容である」と音楽性に関しては肯定的であり、「方向性が定まっていないため非常に"軟派"に聴こえるが、日本ロック史においては"事件"と成り得るアルバムであることに変わりはない」と画期的であった点を肯定的に評価した[11]
    • 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「テクニック重視のフュージョン・ブーム真っ只中の時代に、あえて機械に演奏させたのはやっぱり画期的[12]」、「細野晴臣が追及していた楽園志向とコンピューターの出会った記念碑的作品。(中略)まだ新しいフュージョンという趣も残っていて興味深く、エスニックっぽい味付けがポイント[13]」、「テクノ・ブームの扉を開けた1枚[14]」と革新性や異国情緒を感じさせる点に関して肯定的な評価を下している。

    収録曲編集

    A面
    全編曲: イエロー・マジック・オーケストラ。
    #タイトル作詞作曲時間
    1.コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”(COMPUTER GAME "Theme From The Circus") イエロー・マジック・オーケストラ
    2.ファイアークラッカー(FIRECRACKER) マーティン・デニー
    3.シムーン(SIMOON)クリス・モスデル細野晴臣
    4.コズミック・サーフィン(COSMIC SURFIN') 細野晴臣
    5.コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ”(COMPUTER GAME "Theme From The Invader") イエロー・マジック・オーケストラ
    B面
    #タイトル作詞作曲時間
    6.東風(TONG POO) 坂本龍一
    7.中国女(LA FEMME CHINOISE)クリス・モスデル高橋ユキヒロ
    8.ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック(BRIDGE OVER TROUBLED MUSIC) イエロー・マジック・オーケストラ
    9.マッド・ピエロ(MAD PIERROT) 細野晴臣
    10.アクロバット(ACROBAT) 細野晴臣
    合計時間:

    曲解説編集

    A面編集

    1. コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ” - COMPUTER GAME "Theme From The Circus"
      アーケードゲームサーカス」の音をシンセサイザーで表現。シーソーの音、風船が割れる音、失敗時の葬送行進曲などが再現されている。曲後半からドラムの音が挿入され、ゲーム音がリズムに合わさり、次の曲へと連結される[3]。ほとんどを細野晴臣が自宅で設計し、YMOの3人による手弾きで録音している。使用しているシンセサイザーはPS-3100のみで、松武秀樹はまったく関与していない[15]。原題は『ゲーム・センター』だった。
    2. ファイアークラッカー - FIRECRACKER
      原曲はマーティン・デニーのアルバム『クワイエット・ヴィレッジ』に収録されているもの。細野がYMOデビュー戦略として「チャンキー・ミュージック」と銘打ち、この曲のカヴァーを売り出そうと構想していたことが自身のメモに書かれている。本アルバムで最初に録音された。当初クリック音を頼りに3人で人力で録音したが、細野いわく「その出来があまりにも当たり前で、今までと変わらないものになってしまって」、その場で消去してしまった。しかし、そのテイクで「コンピューターの要素をもっと強く出していかないと面白くない」ことがわかったという。印象的なイントロ(ベースとフルート風のシンセサイザー)はシーケンサーによる演奏である。間奏のピアノは坂本による即興で、マリンバは細野が演奏している[注釈 2]。パーカッションのほとんどはシーケンサーによるものであるが、クラップはPollard SYNDRUMを使って高橋が叩いたものである。エンディングの爆竹風の音はシンセサイザーではなく、効果音を用いている[15]。アメリカでヒットした際には、デニーから自分の曲をカヴァーしてくれたお礼と、ヒットを祝福する電報が届いた[3]。2001年にはジェニファー・ロペスのシングル「I'm Real」でYMOバージョンがサンプリングされたが、2000年に制作され、ジェニファーと同時期にリリースされたマライア・キャリーの楽曲「Loverboy」においても本曲のサンプリングを使う予定だったため、論議を呼んだ[16]2016年にはトッド・テリエのEP『The Big Cover-Up』に本曲のカヴァーが収録された(名義は「Todd Terje & The Olsens」)。1980年にリリースされた増殖に登場したスネークマンショー伊武雅刀が声の出演をしている「空から日本を見てみよう」(テレビ東京系)で、空から何かを見つけた時の音楽に使われていた。
    3. シムーン - SIMOON
      詳細は「シムーン (曲)」を参照。
    4. コズミック・サーフィン - COSMIC SURFIN'
      細野の作品。元々は鈴木茂山下達郎とのアルバム『パシフィック』に収録されていた[注釈 3]。細野は『パシフィック』制作時点で、既にテクノへの路線を目指す意思があったと回想している[3]。更に、インストと言えばベンチャーズということから「テクノとベンチャーズを掛け合わせて作ったんだと思う」とも語っている。松武秀樹のコメントによると、坂本と高橋が要望してアルバムに入れ、坂本が原曲を分析してアレンジしている[15]。メロディーはPS-3100、シンセ・ベースやサウンドエフェクトはMoogIII-Cを使っている[17]高中正義がギターで参加している。アメリカでのシングル「FIRECRACKER」のB面に収録されたバージョンは、オリジナルよりもテンポが遅い上、早くフェイドアウトしている。
    5. コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ” - COMPUTER GAME "Theme From The Invader"
      アーケードゲーム「スペースインベーダー」の音をシンセサイザーで表現。バックでは「サーカス」の音が流れている。この曲も松武は不参加である[15]

    B面編集

    1. 東風 - TONG POO
      詳細は「東風 (曲)」を参照。
    2. 中国女 - LA FEMME CHINOISE
      詳細は「中国女 (曲)」を参照。
    3. ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック - BRIDGE OVER TROUBLED MUSIC
      タイトルは細野によるもの。この曲に松武は関与していない[15]
      サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」原題:Bridge over Troubled Water からとった。
    4. マッド・ピエロ - MAD PIERROT
      詳細は「マッドピエロ」を参照。
    5. アクロバット - ACROBAT
      ゲーム音と葬送行進曲が交互に流れる小品。「コンピューター・ゲーム」の音が背景音として使われている他、構成やメロディーの類似から「曲の終了とともにアルバムの頭に戻る」という意匠が施されている。米国版では削除された。

    スタッフ・クレジット編集

    イエロー・マジック・オーケストラ編集

    参加ミュージシャン編集

    スタッフ編集

    • 吉沢典夫 - レコーディング・エンジニア
    • 齊藤篤 - レコーディング・エンジニア
    • 日笠雅子 - マネージマント
    • 生田朗 - マネージメント
    • 宮住俊介 - レコーディング・コーディネーター
    • 脇田愛二郎 - デザイン、アート・ディレクション
    • 袴田和夫 - イラストレーション
    • ハリー細野 - プロデューサー、ミックス・エンジニア
    • 村井邦彦 - エグゼクティブ・プロデューサー

    リリース履歴編集

    No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
    1 1978年11月25日 アルファレコード LPCT ALR-6012 (LP)・ALC-1511 (CT) -
    2 1992年3月21日 アルファレコード CD ALCA-286 -
    3 1994年6月29日 アルファレコード CD ALCA-9037 -
    4 1998年1月15日 アルファレコード CD ALCA-5214 -
    5 1999年9月22日 東芝EMI CD TOCT-24233 - 細野晴臣監修、リマスタリング盤、ライナーノーツ:江口寿史
    6 2003年1月22日 ソニー・ミュージックハウス CD MHCL-203 69位 坂本龍一監修、紙ジャケット仕様
    7 2004年 エピック・レコード CD 513445 2 - US版との2枚組
    8 2010年9月29日 ソニー・ミュージックダイレクト ブルースペックCD MHCL-20101 226位 1999年リマスタリング音源、紙ジャケット仕様、スーパーピクチャーCD
    9 2018年11月28日 ソニー・ミュージックダイレクト SACDハイブリッド MHCL-10107 - 2018年Bob Ludwigリマスタリング音源

    脚注編集

    [ヘルプ]

    注釈編集

    1. ^ クレジットは細野晴臣名義。
    2. ^ ティン・パン・アレー時代に横浜中華街でのライブで原曲に忠実なアレンジで演奏された。そのライブにはキーボードで後に細野とYMOを組む事になる坂本龍一、ピアノで後にYMOのライブサポートメンバーとなる矢野顕子が参加しており、演奏は、ボックスセット『Harry Hosono/Crown Years 1974-1977』のDISC-3「ハリー細野&ティン・パン・アレイ in CHINATOWN」で聞く事が出来る。
    3. ^ 「POLYPHONICS」名義でシングルカットされている。『パシフィック』はCD化されている他、過去に出した7枚のYMOのライブ盤とレアトラックを収録した1枚の計8枚のCDを収納したbCD-BOX「L-R TRAX Live&Rare Tracks」のDisc 8に「パシフィックバージョン」として収められている
    4. ^ 本業は当時のアルファレコード社長秘書であったため、クレジットがなかった。フランス語が堪能で、後のYMOのアルバムに幾度かヴォイスとして参加している。

    出典編集

    1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「ライナーノーツ」 『イエロー・マジック・オーケストラ』、東芝EMI 、1999年。
    2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「YMOクロニクル」『コンパクト YMO』徳間書店、1998年4月20日、63 - 110頁。ISBN 9784198608316
    3. ^ a b c d e f g 『イエロー・マジック・オーケストラ』アスペクト、2007年 ISBN 978-4-7572-1432-3
    4. ^ a b c d e f 「ライナーノーツ」 『イエロー・マジック・オーケストラ<US版>』、東芝EMI 、1999年。
    5. ^ 田中雄二『電子音楽 in JAPAN』アスペクト、2001年 ISBN 978-4757208711
    6. ^ YMOの名作10タイトルがBlu-spec CD化” (日本語). TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2010年9月28日). 2019年6月1日閲覧。
    7. ^ YMOオリジナル10作品が高品質Blu-spec CDで一挙復刻”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2010年7月29日). 2019年6月1日閲覧。
    8. ^ YMOの名作10タイトルがBlu-spec CD+紙ジャケ化”. CDジャーナル. 音楽出版 (2010年8月5日). 2019年6月1日閲覧。
    9. ^ YMOのオリジナル・アルバム10タイトルが高品質CDで復活”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク (2010年7月30日). 2019年6月1日閲覧。
    10. ^ YMO、結成40周年を記念してアルファ期アルバム全10タイトルがアナログ&SACDハイブリッドで復活” (日本語). TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2018年11月26日). 2019年7月21日閲覧。
    11. ^ a b 佐藤公稔「コンプリート・ディスコグラフィー オリジナル・アルバム」『コンパクト YMO』徳間書店、1998年4月20日、116 - 126頁。ISBN 9784198608316
    12. ^ a b YMO / イエロー・マジック・オーケストラ [紙ジャケット仕様][限定][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年4月29日閲覧。
    13. ^ a b YMO / イエロー・マジック・オーケストラ [再発][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年4月29日閲覧。
    14. ^ a b YMO / イエロー・マジック・オーケストラ [紙ジャケット仕様][再発]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年4月29日閲覧。
    15. ^ a b c d e 2010年5月15日(土)放送USTREAM「YMOファーストアルバム大解剖」その1より
    16. ^ Mariah 'Ripped Off' Twice on Same Record”. 'FOXニュース'. News Corporation (2002年4月4日). 2014年5月4日閲覧。
    17. ^ 『キーボード・スペシャル』1999年11月号より

    外部リンク編集